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第29回総会 アラカルト写真集 限定公開 [第29回総会実行委員会]

■ 総会当日の模様を同窓会会員限定で公開中。 ■
↓クリック
第29回総会 アラカルト 写真集 入口.jpg
*総会時配布の封筒に「ユーザー名」と「パスワード」を記した説明チラシを同封。
*チラシの手順に従い閲覧下さい。
*公開終了予定日:平成30年12月31日

■ 実行委員会 引き継ぎ ■
29回実行委員から30回実行委員への引継会を実施します。
日時 : 平成30年1月27日(土曜日) 午後6時 ~
会場 : 「あいれふ」福岡県福岡市中央区舞鶴2丁目5-1

福岡西一会に参加しました。 [トピックス・同窓投稿]

 福岡在住の西高一回生の親睦会「福岡西一会」が頻繁に開催されています。
 西高一回生が福岡栄城会実行委員となった10年前から続く会で、近年ではお盆の8月と福岡栄城会開催月を除くほぼ毎月開催しています。また、同窓生であればウエルカムの会なので、2回生、3回生、5回生、6回生も参加されるようになりました。
 
 12月7日(木)は忘年会も兼ねて開催されました。参加者は1回生・7名、2回生・1名、6回生・2名、8回生・1名の計11名で大いに盛り上がりました。
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 会が進む中、国内外の情勢について、映画会の案内、佐賀への帰省での交通手段はバスと金券ショップでのJR券を利用するとお得、孫へのランドセルプレゼント事情などなど話題に事欠きませんでした。
 また、西高一回生として入学した当時、朝礼で当時の校長訓話に佐高の先輩方から野次が飛んで驚いたこと、部活動では練習は一緒にしても佐高対西高で試合をしたとの話も出てきました。
 福岡西一会は美味しい食事とお酒が楽しめる会をモットーに、女子同窓生が参加しやすいい雰囲気となっていますので、女子の新たな参加者を募っています。
 会では、時には海外・国内旅行もおこない、海外ではこれまで大連、台湾、釜山へ行っています。今年は6月18日~21日にかけて北海道旅行を実施してました。東京から1名合流し、3回生・5回生各1名も参加の7名で、富良野・美瑛・大雪山主峰の旭岳・旭川動物園・札幌市内を廻る三泊四日の旅でした。
 また、来年の旅行は(海外?)をおこなう予定だそうです。

*リンク集にある「西一会福岡」も覗いてみて下さい。

■ お知らせ ■
 西高一回生・森永 太さん(元同窓会会長、佐賀市在住、佐賀市で歯科医院を開業中)が故郷への恩返しとして北山地区に歯科診療所を開設し、週一回(水曜日)に診療しています。
 この度、FBS福岡放送がこの北山歯科診療所を紹介するそうです。
12月14日(木)「めんたいワイド」で午後6時15分辺りから放映の予定!!

*西高一回生、思い出の一品
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第1回 碁会 開催 (平成29年11月23日) [本年(平成29年)同窓会活動]

去る11月23日、めでたく栄城囲碁同好会 第1回碁会を開催いたしました。
会場:日本棋院九州本部(福岡センタービル)。
時間:15時から17時30分
参加者:西高8回生(1)、10回生(2)、28回生(1)計4名。(懇親会8回生+1名)
初心者の入門教室と経験者の自由対局で、あっという間に時が経ちました。

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< 入門教室 >


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< インストラクター(右から2人目)と共に >

囲碁は「手談」とも呼ばれます。楽しいコミュニケーションに花が咲きました。
※ 次回は 『12月21日(木) 18時より』 同じく九州本部で行います。
  参加費1500円。
終了後、毎回恒例の懇親会もあり♪
参加ご希望の方は、ページトップ左側「お問い合わせメール窓口」より申込み願います。(当日飛び入りも可)
初心者大歓迎、どうぞ奮って参加ください。
                           幹事 川崎徹 (西高10回生)

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近況報告と佐賀県「ふるさと納税」による研究支援のお願い [トピックス・同窓投稿]

永淵 正法(佐賀西高校4回生)

 10月28日の福岡栄城同窓会では、お世話になりました。福岡在住の同窓の皆様とお会いし親しく語り合えて幸いでした。準備運営していただいた事務局の皆様にも厚く御礼申し上げます。

