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長崎街道を歩く:扇町から嘉瀬橋まで [故郷(佐賀)を歩く]

 長崎街道は高橋から西へ扇町・中原・荻野(現在はどれも嘉瀬町)を進みます。佐賀城下外になりますが、街道沿いには多くの寺院があり、お寺の街とも言えます。

 *福餅恵比寿・・新高橋橋の傍の和菓子屋さんに鎮座。
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 *苗運寺・・扇町毛氈を創作した古賀清右衛門の墓と顕彰碑があります。中国伝来の「毛氈(もうせん)」を習得し、その技法を扇町の12戸に教え、佐賀藩御用の「花毛氈」となりました。綿で織られていて、明治以降一般にも販売されるようになり、今では「鍋島段通」として知られています。
苗運寺.jpg
古賀清右衛門 顕彰碑.jpg


 *扇町天満宮・・神殿が文化8年(1811年)造営された神社で明治10年(1877年)に再建、平成元年に社殿新築などで境内が一新、平成19年に国道拡幅により鳥居を新造しています。
扇町天満宮.jpg

 *天満宮の先に扇町交差点があり、ここから南に約300mで佐賀県医療センター好生館が平成25年(2013年)5月に水ケ江から新築移転しています。好生館は天保5年(1834年)に10代藩主鍋島直正により医学館・医学寮が八幡小路に創設されたことに始まります。
好生館.jpg

 *国道を歩き、病院の先で一時国道と街道筋が分かれます。
嘉瀬町 旧道入り口.jpg

 *別れの松・・江戸期、嘉瀬川沿いに刑場があり、罪人が刑場に引かれていく際ここで身内との別れの水杯を酌み交わすことが許されたと伝わります。松は現在3代目です。また当時は、この先が嘉瀬川でした。
別れの松.jpg
嘉瀬町 クリーク.jpg

 *街道沿いの恵比寿?・・個人宅の鬼門を守っています。
嘉瀬町 街道恵比寿.jpg

 *青藍校跡(嘉瀬中学校跡)・・国道に並行して街道を進み、中原にある嘉瀬郵便局の裏手の先を右折して進むと嘉瀬(青藍)団地があります。ここは青藍高等学校や嘉瀬中学校の跡地にできた団地で、平成23年・24年に建て替えられています。団地の手前、橋を渡った先を左に進むと、学校跡の碑があります。
青藍・嘉瀬中 跡.jpg

 *敷地内に創立120周年を記念した嘉瀬小学校の説明パネルもあります。
嘉瀬小学校跡 説明版.jpg

 *嘉瀬校之址・・昭和33年11月建立。同年4月に昭栄中学校に統合、卒業生有志が学校跡に記念碑を建立されています。
嘉瀬中学校跡碑.jpg

 *嘉瀬川改修農地交換記念碑・・国道207号・嘉瀬郵便局:嘉瀬元町バス停に設置されています。昭和24年8月の嘉瀬川大洪水以降、河道の蛇行区間を直線化するための農地交換が計画的に実施され、それを記念するものです。
嘉瀬川 改修記念碑.jpg

 *この先は荻野となり、昔は嘉瀬津と呼ばれた川湊がありました。また荻野は昔、嘉瀬川の西に位置する集落でもありました。街道は再び森林公園東バス停付近で、国道と一緒になります。
森林公園東バス停.jpg

 *妙福寺・・現在は森林公園となった嘉瀬川の旧河川敷は鍋島藩政時代に刑場がありました。刑死者を弔う供養塔が建立されていましたが、森林公園建設に当たり当寺に移されています。
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 *俊寛僧都の墓・・国道(街道)わきに案内の石碑がある。俊寛は平安末期の僧侶で、後白河法皇の側近として鹿ケ谷の陰謀の首謀者として、喜界ヶ島に流されて断食自害したと伝わります。京都法勝寺の執行(天台宗における寺の長)であり、墓があると伝わるここ法勝寺も昔は京都の法勝寺を真似た大伽藍があったようです。
俊寛僧都の墓.jpg

 *県立森林公園・・法勝寺前の国道207号は緩やかに右に弧を描き、嘉瀬橋に向かいます。国道の左手には現在森林公園が整備されています。昭和24年8月の台風により嘉瀬川は大きな水害をもたらし、昭和25年から45年までに大規模な改修工事が行われ、特に嘉瀬橋南の蛇行区間1200mを600mの直線化は昭和25年から40年までにかかりました。これにより右岸から左岸に変わった土地をりようして、森林公園が昭和43年に着工し昭和54年度に広場とテニスコートが開園、平成10年度に広場を拡張、平成11年4月に県立森林公園野球場(みどりの森県営球場)がオープンしました。こけら落としはとして、広島東洋カープと横浜ベイスターズの2連戦が開催されています。球場は九州では福岡ドームに次ぐ2例目の半径約96mの真円形型球場となっています。国道を隔てて公園の住所は「久保田町大字徳万」となっています。
嘉瀬川 橋南.jpg
みどりの森県営球場 案内看板.jpg

 *千人塚跡・・森林公園整備で妙福寺に移設され、跡地です。佐賀の乱(役)で斬首された江藤進平と島義勇の首は、この地で晒されました。
千人塚跡.jpg

 *鑑真和上嘉瀬津上陸の碑・・奈良時代・聖武天皇の招きで、幾多の困難を経て6度目の渡海で、薩摩の坊津にたどり着き、そこから当地に入港、太宰府を経て平城京に至りました。記念碑が平成2年に建立されています。記念碑、井上靖氏の「和上讃仰碑」及び遣唐使船のモニュメントが建てられ、揚州市より寄贈の瓊花(けいか)が植樹されています。
鑑真和上 上陸記念碑.jpg
鑑真和上 上陸記念碑 1.jpg
鑑真和上 上陸記念碑 2.jpg
鑑真和上 上陸記念碑 3.jpg

 *嘉瀬橋・・嘉瀬川改修に伴い、北に約50m移動して昭和38年2月に竣工しています。橋の北側からJRの嘉瀬川鉄橋(明治28年竣工、昭和38年3月架け替え・下り線)までが、毎年開催の佐賀バルーンフェスタの会場です。
嘉瀬橋.jpg
嘉瀬橋 バルーンフェスタ 会場.jpg

 ☆長崎街道を歩く:参考文献
  ① 佐賀市史・久保田町史  https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
  ② 佐賀の歴史・文化お宝帳 http://www.saga-otakara.jp/
  ③ 佐賀市歴史探訪     https://www.city.saga.lg.jp/main/3859.html
  ④ 佐賀市歴史民俗館    https://sagarekimin.jimdo.com/
  ⑤ 佐賀県立図書館デジタルデータベース 近代地図目録:佐賀市(大正~昭和30年代)
 
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