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第3回福岡栄城会ゴルフコンペ開催 [本年(平成29年)同窓会活動]

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 春たけなわの平成29年4月22日(土)、晴天のもと第3回福岡栄城会懇親ゴルフが麻生飯塚ゴルフ俱楽部で開催しました。
 4組16名の参加 鈴木会長はじめ、佐高5回卒業の東島勉さん、佐高12回卒業の永倉遵五郎さん、下は西高37回卒業の中村俊和さんらが参加されました。
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 ・ 優勝は、2連覇の西高5回卒業の石橋進さん(NET71.6)
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 ・準優勝は西高37回卒業の中村俊和さん(NET73.4)
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 ・ベスグロは、西高6回卒業の合六雅彦さん(GROSS87)
 ・特別賞(皆勤賞・最高齢賞)
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☆今回は賞品を8回生の井上忠夫さん、同じく8回生の中原義也さんから頂き沢山賞品を提供できました。御礼申し上げます。
次回は10月11日(水)の予定です
初めての方の参加を歓迎します



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第29回福岡栄城会 会誌表紙は塚本猪一郎氏に決定 [第29回総会実行委員会]

みなさま

いよいよ今年の総会まで半年余りとなりました。
我々10回生実行委員は一丸となって準備に励んでおります。

1つは、会誌の表紙を佐賀を拠点に活躍中の画家、塚本猪一郎氏(西高10回生)に依頼しました。
現在、天神の「ギャラリー とわーる」にて個展開催中です。

「ギャラリー とわーる」
中央区天神2丁目8-34住友生命ビル1F
http://blog.towa-ru-mocco.com/?eid=1109


2017年4月11日(火)〜4月23日(日)(月曜休)
午後12:00〜19:00

塚本氏ならではの個性が輝く会誌になることを期待しております。

10月28日の総会に奮って参加くださいますようお願い申し上げます。

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春!徐福ロードの桜が満開です [故郷(佐賀)を歩く]

 国鉄佐賀線は、国鉄再建法の第2次特定地方交通線に指定され、国鉄民営化の直前の昭和62年(1987年)3月27日で全線廃止となりました。佐賀線の廃線跡は、大財六丁目交差点から南佐賀東交差点までが市道になり、南佐賀東交差点より諸富鉄橋展望公園まで総延長約5キロの(名称:徐福サイクリングロード)歩行者・自転車専用道路になっています。
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 ・「みなみさが駅跡」
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 時間が止まった「運賃・時刻表」 今佐賀駅バスセンターから南佐賀バス停の運賃は260円です。
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 ・夏の「みなみさが駅跡」
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 ・桜のトンネル
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 ・国道208号と立体交差の「ふれあい橋」付近
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徐福サイクリングロード ふれあい橋 付近 1.jpg
 ・諸富町、県道48号佐賀佐賀外環状線と交わる所にある県重要無形文化財「三重の獅子舞」のモニュメント(獅子の広場)
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 ・国鉄諸富(もろとみ)駅跡に建てられた佐賀市立諸富文化体育館(ハートフル)
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旧佐賀線 諸富駅跡 説明版.jpg
 ・筑後川昇開橋(正式名:旧筑後川橋梁) 平成15年5月 国指定文化財。
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 ・記念碑説明抜粋
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 ・筑後川を渡る「渡し舟」や佐賀馬鉄の説明碑もあります。
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・大川から
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 ・徐福伝説 秦の始皇帝に願い出て、不老不死の薬草を求めて渡来した徐福が上陸した地、との伝説があります。国鉄佐賀線跡のサイクリングロードの名称の由来ですね。全国に徐福伝説はあり、佐賀県内にも他に伊万里上陸説があります。徐福が生きた始皇帝の治世は紀元前三世紀ですから、日本では弥生中期にあたり、吉野ケ里が環濠集落への発展途上と推定される時代です。佐賀・久留米間の西鉄バス江見線が走る国道264号が当時の海岸線(沿線に貝塚が多い)ですから、実際の上陸地は千代田あたりでかも知れません。海岸線の南下に伴い伝承も南下してきたとも思われます。但し、歴史ロマンとしては分かりやすい土地ですね。
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 ☆国鉄佐賀線、佐賀市内の駅:佐賀駅、東佐賀駅、南佐賀駅、光法(みつのり)駅、諸富(もろとみ)駅の5駅がありました。佐賀線ではディーゼル急行「ちくご」が熊本⇔長崎が運行されていました。
 ☆国鉄佐賀線橋梁のレールの意匠がある市道「新曙橋」平成25年3月竣工。(29)蓮池・橋津と(28)今宿・道崎のバス路線が渡ります。
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 ☆同じく八田江川には「佐賀線偲橋」平成5年3月竣工。親柱が「佐賀線を走るSL」の意匠に拍手!!
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 ・(21)諸富・橋津のバス路線となっています。
佐賀線偲橋 市営バス.jpg
 ☆国鉄佐賀線は昭和10年5月25日に開通しました。それまでは佐賀と諸富の間に馬鉄が通っていました。佐賀馬車鉄道(株)が明治37年(1904年)から、水ケ江の明治橋諸富まで運行を始め、翌年には旧市役所・御幸橋経由で旧佐賀駅まで延伸しています。大正元年(1912年)川上軌道と合併し佐賀軌道(株)になりましたが、昭和3年(1928年)6月、路線は馬から乗り合いバスにて代りました。横小路バス停前に病院長が個人で記念碑を立てています。病院の敷地には、当時の佐賀軌道(株)の本社がありました。
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 ・諸富鉄橋展望公園にも説明碑が有ります。「昭和2年、馬鉄に代わり6人乗りのバスが走るようになりました。」とありますが、佐賀市史では昭和3年6月26日馬鉄休止とあります。
諸富鉄橋展望公園 佐賀馬鉄.jpg
 ・ ☆現在市内を走るバス
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 ☆廃線つながりで話題をもう一つ!佐賀市役所の南東にある市役所前公園に「D51」が鎮座しています。説明版によりますとD51がのるレールは旧佐賀駅時の長崎本線のものとの事。市役所がここに新築移転したのが昭和50年(1975年)5月で、佐賀駅が高架で北に100㍍移動したのは昭和51年2月でした。
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D51説明パネル.jpg
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 ☆おまけ!「徐福」つながりでご紹介。金立にある徐福館に至る高速道路の手前に金立コスモス園があります。春は菜の花と桜で、隠れた人気スポットです。
金立コスモス園.jpg
金立コスモス園 菜の花.jpg