 また、今年は、佐賀での栄城同窓会の担当が我々の学年佐賀西高校4回生と19回生で、11月11日土曜日にマリトピアで執り行われ400人以上の参加者で親しく交流させていただきました。

 私事で恐縮ですが、これまで九州大学医学部入学以来、九州大学で臨床、教育研究に従事しておりましたが、来年から研究拠点を九州大学医学部から佐賀大学医学部肝臓・糖尿病・内分泌内科安西慶三教授のもとに(客員研究員として)移管し、ウイルス糖尿病:特に将来の予防ワクチン開発を目指した研究に集約して継続する予定です。幸い、添付のように、佐賀に事務局のある非営利特定法人‘日本IDDMネットワーク’(1型糖尿病の患者さんの会で、1型糖尿病の克服の研究支援を行なっています。)から、ふるさと納税を利用した研究支援(11月1日〜12月30日)まで、目標2,000万円の申し出がありました。そこで、不躾ながら、同窓の皆様に可能であればご支援いただきたく、拙文を投稿させていただきました。
 
 なお、九州大学における本研究プロジェクトの評価については、最近、独立行政法人学位授与機構の研究業績水準判定において、九州大学医学研究院の中で、4つの研究テーマのみが最高レベルのSSの評価をいただき、特に、我々の「ウイルス糖尿病の発症機構とその制御に関する研究」だけが学術的意義と社会、経済、文化的意義の両方でSSであったとの連絡をいただいています。佐賀に移動して研究水準の低下に陥らないように努力いたしますのでどうか、よろしくご支援賜りますようお願い申し上げます。

■ふるさと納税による研究支援のお願いチラシ■
佐賀県「ふるさと納税」による研究支援のお願い.png


賛同された同窓生は、↓クリックしてお進み下さい。

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佐賀の七賢人「島 義勇」の蹟を訪ねて (Ⅰ) [故郷(佐賀)を歩く]

 佐嘉神社への鳥居を進んだ右手に「佐賀の七賢人」の石碑があります。
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 幕末から明治初期に活躍した10代藩主鍋島直正(閑叟)公、弘道館出身の大隈重信、江藤新平、大木喬任、佐野常民、島義勇、副島種臣の七公を顕彰しています。その中で、衣冠束帯姿の写真は鍋島直正と島義勇ですが、奇しくもこの主従は北海道開拓において先駆け的貢献を果たしています。
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 9代鍋島斉直の文化5年(1808年)におきたフェイトン号事件で長崎警護の失態を幕府から責められ、外国の脅威を実感した佐賀藩は次の10代直正になって藩の近代化を促進させました。8代治茂は井伊家より姫を娶ったことから、当時の鍋島家と井伊家の結びつきは良好で、更に鍋島正直と井伊直弼は同じ年だったこともあり交際を深め、日本を取り巻く外国勢への危惧を共有していたとも言われています。
 井伊直政が大老となった翌年の安政6年(1859年)、井伊直弼の推挙により鍋島直正は「中将」に任じられています。それまでの藩主の多くは従四位下侍従。8代治茂が従四位下 肥前守 左近衛権少将まで進んでいます。同年長崎海軍伝習所閉鎖でオランダより寄贈の蒸気練習艦「観光丸」が佐賀藩預りとなり、三重津で運用されています。桜田門外の変で直弼の死により頓挫しますが、直正はこの時期に天領の天草を佐賀藩預りにして、そこに軍港を作ることを陳情しています。
 
 時代を少し戻します。安政3年12月21日、これまで幾度となく交渉が続いた日露和親条約が締結。箱館、下田、長崎がロシアにも開港しました。長崎で対露交渉が続けられていたのを見聞していた直正は、開港した箱館に注目し、更に北方防衛にも危機感を持っていたようです。
 そこで直正は、安政3年(1856年)近習の島義勇に蝦夷地の探索を命じます。
 今回は、島義勇にスポットを当て、藩主直正や幕末・維新期に活躍した多くの藩士の蹟も併せて、巡っていきたいと思います。

