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長崎街道を歩く:「龍造寺八幡宮から佐賀護国神社」編 [故郷(佐賀)を歩く]

長崎街道案内 龍造寺八幡宮から護国神社.jpg

 長崎街道は白山から龍造寺八幡宮に辺り、ここからお宮を回り込むルートを進みます。境内には「佐賀八幡宮」と「楠神社」が鎮座しています。
龍造寺八幡宮 正面.jpg

 *肥前鳥居・・石造りの鳥居で、慶長9年(1604年)佐賀藩藩祖鍋島直茂公の北方藤女が奉納。
肥前鳥居 龍造寺八幡宮 .jpg

 *朱木の二ノ鳥居の先に、石造りの太鼓橋があります。・・多布施川井樋水路に架かる橋ですが、境内は暗渠になっていて、不思議な風景となっています。
石造り太鼓橋 龍造寺八幡宮 .jpg

 *成章校之址・・・・太鼓橋の右手に、学校記念碑があります。昭和12年6月、成章高等小学校同窓生徒有志により建立。同校は明治24年(1891年)市内の明倫・循誘・日新の各尋常高等小学校が統合されて龍造寺八幡宮一帯にて開校、明治32年(1899年)勧興尋常高等小学校と合併の為、閉校。新たに北堀端(昭和50年まで佐賀市役所があった)に「佐賀市立佐賀高等小学校」が発足。
成章校之址 石碑.jpg

*楠神社・・・安政3年(1856年)佐賀藩執政鍋島安房(茂真・須古鍋島家・藩校弘道館の学館頭人)が楠公像を遷座し、八幡神社境内に祀り、「楠社大祭」を執行したことが、はじまりとあります。
楠神社.jpg

 *義祭同盟之碑の台座碑文・・楠神社右手に義士同盟之碑が建立されています。
義祭同盟 碑文.jpg

 *長崎街道は、神社の裏手の十間堀川沿いに進みます。
十間堀川.jpg
十間堀川 八幡宮.jpg

 ☆十間堀川は鍋島藩時代、城下町の外堀の役割も担った川で、当時は十間(18,2m)の川幅があった。
 *街道は神社を回り込んみ、神社の北西と南西の角に道標があります。
道標 龍造寺八幡宮 北西 南西 角.jpg
道標 米町.jpg
 
 *ここから紡績通りまでの先、国道264号田布施一丁目南交差点まで直進します。佐賀城下三十三町での「米町」・「中町」・「多布施町」、庶民が暮らす通りを進みます。
米町 中町.jpg

 *大漁恵比寿・・成章中学校南門への道との十字路角に鮮魚店に鎮座してます。
大漁恵比寿.jpg

 *校南橋と校西橋・・・・大漁恵比寿の十字路を北に進むと、成章中学校があります。龍造寺八幡宮にあった「成章校之址」碑にあるように、佐賀高等小学校は北堀端に移転しましたが、火災などで何度も移転を繰り返した市役所再建から、現在の県警本部の地に移り、その後の昭和9年この地に木造総二階建ての新校舎を建設、学校の南と西に橋が架けられました。高等小学校は戦後、第一中学校を経て昭和26年から成章中学校となり現在に至っています。校舎は現在3代目ですが、通学路に架かる橋は80数年後の今も現役です。
校南橋と校西橋.jpg

 *十間堀川と校南橋・・大正11年に佐賀市と合併するまで、十間堀川以北は、神野村であった。
十間堀川 校南橋.jpg

 ☆明治22年の市町村制施行時、神野村役場は、神野・多布施・大財の三大字を行政、合併後、神野町・上田布施町・大財町になっています。
 
 ☆一寸寄り道!
 *八幡小路の武家屋敷門・・長崎街道に並行して、南に八幡小路があり、裁判所の西横に武家屋敷門が保存されています。また、ここは洋画家(美人画が特に有名)の岡田三郎助の誕生地です。
八幡小路 武家屋敷門.jpg
八幡小路 武家屋敷門 説明文.jpg

 *屋敷門の道路を隔てて西斜め前に、久米邦武・佳一郎親子の誕生地の碑があります。久米邦武は近代歴史学の先駆者で、弘道館記念碑や大隈重信誕生地碑の撰文者。佳一郎は洋画家にて、森鴎外と共著で「美術解剖学」を著作している。
八幡小路 久米邦武 佳一郎 誕生地之碑.jpg

 
 *街道沿いの恵比寿さん・・江戸恵比寿:寛政5年(1793年)と刻まれています。
街道の江戸恵比寿.jpg
江戸恵比寿.jpg

 *文字恵比寿・・・・街道沿いの駐車場の脇に鎮座。「西宮」と刻まれています。
文字恵比寿.jpg

 *中町(白山1丁目付近)にも「のこぎり型家並」の跡が感じられます。
中町の「のこぎり型家並み」.jpg

 *長崎街道は紡績通りを横切り佐賀城下三十三町の多布施町に入り、拡幅された国道264号多布施一丁目交差点より、左折南下します。
多布施1丁目交差点.jpg
多布施1丁目交差点 2.jpg

 *橋(ぜんじゃあばし)・・明和元年(1764年)完成。それまでの土橋が老朽化、資産家・宇野善佐衛門が私費で石橋を架けた。明治33年一部補修。護国神社の西北隅にあります。これより、佐賀城下三十三町の伊勢屋町に入ります。
善佐衛門橋.jpg
善佐衛門橋2.jpg


 *善佐衛門恵比寿・・橋のたもとに鎮座しています。
善佐衛門恵比寿.jpg

 *護国神社の西口から街道は西に進みます。
護国神社 裏.jpg
護国神社 西に進む.jpg

 *護国神社・・戊辰戦争での佐賀藩戦死者78柱を祀るため、鍋島直大が明治3年(1870年)建立。太鼓橋のところは船下りの終着場であり、前の紡績通りには馬鉄も走っていました。太鼓橋は現在通行禁止。
護国神社.jpg
護国神社 社殿.jpg

 *太鼓橋周辺には、棚路(タナジ)も残っていて、田布施川の水辺に下りれます。
太鼓橋.jpg


 龍造寺八幡宮から護国神社に至る街道筋には、今だぽつぽつと昭和の風情が残っています。

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