 廃線跡などどちらかと言えば侘しく荒廃した風景を想像してしまいますが、実際の国鉄佐賀線跡は市道やサイクリングロードに転換活用されています。
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春!城内の桜が満開です。 [故郷(佐賀)を歩く]

 多布施川は護国神社より東に向かい県県本部より北濠を越えて城内に流れます。
■北濠の桜
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県庁 北濠の桜.jpg
県庁 北濠の桜 2.jpg
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県庁 北濠の桜と楠.jpg
県庁 北濠の桜と楠 1.jpg

■母校旧正門周囲の桜
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母校 校庭の桜 市道より.jpg

■西御門橋より南、西濠の桜
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■南濠の桜
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 ☆南濠の周囲には、(古賀忠雄 彫刻の森:平成6年3月開園)古賀氏の代表的な作品の野外展示が26体あります。桜並木と共に数点ご紹介します。
・「頬杖をつく」昭和49年(1974年)
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・「沼の幻想」昭和43年(1968年)
南濠の桜 ブロンズ 沼の幻想.jpg
・「想い」昭和43年(1968年)
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・「語らい」昭和42年(1967年)
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 ・「青雲」昭和38年(1963年)
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 南濠 楠に桜に蓮
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 ■枝吉神陽・副島種臣、兄弟の生誕地 南濠の遊歩道に沿った堀端南通りに佐賀県社会福祉会館があります。ここは、文化年間・佐賀御城下絵図には「枝吉 栄」と記され偉人の誕生地です。
 枝吉神陽は弘道館教授・枝吉南濠種彰の長男にて身長は180㎝の大男、のちに弘道館教授。父の勤王思想を受け継ぎ「義祭同盟」を主宰、政治体制は律令制が理想しその知識を伝授、実弟の副島種臣、従弟の島義勇、大木喬任、大隈重信、江藤新平などに多大な影響を与えています。23歳の時昌平黌に学び、昌平黌の舎長になるほどで、この時「一君論」を展開しています。水戸学の大家で徳川斉昭の側用人でもあった藤田東湖とも交流しています。また吉田松陰は長崎・平戸遊学の途中に佐賀で八歳年上の神陽と面談し「奇男子」と評しています。コレラに罹った妻の看病及び葬儀を出して罹患し、神陽が悲願とした大政奉還の5年前の文久2年(1862年)9月に41歳で亡くなっています。
枝吉神陽・副島種臣、兄弟の生誕地.jpg
枝吉神陽・副島種臣、兄弟の生誕地 説明版.jpg
  ☆枝吉神陽・副島種臣の墓所は「高伝院」にあり、神陽の功績を伝える顕彰石碑があり、説明版もあります。
枝吉神陽・副島種臣の墓所.jpg
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 ■南濠の遊歩道には南濠の石垣が移築再現されています。
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 ・南濠より本丸御殿を望む
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 ・亀甲石垣より南濠の桜並木
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 ・南濠桜並木より赤松小学校正門
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 南濠の東端側より望む
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 ☆龍造寺隆信!生誕地 南濠の南、赤松小学校の東側は戦国期、水ケ江城がありました。水ケ江竜造寺氏の居城です。龍造寺隆信は享禄2年(1529年)水ケ江城東館天神屋敷で生まれています。7歳の時に宝琳院で出家しますが、天文15年(1546年)還俗して水ケ江家を継ぎ、天文17年には本家の村中龍造寺家も継ぎ、龍造寺家の当主となり、山城守隆信と称しました。天正年間には五州二島(壱岐・対馬)の太守と言われ龍造寺全盛を築きましたが、天正12年(1584年)3月、沖田畷の戦いで戦死を遂げています。
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 ・龍造寺隆信胞衣塚(えなづか):胎盤を納めた塚で、誕生碑の左後方にあります。
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 ☆島原市にある龍造寺隆信供養塔
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島原市にある龍造寺隆信供養塔1.jpg
島原市にある龍造寺隆信供養塔 説明版.jpg
 ☆墓所は、藩祖鍋島直茂公が隆信の菩提寺として佐賀城の鬼門に建立した宗龍寺に有りましたが、明治以降高伝寺に移されています。
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 ■城内・本丸の桜
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 ・鯱の門、石垣に桜
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 ・天守台入口の桜
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天守台 入口 桜.jpg
 ・天守台より本丸を望む
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 ・本丸より天守台を仰ぐ
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 ・旧赤松小学校跡に復元された石垣土塁
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 ・本丸歴史館西門横にある赤松小学校跡記念碑
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赤松小学校跡記念碑1.jpg 赤松小学校は明治41年4月創立、平成5年に佐賀城本丸歴史館建設により、旧城南中学校跡に移転しています。移転後発掘調査を実施、本丸西側に石垣土塁の遺構が確認され、当時の絵図も参考にして「西側土塁石垣」「南西隅櫓台(亀甲乱積石垣)」が復元されています。