 島義勇は文政5年(1822年)9月12日、佐賀藩士島市郎右衛門の子として、佐賀城下の精小路に生まれています。
 *佐賀清和体育館敷地が明治期、島義勇の屋敷地と伝わっています。
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 8歳で藩校弘道館に入学しています。併せて、従兄である枝吉神陽に皇漢学を学んでいます。
 神陽は、東の藤田東湖と並び称される国学の権威であり、「日本一君論」を提唱し、藩内の思想をリードしていました。
 弘化元年(1844年)23歳で弘道館を卒業して、家督を相続しています。その後、諸国遊学にて、熊本の林 桜園、昌平黌の儒官(総長)佐藤 一斎、水戸学の藤田 東湖などに学んだと伝わります。
 特に藤田東湖の水戸藩は蝦夷地探検家の間宮林蔵や松浦武四郎の後援者と目されていて、島義勇は藤田東湖との交流で、蝦夷地の概要を習得したとも言われています。
 弘化4年(1847年)26歳で帰藩して鍋島直正の外小姓、弘道館目付けとなります。
 嘉永3年(1850年)義祭同盟発会式に参加しています。枝吉神陽、実弟の枝吉次郎(副島種臣)、島団右衛門(義勇)、大木幡六(喬任)、木原義四郎(隆忠)らが参加していいます。これ以降、毎年5月25日に行われて、江藤又藏(新平)、中野眞七郎(方藏)、大隈八太郎(重信)、久米丈太郎(邦武)、鍋島茂眞(直正の兄で須古鍋島家を継ぎ、25年間本藩執政、弘道館学館頭人に就任し、藩校教育に力を入れた。)、鍋島直嵩(白石鍋島家・本藩家老 請役所総裁)らも加わっている。
 *龍造寺(佐賀)八幡宮境内の楠神社前に顕彰碑があります。
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 鍋島直正から島義勇は安政3年(1856年)蝦夷地探索の直命を受けます。下命はロシアの南下策に対応するため、ロシアと接する蝦夷地の現状調査と箱館における佐賀藩交易の根回しであったようです。
 
 *前年の安政2年(1855年)7月25日、鍋島直正は長崎にてオランダ蒸気船ヘデー(ゲデー)号に乗船、佐賀藩精錬方では蒸気車や蒸気船の雛形の製造に着手、また多布施反射炉で鋳造した大砲を品川台場に据え付けています。長崎防衛、藩政改革が軌道に乗り佐賀藩の近代化を推し進めると同時に、正直は蝦夷地にも目を向けていました。直正はそれ以前にもオランダ船バレンバン号に乗船したことがあります。
 *弘道館教授で寛政の三博士である古賀精里の次男古賀侗庵とその子謹一郎(茶渓)は幕臣となっていました。昌平黌の儒者であった古賀謹一郎は国外への関心も強く、独学で漢訳蘭書で西洋事情を学んでいます。
嘉永6年(1853年)ロシアのプチャーチン使節来航時、川路聖謨らに同行し長崎での交渉に従事しています。佐賀藩人脈に幕府のロシアとの交渉官がいました。
 ■余談■
 古賀謹一郎の昌平黌および家塾久敬舎で教えた儒学上の門人に河井継之助(長岡藩家老・戦術家、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)など多彩。勝麟太郎とともに創案した洋学研究機関である蕃書調所が安政4年(1857年)開設。蕃書調所頭取(校長)として、教授に箕作 阮甫(ペリー来航時に米大統領国書を翻訳)をあて、教授見習の中には、村田蔵六(大村益次郎)、松木弘庵(寺島宗則)、西周助(西周)など幕臣以外からも採用している。明治後、東大の前身となる大学校の教授に明治新政府から招聘されるも幕臣として節度から辞退し、静岡に移り住んでいます。
 
 安政3年(1856年)9月4日、島義勇は佐賀城下を出発し、萩・津和野・浜田・鳥取・京都を経て江戸に入り、11月7日に江戸を発っている。この期間を「安政三年日記」として記録しています。各地で多彩な人物と交流しています。

