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春!川辺の桜が満開です。 [故郷(佐賀)を歩く]

 ・佐賀県庁 お堀に桜と大楠
佐賀県庁 お堀に桜と大楠.jpg

 今年(平成29年)、佐賀の桜は平年より6日遅く、昨年より7日遅い3月30日(木)に開花となりました。満開となりました今週末の8日・9日は市内のお花見スポットは老若男女で賑わっていました。今年、天候にはあまり恵まれず見栄えの良し写真は撮れませんでしたが、懐かしの佐賀の桜スポット!川上・嘉瀬・多布施川の水辺をご案内いたします。
 ■川上峡周辺の桜
  川上川 水上をおよぐ鯉に桜
川上峡 川上川 鯉に桜.jpg
 朱色の官人橋 昭和28年(1953年)3月に完成した鉄製トラスト橋。成富兵庫茂安により江戸初期に板橋が架けられ、土橋・コンクリート橋となり大正前までは「勧進橋」と表記されていました。昭和24年の水害で流されたため現在の橋が架けられています。平成21年(2009年)10月から化粧直しの塗装工事を実施、與止日女神社への参道橋でもあり、朱色を3度塗り重ねて新年を迎えています。
川上峡 官人橋と鯉.jpg
官人橋.jpg
 国道263号、官人橋手前の昭和バス「ユースピア入口」バス停近くに「川上軌道跡碑」あり、大正時代の勧進(官人)橋のパネル写真も埋め込まれています。
川上軌道跡碑.jpg
官人橋よりの風景 右手は肥前の国一宮、與止日女神社(よどひめじんじゃ)、左奥に川上頭首工が見えます。昭和35年8月完成、平成19年3月全面補修、機能拡大しています。多布施川の主な取水施設でもあります。
官人橋よりの風景.jpg
川上頭首工 1.jpg
川上頭首工.jpg
 與止日女神社西門 県重要文化財 室町後期に創建され、今川の戦いで一部焼失し、元亀4年(1573年)に修復再建、昭和48年に大修理が行われています。柱は楠材で創建時のものと伝わります。
與止日女神社西門.jpg
 川上川の風景2点
川上川に桜.jpg
川上川 土手の桜と菜の花.jpg

 ■石井樋の桜
石井樋の桜.jpg
 石井樋は現存する日本最古の取水施設です。よく知られていますように成富兵庫茂安より江戸初期の元和年間(1615~1623年)に造られています。昭和35年(1960年)8月、上流に川上頭首工が完成するまで、多布施川の取水口であり、流域の水害防止の役目がありました。その後は水も流れなくなり埋没、昭和38年の大洪水で大井手堰も壊れてしまいましたが、平成17年に石井樋地区歴史的水辺整備事業により復元されています。
石井樋.jpg
石井樋 取水口.jpg
石井樋 説明.jpg
 忠実に復元し更に保護の為、石を積み増した「象の鼻」、手前は「天狗の鼻」。奥の水流は、流れはこれより「川上川」から「嘉瀬川」となります。
石井樋 復元された象の鼻、手前は天狗の鼻.jpg
 成富兵庫茂安の功績を讃える「水功之碑」 明治24年建立。碑面の題字は副島種臣の書、碑文は久米邦武(弘道館記念碑の撰者)の撰、書は武富誠修。
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 ■多布施川河畔公園 昭和49年に都市計画公園として決定され整備・維持が図られています。
多布施川河畔公園.jpg
多布施川河畔公園 橋と桜.jpg
多布施川河畔公園 遊歩道に桜.jpg
 桜に菜の花、レンゲ畑。 画面右奥に医学部
桜に菜の花、レンゲ畑.jpg
 長瀬天満宮の桜 天満宮の四脚門は宝永2年1705年造立。社殿造営は永正10年(1513年)、のち鍋島勝茂公により補修との記録が残っています。社殿前の狛犬の形が面白いですよ。
長瀬天満宮の四柱門.jpg
長瀬天満宮の狛犬.jpg
長瀬天満宮の桜.jpg

 ■神野公園 佐賀藩十代藩主鍋島直正公の別邸として弘化3年(1846年)に造られ、別名「神野のお茶屋」。大正12年(1923年)に鍋島家より佐賀市に寄贈され公園となりました。
神野公園 入口.jpg
 隔林亭(かくりんてい) 別邸の茶室と建てられたましたが昭和35年(1960年)老朽化により解体、20数年後「隔林亭文書」の発見により、一枚の写真と古図を基に平成5年(1993年)に復元されました。見学無料
隔林亭.jpg
隔林亭 桜.jpg
隔林亭 桜に池.jpg
 神野公園前の多布施川の桜並木 昭和30年代まで、ここは水泳場でした。神野公園より川向、東北側(西神野)には佐賀競馬場があり、多布施川通りなどの道端には、日常的に馬糞が落ちていました。昭和47年(1972年)鳥栖に移転。
多布施川 桜並木.jpg

 ■多布施川の桜並木 佐賀工業高校の先まで並木は続きます。
 昭和橋(大正14年架橋)から多布施川橋梁まで
昭和橋からJR鉄橋まで.jpg
 多布施川橋梁と多布施踏切
多布施川橋梁と多布施踏切.jpg
多布施川橋梁.jpg
 佐賀県立佐賀農業高等学校発祥の地・碑  大井手分水工近くにあります。多布施川と天祐川に分かれる「緑小路」に明治28年佐賀県簡易農学校として開校、県立佐賀農学校となり、大正10年白石に移転しています。創立百周年を記念して平成6年10月建立。
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多布施橋の桜
多布施橋の桜.jpg
 佐賀県立佐賀工業高等学校の東側を流れる多布施川及び多布施川通り
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佐賀工業高校の東を流れる多布施川 多布施川通り.jpg
 多布施川新橋と佐賀藩科学技術研究所(製煉方)跡碑 佐賀藩が嘉永5年(1852年)11月設けた理化学研究所。蒸気機関や電信機の研究にまで多岐にわたりました。記念碑は昭和60年建立
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佐賀藩科学技術研究所(製煉方)跡碑.jpg
 「さかえばし」と佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑(昭和60年建立)
さかえばし.jpg
佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑.jpg
佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑 説明碑.jpg
佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑 説明碑 と桜.jpg

 ☆多布施公儀石火矢鋳立所とも言います。石火矢は大砲の事です。嘉永6年(1853年)ペリーの浦賀来航に危機感を持った江戸幕府が佐賀藩に鉄製大砲鋳造を依頼し、ここ多布施に反射炉が築かれました。大砲は江戸・品川に築かれた砲台に備えられました。レインボーブリッジ脚下にある「台場公園」などに遺構があります。
 ■護国神社前の多布施川 昭和57年から毎年7月中旬から8月中旬まで、この辺は遊水場となり子供たちの歓声で賑わいます。
護国神社 前.jpg

 神野公園や多布施川の土手を北上し川上まで遠足を経験された同窓も多いと思います。多布施川の川幅は改めてみますと、心なしか小さくなったように感じてしまいます。
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