・南西隅櫓台より天守台を望む 左手の緑窪地は堀跡
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 ・南濠より南西隅櫓台と土塁 ここには旧赤松小学校の校舎が有りました。
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 ・整備された二の丸広場
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 ■成美女学校跡の桜
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 ■佐賀高等女学校跡の桜
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 ■万部島の桜 多布施川に石橋が掛かり、静かな花見スポットです。 
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静かな花見スポット.jpg
万部島の桜 ライトアップ.jpg
 大濠公園・福岡城址・西公園のにぎやかなお花見とは違い、佐賀城城内は静かなお花見スポットでした。

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春!川辺の桜が満開です。 [故郷(佐賀)を歩く]

 ・佐賀県庁 お堀に桜と大楠
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 今年(平成29年)、佐賀の桜は平年より6日遅く、昨年より7日遅い3月30日(木)に開花となりました。満開となりました今週末の8日・9日は市内のお花見スポットは老若男女で賑わっていました。今年、天候にはあまり恵まれず見栄えの良し写真は撮れませんでしたが、懐かしの佐賀の桜スポット!川上・嘉瀬・多布施川の水辺をご案内いたします。
 ■川上峡周辺の桜
  川上川 水上をおよぐ鯉に桜
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 朱色の官人橋 昭和28年(1953年)3月に完成した鉄製トラスト橋。成富兵庫茂安により江戸初期に板橋が架けられ、土橋・コンクリート橋となり大正前までは「勧進橋」と表記されていました。昭和24年の水害で流されたため現在の橋が架けられています。平成21年(2009年)10月から化粧直しの塗装工事を実施、與止日女神社への参道橋でもあり、朱色を3度塗り重ねて新年を迎えています。
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 官人橋よりの風景 右手は肥前の国一宮、與止日女神社(よどひめじんじゃ)、左奥に川上頭首工が見えます。昭和35年8月完成、平成19年3月全面補修、機能拡大しています。
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 與止日女神社西門 県重要文化財 室町後期に創建され、今川の戦いで一部焼失し、元亀4年(1573年)に修復再建、昭和48年に大修理が行われています。柱は楠材で創建時のものと伝わります。
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 川上川の風景2点
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 ■石井樋の桜
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 石井樋は現存する日本最古の取水施設です。よく知られていますように成富兵庫茂安より江戸初期の元和年間(1615~1623年)に造られています。昭和35年(1960年)8月、上流に川上頭首工が完成するまで、多布施川の取水口であり、流域の水害防止の役目がありました。その後は水も流れなくなり埋没、昭和38年の大洪水で大井手堰も壊れてしまいましたが、平成17年に石井樋地区歴史的水辺整備事業により復元されています。
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 忠実に復元し更に保護の為、石を積み増した「象の鼻」、手前は「天狗の鼻」。奥の水流は、流れはこれより「川上川」から「嘉瀬川」となります。
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 成富兵庫茂安の功績を讃える「水功之碑」 明治24年建立。碑面の題字は副島種臣の書、碑文は久米邦武(弘道館記念碑の撰者)の撰、書は武富誠修。
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 ■多布施川河畔公園 昭和49年に都市計画公園として決定され整備・維持が図られています。
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 桜に菜の花、レンゲ畑。 画面右奥に医学部
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 長瀬天満宮の桜 天満宮の四脚門は宝永2年1705年造立。社殿造営は永正10年(1513年)、のち鍋島勝茂公により補修との記録が残っています。社殿前の狛犬の形が面白いですよ。
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 ■神野公園 佐賀藩十代藩主鍋島直正公の別邸として弘化3年(1846年)に造られ、別名「神野のお茶屋」。大正12年(1923年)に鍋島家より佐賀市に寄贈され公園となりました。
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 隔林亭(かくりんてい) 別邸の茶室と建てられたましたが昭和35年(1960年)老朽化により解体、20数年後「隔林亭文書」の発見により、一枚の写真と古図を基に平成5年(1993年)に復元されました。見学無料
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隔林亭 桜.jpg
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 神野公園前の多布施川の桜並木 昭和30年代まで、ここは水泳場でした。神野公園より川向、東北側(西神野)には佐賀競馬場があり、多布施川通りなどの道端には、日常的に馬糞が落ちていました。昭和47年(1972年)鳥栖に移転。
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 ■多布施川の桜並木 佐賀工業高校の先まで並木は続きます。
 昭和橋(大正14年架橋)から多布施川橋梁まで
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 多布施川橋梁と多布施踏切
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 佐賀県立佐賀農業高等学校発祥の地・碑  大井手分水工近くにあります。多布施川と天祐川に分かれる「緑小路」に明治28年佐賀県簡易農学校として開校、県立佐賀農学校となり、大正10年白石に移転しています。創立百周年を記念して平成6年10月建立。
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多布施橋の桜
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 佐賀県立佐賀工業高等学校の東側を流れる多布施川及び多布施川通り
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佐賀工業高校の東を流れる多布施川 多布施川通り.jpg
 多布施川新橋と佐賀藩科学技術研究所(製煉方)跡碑 佐賀藩が嘉永5年(1852年)11月設けた理化学研究所。蒸気機関や電信機の研究にまで多岐にわたりました。記念碑は昭和60年建立
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 「さかえばし」と佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑(昭和60年建立)
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 ☆多布施公儀石火矢鋳立所とも言います。石火矢は大砲の事です。嘉永6年(1853年)ペリーの浦賀来航に危機感を持った江戸幕府が佐賀藩に鉄製大砲鋳造を依頼し、ここ多布施に反射炉が築かれました。大砲は江戸・品川に築かれた砲台に備えられました。レインボーブリッジ脚下にある「台場公園」などに遺構があります。
 ■護国神社前の多布施川 昭和57年から毎年7月中旬から8月中旬まで、この辺は遊水場となり子供たちの歓声で賑わいます。
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 神野公園や多布施川の土手を北上し川上まで遠足を経験された同窓も多いと思います。多布施川の川幅は改めてみますと、心なしか小さくなったように感じてしまいます。
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佐賀城内散策!堀端 編 [故郷(佐賀)を歩く]