 ■余談■ 他の七賢人の当時の状況
1)佐野常民
 島と同年である常民は精煉方頭人として、安政2年(1855年)に日本初の蒸気機関車の模型を完成させ、長崎海軍伝習所で伝習(一期生)を受けている。
2)副島種臣(島の母方の従兄弟)
 嘉永5年(1852年)京都に遊学、尊王活動に従事。兄神陽の尊王思想を実行しようと「将軍廃止と天皇親政」の意見書を公家大原重徳に提出、久邇宮朝彦親王より藩兵の上洛を要請される。しかし藩主直正は動かず、種臣を藩内に留めるべく、弘道館の国語教授に命じています。
3)江藤新平
 安政3年(1856年)「図と 海策(かいさく)」なる長文の時事意見書を執筆。経済及び軍事の近代化を図るために積極的開国を主張しています。
4)大木喬任
 この時期詳細不明。藩内での勤王運動に参画。
5)大隈重信
 安政2年(1855年)に、弘道館での南北騒動をきっかけに退学、安政3年(1856年)、佐賀藩蘭学寮に転じています。旧態然の儒学学生と洋学志向の学生との弘道館内対立事件で、首謀者として退学もすぐに復学を許されています。

 島義勇はその後、仙台伊達藩など東北地方を廻り、安政4年3月頃に同僚の犬塚与七郎と箱館に入っています。

 ■ 現在の函館(箱館)160余年後の町並み。当時は箱館山の麓の港を中心に集落がありました。当時の箱館奉行所は現在の元町公園に置かれていました。
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 幕府旗本で函館奉行の堀利煕の蝦夷地視察(廻浦)に同行し134日にわたる視察に向かいました
。主に蝦夷地周囲を船と徒歩で廻っています。幕府公認ではなようですが、藩主直正は堀利煕とも親しく、島は堀の近習として参加したとも言われています。
 当時の資料によりますと、同年閏5月11日に箱館を出立し、ヤムククシナイ(現:八雲町山越)・ヲシヤマンベ(長万部)からスツツ(現:寿都町)・イワナイ(岩内)・ヲタルナイ(現:小樽)・ゼニハコ(銭箱)・イシカリ(石狩)・ハママシケ(現:石狩市浜益区)・ルルモツヘ(現:留萌)・トママイ(苫前)・テシホ(現:天塩)・ソウヤ(宗谷)から樺太南部を巡視し、モンベツ(紋別)・アバシリ(網走)・シヤリ(斜里)・シベツ(標津)・ノツケ(野付)・アツケシ(厚岸)・クスリ(現:釧路)・ヲホツナイ(現:十勝川河口 打内・大津)・ヒロオ(広尾)・襟裳岬・ニイカツプ(新冠)・ユウフツ(現:苫小牧・勇払)・チトセ(千歳)・シラヲイ(白老)・ノボリベツ(登別)・モロラン(室蘭)・ウス(有珠)・レフンケ(現:豊浦町字礼文華)から長万部と道内を一周し9月27日に函館に戻っています。
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 *巡察時の記録として島義勇の「北入記」が今に伝わっています。全4冊(雲・行・雨・施)があったと言われていますが、「雲」の原本は伝わっていません。
 仙台藩士玉蟲(虫) 左太夫も参加していて、同名の「入北記」9冊を残し、こちらは原書が全て伝わっています。玉虫・北入記に「安政4年(1857年)閏5月26日午前10時に島団右衛門道同、松浦武四郎へ参る」とあります。
 *蝦夷地巡察で島義勇と交遊した人
1)函館奉行の堀利煕(1818年~1860年 享年43歳)
 幕臣・堀利堅(大塩平八郎の乱時・大坂西町奉行)の四男。安政5年(1858年)に新設の外国奉行、のち神奈川奉行も兼任し、横浜港開港に尽力し、通商条約での日本国全権の一人として署名。万延元年(1860年)プロイセンとの条約交渉において、不手際を老中安藤信正から指弾され、9月に神奈川奉行免職。11月6日、プロイセンとの条約締結直前に自刃しています。
 ■余談■
 箱館奉行は当時3名任命され、1名は江戸在府・竹内保徳、1名は箱館在勤・村垣範正(後に遣米使節の副使・外国奉行)、1名が迴補の堀利堅でした。迴補に随行した随員12名の中には、島・玉虫の他に榎本武陽もいました。