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 母校がある城内の周囲、県庁の展望ホールから見える佐賀城の堀端を中心に城内を巡ります。
 平成3年度に「佐賀城公園まち構想」が策定されました。①鯱の門周辺の整備(佐賀城本丸歴史館オープン・東濠の復元整備・NHK佐賀放送局等の移転)、②多布施川の整備、③北濠の堀越道路(平成9年)④西の御門橋の整備(平成21年)、⑤西城内マンション問題(平成13年)により景観ガイドラインを作成です。今日まで、歴史及び文化・水と緑・生活・文教・にぎわいのある街の創生に向けて城内の整備が図られています。
 ・佐賀県庁・・県庁舎は昭和24年2月(1949年)明治以来の庁舎が火災で焼失、昭和25年12月に(1950年)本館が落成。隣接する県警本部移転跡に新行政棟が1期・平成3年(1991年)、2期平成6年(1994年)に竣工しています。行政棟の最上階には展望ホールがあり、市内全域の景色が楽しめます。
(展望レストラン有)https://tabelog.com/saga/A4101/A410101/41000396/
 ■開館時間■ *西高ファイヤーストームが見下ろせます!!
 平日(開庁日)8:30~22:00 土曜(閉庁日)10:00~22:00
          日曜・祝日(閉庁日)10:00~21:00
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 ・県庁展望ホールより・・母校の後方には「雲仙普賢岳」が遠望できます。佐賀城内から有明海を挟んだ真南の位置、雲仙山麓に長崎県雲仙市国見町神代(こうじろ)があります。ここは佐賀藩の飛び地にて、藩祖鍋島直茂の諸兄・鍋島信房を初代とする神代鍋島家が6,263石で統治し、本藩大組頭「家老」の家格でした。
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 ☆・有明の海を飛んで、神代小路(こうじろこうじ)のご紹介
 寛文3年(1663年)神代・第4代鍋島嵩就(たかなり)が佐賀から居を移して、武家屋敷などを整備し、今日まで江戸期の街並みが保たれています。平成17年(2005年)7月、「国の重要伝統的建造物群保存地区」となっています。
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 ・・国見神代小路歴史文化公園鍋島邸 佐賀藩神代領の領主陣屋後に建てられた邸宅で、江戸中期(隠居棟)江戸末期(長屋門)・明治中期・大正期(御座所、書院)・昭和初期(玄関・主屋)の建物5棟は国指定重要文化財。平成の代まで子孫が生活されていましたが、東京在住の当主より平成16年(2004年)敷地は地元自治体に売却、建物を無償譲渡され、平成26年2月より邸内の有料見学(大人300円)ができるようになっています。長屋門は江戸末期の慶応元年(1865年)建築です。
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 正面玄関及び主屋 昭和5年(1930年)第16代当主鍋島佳次郎(外交官・駐ベルギー公使・貴族院議員)の晩年に建築。近代和風建築において九州を代表する秀作。
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 邸内にある境界石柱
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  神代の街並み
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 神代鍋島第4代嵩就の寛文10年(1670年)から造林を始めたと伝わります。嵩就は善政を敷いたことから領民にも慕われ、地元の新村神社に祀られています。
 明治となり版籍奉還で知行地はなくなりましたが、副島種臣などの尽力もあり、一部が旧領主と村に折半で返還されています。その後は江戸期から続く林業で潤っていたことから、旧佐賀藩上級家臣団で唯一今日まで、屋敷を拡大・維持できたようです。地域も豊かであったことから、陣屋周囲の景観が江戸期のまま残されたとも考えられます。
  尚、林業は鍋島林業(株)に継承され、「奥山水源の森」などを所有しています。水源の保全や持続可能な林業経営と「保残木施業」を考案し計画的に間伐していることから、県の展示林に指定されています。
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 佐賀城内に戻ります・・・母校の東側を通る多布施川水辺が整備されています。藩政時代、多布施川は城内へのライフラインであり、清流保全もあり、護岸は「みだれ積み」や「布積みの」技法の石垣で築かれています。また、母校西側の一角(休館した若楠会館の南側)でマンション建設計画が提示されましたが、市(佐賀市土地開発公社)が土地を買い取る(現在は空き地)事で景観保全が維持されています。現在城下の指定地域では建物の高さは基本10m、屋外広告の設置は禁止となるようです。
 母校の敷地は藩政時代、龍造寺四家の武雄及び諫早屋敷でした。また若楠会館から母校敷地周辺は、龍造寺隆信の居城であった村中城址と推定されています。
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母校 校庭東 整備された多布施川より県庁.jpg
  ・・・佐賀駅から中央通りを経て、平成9年(1997年)に北濠に架橋(くすの栄橋)され、佐賀駅末次線が完成しました。この先は県道49号になり佐賀空港に至り、今では市営バスの空港線が運行しています。
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くすの栄橋 県庁より.jpg
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「中央大通り」は昭和39年(1964年)に開通しましたので、「くすの栄橋」の完成までは、通算33年の年月を要しました。元々の計画は昭和6年(1931年)に都市計画街路「佐賀駅中ノ館線」として策定されていますので、それからすると、実に66年もかかっています。
 