2)仙台藩士の玉蟲 左太夫(1823年~1868年 享年47歳)
 江戸の湯島聖堂に学び塾長となる。安政4年の蝦夷地巡察に同行、「入北記」を署す。万延元年(1860年)日米修好通商条約の批准書交換使節団の外国奉行随員として渡米、「航米日録」全7冊(8冊の内1冊は秘書となっています)を著す。遣米使節の記録の中でも、客観的で世界一周した各地の実情を詳細に記録しています。
 慶応4年(1868年)戊辰戦争時、奥羽越列藩同盟の成立のため尽力し軍務局副頭取、明治2年(1869年)敗戦に伴い捕縛され、獄中で切腹しています。
 *幕府は東北諸藩に蝦夷地警備を命じ、仙台藩では蝦夷地の白老(現白老町)に安政3年(1855年)仙台陣屋を置いて、襟裳岬を経て国後島・択捉島までを守備範囲としていました。陣屋跡地は昭和41年(1966年)国指定の史跡になり、近くに「仙台藩白老元陣屋資料館」が開館しています。
 ■余談■
 鍋島直正は江戸出府時、遣米使節派遣の計画を知り、国元に随行者の人選を命じています。結果、正使一行が乗船したポーハタン号に本島喜八郎(長崎海軍伝習生)、島内栄之助(長崎海軍伝習生、火術方)、小出千之助(長崎海軍伝習生、語学に堪能)、綾部新五郎(小城藩)、医師川崎道民(長崎海軍伝習生、写真技術を習得し佐賀の写真技術の祖)の5名、咸臨丸には秀島藤之助(精錬方・アームストロング砲製造に従事)、福谷啓吉(長崎海軍伝習生、精錬方・蒸気船建造に従事)の2名、計7名が派遣されています。*長崎海軍伝習所一期生において佐野常民以下佐賀藩藩士はオランダ教官から高評価で、修練も幕臣・他藩を凌駕していたようです。
 佐賀藩が幕臣以外で最も多い人数を派遣できたのは、藩主直正の幕閣との交流の賜物であり、操船技術を会得していた人材が豊富になっていた事だと考えられます。
 長崎でオランダ船に乗り込むほどの直正ですから、彼の心底では自分も随行したかったのではないでしょうか。随行する藩士に、事細かな視察目的を指示しています。

3)松浦武四郎(1818年~1888年 享年70歳)
 現在の三重県松坂市の郷士の出身。蝦夷地を六度に渡り調査し、当時蝦夷地に関しての第一人者であった。伊能忠敬や間宮林蔵によって、蝦夷地の地図は作られたが、あくまで白地図に過ぎませんでした。安政2年(1855年)、「蝦夷山川地理取調御用御雇」となり、道内や樺太をくまなく廻り、「東西蝦夷山川地理取調図」を箱館奉行所に上申し、道内の山や川の地理図にアイヌ語での地名を明記、道内各地域村落のアイヌ酋長・小使名を明らかにしています。当時のアイヌの風習や実情を調査し、和人による圧政を批判、佐賀藩などの大藩が地域開発に乗り出すのを歓迎しています。島義勇には、クスリ(現:釧路)場を推薦しています。
 明治2年(1869年)新政府より開拓判官となり、蝦夷地をアイヌ伝統に敬意を込めて「北加伊道」を選び、「北海道」と命名し、同じようにして各地の郡名等を選定しています。島義勇の先導役でありました。明治3年開拓使のアイヌ政策の怠慢に抗議して辞職、従五位の官位も返上しています。
 余生を東京で過ごし、自宅の片隅に作った一畳敷の書斎は、その後当時の趣味人を伝え渡り、「一畳敷書斎」として、最終的に現在の国際基督教大学内に移築され、学園祭に特別公開されています。

 *箱館迴補奉行の堀利煕は幕末開港での外交官僚として活躍するも、孤立して荒波にのまれました。蝦夷地巡察で幕閣から評価され遣米使節で世界一周した玉蟲 左太夫は、幕府への忠節に殉じて維新の激動にのまれました。島義勇も、人徳・人望があるが故に明治維新の揺り戻しにのみ込まれてしまいました。市井の人に戻った松浦武四郎だけが風流な余生を送ったことになります。