☆中央大通りは、戦後の昭和28年に駅前通りの佐銀本店前から貫通道路・郵便局前交差点までの1キロ強で街路新設及び改修工事が始まりましたが、旧城下町の中心部に幹線道路を通す事は、住民や商店街の利害が絡み合い大変時間がかかる事業となり、東京オリンピック直前の昭和39年8月に開通しました。開通式に参加もしくは沿道でパレードを見た同窓の方も多いのではないでしょうか。

 ・更地は商工会館跡地にて、NHK佐賀放送局が平成31年度に新築移転します。中央の緑地帯は旧市庁舎跡。左のビルは佐賀県警本部。
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 ☆佐賀市庁舎は、昭和50年5月(1975年)に現在の栄町1丁目に移転しています。移転先近くにJR佐賀駅が高架となり北100m程移動したのが、昭和51年2月でした。
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 ・北堀端、県警察本部から県会議事堂・母校への道・・現在県警本部建物のある場所は昭和初期「佐賀高等小学校」であり、現在の成章中学校敷地に新築移転した後は、佐賀警察署でした。昭和53年3月高木瀬の国道34号(北部バイパス)に移転新築の後、堀向いより県警本部が移転してきています。県警本部庁舎の左後方に「天山」が望めます。
 ☆県警本部より多布施川の西側は、文化年間の御城下絵図に依りますと「鍋島弥平左衛門」とあります。この時代、先述の神代鍋島家の当主は「弥平左衛門茂體(体)」ですので、ここは神代鍋島家の佐賀屋敷でした。
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  ・・母校の旧正門手前には「佐賀城北の門」があり、現在県議会棟西側歩道に紹介する柱が立っています。
 城内への生活用水を担った多布施川は、北堀と西堀の間の北の御門から城内に引き込まれていました。
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 ・西堀端・・県議会棟前から西御門橋まで、回遊散策路が整備され、見ごたえのある大楠や城濠が楽しめます。
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 ・ホテルニューオータニ佐賀から、西濠と西の御門橋
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 ・堀端西通りから
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 ・堀西通りの護岸工事(佐賀城西堀整備事業)が平成27年度から実施されています。崩落寸前の石積みを解体・修理し、石積み復元が進められています。佐賀城の堀は「四十間堀(約73m)」が基本のようですが、現在この幅は西堀だけのようです。全国の城郭・城址において、佐賀城の堀幅はトップクラスであり、平城防御の要でした。全国各地に城はありますが、佐賀城の魅力は、この保全された「濠」の風情にあります。
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 ・西御門橋より佐大前交差点までの「城内線」が平成21年度(2009年)に開通しています。城内線は水ケ江3丁目から佐大前までの市道改良工事として、昭和37年(1962年)に着工したと聞いていますので、ここも月日を要しています。
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 ・平成24年に1月に「佐賀城西御門と赤石護岸」の説明碑が設置されています。江戸期にあった橋と同じ構造で造られています。
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 ・南濠より西御門橋
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 ・「楠の木おばさん」顕彰碑 昭和25年(1950年)旧佐賀城内の楠20数本が伐採されようとした時、身を挺して伐採阻止行動を起こした「福田よし」は、当時の鍋島直紹知事に楠の保存を訴え、県知事も後援したことから、昭和28年(1953年)県天然記念物に指定され永久保存となりました。
 昭和29年には「県花」昭和41年「県木」に指定されています。昭和55年(1980年)地元自治会が「福田よし」を顕彰して建立しています。
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西堀端、濠と楠.jpg
 