 島の「北入記」は経済的視線で記録され、多くの絵図もあり、当地での産業・交通・交易に注目しています。幕府の蝦夷地政策や支配役人の不正にも言及していますが、佐賀藩による箱館貿易での具体策も書き留めています。藩主直正の意向だったと思われます。
 一方の玉蟲の「北入記」は、松浦と同じく地理やアイヌ民族及び現地での支配体制を詳しく調査しています。仙台藩が白老陣屋を拠点に、蝦夷地防衛とアイヌ及び和人への民政をすすめる上での調査とも考えられます。二人共にそれぞれの藩を背負っていたことが判ります。
 島義勇と同行した犬塚与七郎は途中で報告のため帰藩し、10月には佐賀藩郡目付・高柳忠吉郎以下藩士が3名箱館を来訪しています。
 島は箱館に帰還後、築城し始めた「五稜郭」を見聞、また箱館台場築造の工法・工費など詳細を記録しています。
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 島義勇は安政4年(1857年)11月19日、江戸に帰府する堀奉行に同行して、箱館で新造された「箱館丸」に乗船し、試乗航海で12月19日江戸に戻ってきています。この時の詳細を「東洋記」として著しています。この日記には箱館丸の構造・備品などの絵図、宮古などの湾内鳥瞰図も書かれています。
 *箱館丸の説明


 島義勇は安政5年(1858年)帰藩し、その後に蔵方組頭に任じられています。

 幕末期が、佐賀藩は二重鎖国体制の元、藩士の藩外への往来は厳しく制限されていました。しかし一方で、藩主鍋島正直の積極的な富国強兵策の先兵として、多くの弘道館出身者が藩内外で活躍もしていました。
                            つづく 

☆参考資料
① 佐賀市史        https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
② 佐賀の歴史・文化お宝帳 http://www.saga-otakara.jp/
③ 佐賀市歴史探訪     https://www.city.saga.lg.jp/main/3859.html
④ 島義勇伝:(有)エアーダイブhttp://www.dybooks.jp/
⑤ 国立国会図書館デジタルコレクション - 東西蝦夷山川地理取調図

  
 
 
 

 
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囲碁同好会発足します。 [本年(平成29年)同窓会活動]

 平成29年11月12日(日)午後5時より、博多駅前の居酒屋にて、発足会を開催しました。
 会の進め方など協議しました。初心者も含め、幅広く男女の同窓に参加を呼び掛ける事になりました。
 
発足会メンバー.jpg
 
 まずは、第1回の碁会を以下の日程で開催いたします。
 幹 事 :川崎 徹(西高10回生) 
開催日:11月23日(祝日木曜) 午後3時 ~
会 場 :日本棋院九州本部 http://www.kiin-kyushu.jp/
福岡市博多区博多駅前二丁目二番一号 福岡センタービル三階
会場略図.jpg

会 費:参加費1500円

 *まずは初心者教室を開催します。福岡栄城会同窓の方は奮って参加下さい。
  終了後、懇親会も開催します。

 参加ご希望の方は、「お問い合わせメール窓口」より申込み願います。(当日飛び入りも可)



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栄城会 囲碁同好会 [本年(平成29年)同窓会活動]

◎ 来たれ! 囲碁同好会へ ◎

囲碁イラスト-7.png

・福岡栄城会の中に新たに「囲碁同好会」を立ち上げます。

・初心者大歓迎♪ 入門教室では女性スタッフがやさしく指導してくれます。

・発足準備会を 『11月12日(日)』 午後5時より、博多駅近辺の店で懇親会を兼ねて行います。  囲碁同好会に参加希望の方はぜひご出席ください。

・発足準備会の申込は、下記のアドレスまで、お名前、卒業校、卒業年、をメールでご連絡ください。
eijo.fukuoka@gmail.com

または、ページトップ左欄にある「お問合わせメール窓口」からでもOKです。
折返し発足準備会の案内をお送りいたします。 (11月9日 締切)
奮って出席ください。

発起人: 川崎 徹 (西高10回生)
 

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「第29回福岡栄城会 総会・懇親会」開催 [本年(平成29年)の同窓会、ご案内]