 ・佐賀城址  佐賀城下再生百年構想のもと、整備が進められています。赤松小学校が旧城南中学校跡に移転し、本丸御殿が平成16年(2004年)に県立佐賀城本丸歴史館として、開館しています。入場無料(寄付歓迎)
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 ・鯱の門前は現在整地され、公園化が進められています。
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 ・鯱の門及び続櫓一棟は昭和32年(1957年)6月に国の重要文化財に指定され、当時は県立佐賀商業高等学校の正門でもありました。
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門の前には、佐賀商業の記念碑があります。佐賀商業 跡碑.jpg 佐賀商業は、明治40年(1907年)に佐賀市立として創立、以前佐賀中学校があった赤松一番地で開校、大正11年(1922年)4月に県立となり、昭和35年(1960年)11月に高木瀬に移転している。昭和52年(1977年)10月、創立70周年を記念し同窓会が建立。平成6(1994年)年8月、第76回全国高校野球選手権大会全国制覇。同校野球部は県下最多の春夏21回甲子園出場!羨ましい限りです。昭和57年(1982年)夏の甲子園初戦で、新谷博投手は9回二死まで完全試合でしたが、27人目の代打に死球を与え、惜しくも夏の完全試合達成はならず、ノーヒットノーランは達成しています。
 


 ・鯱の門に残る、明治7年(1874年)佐賀の役弾痕跡。江戸末期の天保9年(1874年)に本丸再建時に正門として造られています。明治に入り、本丸御殿は藩庁(のち県庁)となり、2月16日明治政府に不満を募らせた士族が県庁を襲撃して、佐賀の役が始まりました。2月23日には江藤新平が西郷隆盛に、28日島義勇が島津久光に助力を得ようとそれぞれ鹿児島に脱出しましたが不首尾となり、短期間で政府軍に鎮圧されています。
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 ・城内からの鯱の門 屋根に鎮座する鯱の製作者は藩御用鋳物師で、幕末反射炉建設運営で活躍した谷口家であり、「治工谷口清左衛門」の刻銘が残っています。
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 ・天守台 享保11年(1726年)の大火までは五層の天守閣がありました。(当時の城下絵図に明記されています。)この点、福岡城の天守閣は天守台は現存していますが、天守閣の全貌はよく判っていませんね。
 全国各地の城郭において天守台は造ったとしても、実際に天守閣は造られなかった例が多いと聞きます。唐津城も実際には天守がなく、観光目的の模擬天守閣が建っています。
 佐賀城は熊本城や福岡城とは違い、沖積平野の軟弱な地盤の上に縄張りがされています。城内は濠を掘った土の土塁で囲われましたが、本丸の天守台などは石垣で築かれました。築城後400数余年が経過していますが、当時の姿を留めています。
 周囲の発掘調査から、地番沈下を防ぐために、石垣の下にはぎっしり松材が敷かれているとみられています。
 戦後の学校などの新築工事で、未熟なくい打ちをして建物が傾いたり、使用不能になった例があったことからも、当時の石積みは佐賀の風土に適合した知恵が生かされたいます。
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 ・天守台へ 天守台の入り口は本丸から直接は登れず、一旦本丸を出て二の丸に向けてあります。城郭マニアが訪れては不思議がっていますね。
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 ・天守台からの眺め
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天守台からの眺め 鯱の門.jpg
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 *協和館 今、天守台は更地になっていますが、平成16年(2004年)佐賀城本丸歴史館開館まで、「協和館」という集会施設がありました(解体・撤去)。元々は、明治19年(1886年)、現在の佐賀郵便局当たりに建てられた県の社交場で、佐賀の鹿鳴館と呼ばれていました。明治27年(1894年)市が買い取り市役所庁舎となり戦後の昭和32年に、郵便局建設に伴い、天守台に移築されました。尚、遡ること明治20年には佐賀県立測候所が天守台に開設されていました。