 
 当日は、あいにくの天気にもかかわらず多数のご出席をいただき誠にありがとうございました。
 不行き届きな点もあったかと思いますが、皆さまに時を忘れてご歓談いただき実行委員一同何よりの喜びであります。 この大切な絆が次の若い世代へつながるようしっかりバトンを渡していきたいと思います。
 福岡栄城会の益々の発展と皆さまのご健勝とご多幸をお祈りしてお礼の言葉とさせていただきます。
            第29回福岡栄城会実行委員長 服部 伸児(西高10回生)


日 時 : 平成29年10月28日(土)17時 ~ 
場 所 : 八仙閣本店 3Fホール
      福岡市博多区博多駅東2-7-27
出席者 : 計254名

第29回総会・懇親会 乾杯.jpg

*今回のテーマ* ~ 佐賀 さいこう! 栄城会 最高! ~

・第29回福岡栄城会 会次第
   
                 総合司会 古川 千恵
(西高 平成 5年卒・28回生)
 1.総 会 17:00~17:30
   物故者への黙祷
   開催挨拶     本年度実行委員長  服部 伸児
(西高 昭和50年卒・10回生)

   会長挨拶     福岡栄城会会長   鈴木  元
(西高 昭和44年卒・ 4回生)
 
   来賓紹介
   来賓挨拶     佐賀西高等学校校長 松尾 敏美
(西高 昭和53年卒・13回生)

   祝電披露
   年次報告     福岡栄城会事務局長 前田 恒善
(西高 昭和53年卒・13回生)
   *平成28年度 本会決算報告・本会会則改定説明・事務局各部門紹介
 
 2.懇親会 17:30~19:30
   動画 「佐賀弁ラジオ体操第1」~ さあ、みなさん、ご一緒に! ~    
佐賀弁ラジオ体操第1.jpg

   佐賀の酒で乾杯  栄城会同窓会会長  香月 和文
(西高 昭和42年卒・ 2回生)

佐賀の銘酒.jpg

-- 会食 懇談  --
 
   ふるさと佐賀の動画紹介「Three minutes trip to Saga」etc 

   次回登板幹事挨拶 西高11回生・21回生・31回生
   佐高・佐賀西高校歌斉唱
   万歳三唱
   閉会挨拶     本年度実行副委員長 吉田 啓司
(西高 昭和60年卒・20回生)

■ 総会当日の模様を同窓会会員限定で公開中。 ■

↓クリック
第29回総会 アラカルト 写真集 入口.jpg
*総会時配布の封筒に「ユーザー名」と「パスワード」を記した説明チラシを同封。
*チラシの手順に従い閲覧下さい。

*公開終了予定日:平成30年12月31日

*総会・懇親会に関するご感想・ご意見等をお待ちしています。
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第29回福岡栄城会会誌 [本年(平成29年)の同窓会、ご案内]

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さがさいこう⇒さがさ・いこう⇒さが・さいこう [故郷(佐賀)を歩く]

■ 佐賀さ行こう・佐賀最高 ■

*2017佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
 今年も予定総数112機(18カ国・地域から)が参加し、11月1日(水)~5日(日)まで開催されます。
 10日間天気予報から、期間中は天候にも恵まれそうです。

*2017佐賀インターナショナルバルーンフェスタ公式HP
佐賀インターナショナルバルーンフェスタ[Hi-res/4K SAGA]
360°パノラマ動画「2015佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」

*360°パノラマ動画「2015佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」のHP

*バルーフェスタ以外にも「第24回 シチメンソウまつり」、「佐嘉城下 骨董市」が開催されます。
■「第24回 シチメンソウまつり」11月3日~5日 10:30 ~
 ライトアップ 18:00 ~20:00 10月28日~11月2日
シチメンソウまつり.jpg

■「第29回佐賀城下秋の骨董市」11月3日~5日 10時 ~ 17時
 会場 : 松原神社境内
佐賀城下骨董市.jpg


■ 九年庵:秋の一般公開 平成29年11月15日(水)~11月23日(木・祝) 9日間
             午前8時30分~午後4時まで 
             美化協力金300円(中学生以下無料)
   九年庵[Hi-res/4K SAGA]

■佐賀市インバウンド観光向けのPR動画「Surf Slow SAGA, Japan 4K 」


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