☆佐賀城天守台発掘調査が平成平成23年から3ヶ年をかけて築城400記念事業として進められました。その結果、創建時の天守閣の概要が判明しています。
①礎石の配列規模から、天守1階は天守台一杯に建てられ(15×13.5間)である。
 天守1階の広さで比較しますと、熊本城(13×11間)、姫路城(13×10間)、小倉城(13×13間)、名古屋城(17×15間)ですので、江戸・大阪・名古屋城に次ぐ全国最大級の天守閣であったようです。あの姫路城大天守より大きかったとは!
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②天守の内部構造は礎石の配列から「書院造」、多数の蝶番が出土したことで窓は「突上げ戸」でした。
③天守外観は、「寛永御城并小路町図」 では屋根に破風がない四重の層塔式天守、その少し前の慶長年間に書かれた「佐嘉小城内絵図」では五層となっています。支藩の小城初代藩主元茂の「元茂公御年譜」には、佐賀城天守は黒田如水より小倉城天守の図面提供より慶長14年(1609年)完成とあります。しかし、如水(官兵衛 孝高)は慶長9年3月(1604年4月)には亡くなっていますし、関ケ原後、筑前52万石に移封し、江戸期の小倉城は細川忠興により慶長7年(1602年)から7年間の歳月で築城したようですので、これが真実かどうかは不明とも言えます。只、小倉城同じ「唐造り」の天守であったと推測されていますので、小倉城天守に類似した天守閣だったようです。
 佐賀城天守台発掘調査説明資料https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s36339_20131211105409.pdf 
 ・今は埋められていますが、本丸と三の丸(県立博物館&美術館がある)間にも内濠があり、痕跡が確認できます。
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 ・鍋島直正公銅像 再建! 平成29年(2017年)3月4日、生誕200年記念事業にて銅像再建除幕式がありました。 生誕100周年を記念して、大正2年(1913年)大隈重信候を委員長に、松原神社西側に建立されていましたが、残念なことに戦中時の金属回収令により供出となっています。
 目標の1億円を上回る1億4000万円の募金が集まり、鯱の門北側広場に再建されました。
 銅像は先代と同じ高さの4メートルで、直正公が建設を命じた「反射炉」をイメージした台座に立ち、西を向いています。
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・南濠 南濠の西側にはハスの群生が見られます。ハスの群生が平成になって一時消滅の危機があったと聞きました。佐賀大学などの調査の結果、最大の原因は外来種の「ミシシッピアカミミガメ」による食害と分かり、地元赤松小校区の住民協力もあり平成22年(2010年)5月から10月までカメの捕獲を展開した結果、今では昔の風景に戻っています。
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 ・8月にはハスの花が咲きます。
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 ・南濠 復元された「亀甲乱積石垣」と土塁。景観を損ねているNHKのテレビ塔も移転で無くなりますから、南堀端から眺める本丸の風景は数年で格段に良くなると思われます。
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 ・佐賀レトロ館 NHK佐賀放送局の前にあるレストラン。明治20年(1887年)警察部庁舎として現在の県庁本館付近に建築され、昭和11年警察本部建替えに伴い、現在地に移設、様々な施設として活用されていましたが、平成21年(2009年)レストランになっています。佐賀城下再生百年構想「二の丸プロジェクト、にぎわい・もてなし」拠点です。
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 ・佐賀城下再生百年構想イメージ図 
   http://www.pref.saga.lg.jp/kiji00313187/3_13187_5_sagazyou.pdf
 ・東濠、一部を復元! 東堀は昭和初期に埋められています。これを平成22年(2010年)から復元工事が始まっています。NHK佐賀放送局と龍谷高校と間です。
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 ・好生館 跡 平成25年(2013年)嘉瀬町に移転した病院敷地は更地になっていましたが、平成28年9月(2016年)に4団体複合施設(健診センターなど)の起工式があり、建設が始まっています。敷地は県から佐賀市に約2万3000平方㍍が返還され、跡地北側に健診センター等の複合施設が平成30年1月、中央に市医師会の看護専門学校および南側に「市立休日夜間こども診療所」が平成30年4月に運営開始の予定です。
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 ・佐賀県立佐賀工業学校跡碑 復元され東堀の南端に佐賀城内・裏御門がありました。この裏御門の濠を渡った場所に明治32年(1899年)3月、佐賀県工業学校(佐賀工業高校の前身)が新築移転して、昭和11年(1936年)12月に現在の田布施(現、緑小路1番1号)に移転するまでありました。
 現在、龍谷こども園入り口に、記念碑が昭和52年4月に建立されています。
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 ・万部島 NHK佐賀放送局より北に住宅地の路地を進むと「万部島」に出ます。江戸期ここは川に囲まれた島でした。佐賀藩歴代の藩主が建立した。法華経一万部読誦記念石塔群があります。初代・勝茂から11代直大までの11基で、国家安泰・万民安楽を祈願しています。
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 ・二基の六地蔵 この地の六地蔵は造立名から室町時代の代表的な石仏です。
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 ・佐賀の役招魂碑 明治7年佐賀戦争での戦没者を弔う碑で、明治18年に西の御門付近に建立、大正9年にこの地に移設されています。毎年4月13日(江藤新平・島義勇以下13名に死刑判決が下り、即日処刑された日)に慰霊祭が行われています。
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 ・「亀趺(きふ)」の贔屓(ひいき)は北を向いています。大正8年に特赦令により、江藤・島ら首謀者が赦免され、格式高い招魂碑となっています。
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 ・北濠 北堀端に貫通道路が通され、濠幅は小さくなっています。この濠は別名「筑前堀」と言われています。佐賀城普請時、黒田長政が支援してできた濠でした。返礼として鍋島直茂は福岡城普請時に「肥前堀」を支援しました。明治時代の福岡市内地図では「佐賀堀」となっています。
 福岡城三の丸(裁判所)の東堀から更に東に延び那珂川に通じる堀を作る際、西から「赤坂門」、「薬院門」、「数馬門」を設置し、薬院門(現在の旧大名小学校)までは「中堀」、薬院門から那珂川間を肥前堀(佐賀堀)と呼んでいました。この濠は幅30~35間(60㍍内外)の水堀で、明治43年に産業博覧会開催為に埋められています。
 埋め立てられた堀跡には、大名の飲食街、岩田屋本店・ソラリアプラザ・天神地下街、福岡市役所などがあり、九州を代表する繁華街となっています。
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 ・天神地下街には、「肥前堀」を意図した壁面があります。ご存じでいたか? 天神地下街の7番から8番街の壁面は石垣をイメージした作りになっています。またここの広場は「石積みの広場」と呼ばれています。
 ☆関ケ原後、西軍であった佐賀藩は苦しい立場となっていましたが、東軍の黒田如水の誘いを受け、如水の説得を拒否した柳川城攻めに参戦しています。北進してきた加藤清正も加わったことから立花宗茂は降伏・開城しています(所説あり)。この時、明け渡された城は、成富兵庫茂安が受け取っています。
 「肥前堀」を紹介するブログなどの一部に、「黒田如水(もしくは長政)の口添えで、佐賀藩は関ケ原後の改易を免れた」との記述のみで、「筑前濠」に言及していないのは残念ですね。
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 ・佐嘉神社角交差点と天神西交差点 それぞれ城下の東北角に位置し、藩士の屋敷小路(桝形・クランク)の面影が残った交差点です。佐嘉神社角交差点は貫通道路ができる以前、天神西交差点と同じS字カーブでした。天神西交差点は今でもS字です。路面電車がここを通過するとき、つり革がぐるぐると回り、輪っかがガチャガチャと鳴く情景が思い出されます。今でも地下鉄で、このS字は体験できますね。
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 ・東濠跡 北堀(筑前濠)の東角から南濠へ東堀が有りましたが、昭和初期に鍋島家から払い下げを受け、埋め立てられ、現在では駐車場になっています。駐車場出入り口西側の北堀端には、貸しボートの発着場がありました。先に紹介しました通り、東濠の南側は復元工事が進んでいます。
 現在の市村記念体育館の東側に残る土塁が分断されているところ、城内東の出入口である「東御門」がありました。
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 ・宗龍寺 江戸期、東御門から土橋で東濠を渡った先には、鍋島山城(御親類筆頭、白石2万余石)の佐賀屋敷がありました。初代直弘は、初代藩主勝茂の四男にて、まず佐賀城下の治水・城下整備に貢献した成富兵庫茂安の養子となり、成富山城守と名乗っていました。茂安死去後、勝茂から改めて鍋島姓と白石に領地を与えられ、白石に館を構えました。
 隣接して、藩祖・鍋島直茂が龍造寺山城守隆信の冥福を祈る菩提寺の「宗龍寺(宗龍禅寺)」があり、宗龍寺の東向かいは鍋島山城抱地でした。
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宗龍寺本堂入り口では、龍造寺の家紋「十二日足紋」と「杏葉(ぎょうよう)紋」が目に留まります。大友氏の象徴であった杏葉紋は、大友軍を夜襲で撃破した今山の戦勝記念として用いるようになりました。この戦いで最大の功績を上げ、のちに龍造寺氏を継承した、鍋島氏の定紋ともなり、江戸後期には「鍋島杏葉」として変化し本家は「筋杏葉紋」、本家の女性や子供及び分家は「花杏葉紋」となっています。杏葉紋は馬具の装飾品から文様に転じた意匠でとのことです。
 
 ・佐賀市民会館 明治となり、佐賀の役で焼失した三の丸御館が山城守抱え地に移転しました。のちの鍋島11代直大の佐賀別邸「侯爵鍋島家内庫所」です。時代は下り、昭和40年ごろに建物は、武雄の御船山観光ホテル(鍋島越後・武雄領主鍋島茂義の別邸地、御船山楽園)に移築され、現在では「萩野尾園 別邸 内庫所」として宿泊出来ます。移築後、跡地に昭和41年(1966年)4月開館したので、佐賀市民会館でした。
 市民会館は、1031席の本格的な音響・舞台装置を備えた多目的ホールでしたので、母校をはじめ数多くの学校が定演や発表会を開催していました。残念ではありますが、老朽化による耐震強度不足及び改修が現実的ではないとの判断から、平成28年4月より休館となっています。平成元年(1989年)10月、高木瀬(日の出町)に開館の佐賀市文化会館がありますので、閉館も仕方のないことかもしれません。昭和38年(1963年)10月開館で、優良ホール100選の福岡市民会館は現役バリバリです。余談ですが、優良ホール100選には、佐賀県で「武雄市文化会館」が選定されています。
 市民会館は平成29年(2017年)7月から解体工事に着手の予定で、当面は駐車場にして跡地利用を、検討するとしています。
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 ☆市民会館跡地は城内→万部島→佐嘉神社→柳町への観光動線上に位置しますので、明治期・大正期の鍋島家関連で、侯爵鍋島家佐賀内庫所の復元とか、関東大震災で倒壊した永田町西洋館の再現なども、面白いと思うのですが!

 平成18年(2006年)制定の「日本100名城」に佐賀城があります。佐賀県では、名護屋城と吉野ケ里遺跡の三か所で、福岡県は福岡城と大野城の二か所です。これまでの佐賀城は地味な存在と思っていましたが、城内を巡ってみて歴史公園として整備・保存が推進され、新しい発見も多くありました。
 県庁展望ホールから雲仙岳が望めたことから神代鍋島の事を知り、北濠周辺では福岡との意外な縁を知りました。
 これからも、「歴史公園100選」及び「日本の都市公園100選」である城内の整備・充実が進められる事でしょうから、故郷での散策などの楽しみが増えますね。

 ☆「さが維新博」が平成29年(2018年)3月から翌30年1月の10ヶ月間開催されます。
 ホームページがアップされています。https://www.saga-hizen150.com/

☆佐賀城内散策!堀端 編 参考資料
 ① 佐賀市史        https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
 ② 佐賀の歴史・文化お宝帳 http://www.saga-otakara.jp/
 ③ 佐賀市歴史探訪     https://www.city.saga.lg.jp/main/3859.html
 ④ 佐賀県立図書館デジタルデータベース 近代地図目録:佐賀市(大正~昭和30年代)
 ⑤ 徴古館収蔵品データベースと佐賀御城下絵図(翻刻図)文化年間
 ⑥ 雲仙市国見神代小路歴史文化公園鍋島邸
 ⑦ 角川日本地名大辞典
 ⑧ 福岡市HP、佐賀県HP、佐賀市HP、長崎県HP、雲仙市HP 
 ⑨ 福岡県立図書館 郷土資料室 デジタルライブラリー
 ⑩ 鍋島直正公銅像再建委員会HP
 

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