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戦争末期から戦後が青春時代! [トピックス・同窓投稿]

佐高2回生 中島 洋

 私は昭和20年4月に、旧制佐賀中学校に入学しました。
 戦争末期であり、上級生の姿はなく、新二年生が上級生風を吹かせていました。五年生は実質存在しなかったと思われます。三、四年は軍需工場へ動員され、在校されていなかったのです。
 何時であったか時期ははっきり記憶していませんが、二年生が全員居なくなりました。先生から通信兵として、徴用されたと知らされました。
 私達も食糧難から干拓地や金立山の開墾、農家への麦刈り奉仕等に、追われていました。
 学校では運動場の塀に沿って耕され、南瓜や甘藷等が植えられていました。
 敗戦迄の一時期、一年生も飛行場の爆撃跡の整備の為、交代で動員されていたのです。
 中学校には軍事訓練の為、配属将校が配属されていたのですが、末期にはその人員もなくなり、購買部の職員であった方が、昔、下士官であったことから、指導されることとなる一幕もありました。

 戦争が終わると、動員組も帰校し、軍隊からも続々と帰還され、大変な賑わいとなりました。
 更に日時を経て、中国・朝鮮・台湾等から引き揚げた学生が転入して来たのです。
 混乱が続いているある日の朝礼で、校長先生が訓示を行っていたのですが、その中で「マッカーサーさん」がと言われた時、ブーイングが起り止りませんでした。
 その後、四年生を中心にストライキが起りました。私達低学年には内容は知らされないまま。終息していました。

 インフレはひどく。物資はなく、パン一個買うにも食券が無いと買う事も出来ない有様でした。

 学制の変更があり、新制中学生となり、男女共学へと進んで行きました。
佐高1回生卒業クラス写真.jpg
 *スカーフの女性は成美、他の女性は高女出身。男性の服装も、まちまちであった。

 八十も半ばとなった今、仲良く福岡地区の同期会を行っています。

*佐中・佐高、学校変革より
 昭和20年(1945年)
・3月 戦時特例として5・4年生を同時に卒業させる。
・8月 4年生は長崎県川棚海軍工廠、3年生は大日本化学諸富工場(現在、味の素(株)佐賀工場) に動員中であった。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」を募っています。
投稿よろしくお願いいたします。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com

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吹奏楽部!定演 事始め  [トピックス・同窓投稿]

 今年:平成28年(2016年)3月26日(土)佐賀市文化会館にて,第46回定期演奏会『純』が開催されました。遡ること40数年前、今では還暦を過ぎたOB&OGが始めた事が続いています。
 この度同部同窓より、第2回~6回の定演パンフレットなどの資料を見せて頂く機会がありましたので、ご紹介します。

*母校吹奏楽部は昭和39年創部

第1回定期演奏会 昭和45年(1970年) 5月 本校講堂にて開催
*西高6回生が3年生。大阪万国博覧会がこの年3月14日~9月13日迄開催。
*手作り開催で、パンフレットはありません。
*この年は県のコンクールで優勝し、鹿児島での西部大会(当時)に出場しました。連休前の満員の夜行列車に乗り難儀して出場した事も、今では懐かしい思い出です。
西部吹奏楽コンクール パンフ表紙.jpg

西部吹奏楽コンクール 出場写真.jpg
指揮 神代 正之 部員36名 結果 7位(吹奏楽Cデータベース)
課題曲:音楽祭のプレリュード(アルフレッド・リード)
自由曲:バンドのための序曲 (P.W.Whear)*現在では「ベレロフォン序曲」
*首里高校「結果2位」の後10番目に演奏。西部大会には13高校出場、1位は嘉穂高校。

第2回定期演奏会 昭和46年(1971年)5月16日(日) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙と内表紙
第2回定演パンフ.jpg
*主催は「佐賀西高等学校吹奏楽部OB会」、在校生とOB会の悲願が実現。広告取り・パンフ・ポスターの作成、印刷所、舞台演出の交渉などなど、全て初めての経験であった。
*定演のチケット。当時入場料100円が演奏会時著作権フリーの上限であった。板垣退助肖像の100円紙幣がまだ普通に使用される、自販機の少ない時代でもあった。
第2回定演 チケット.jpg
■プログラム
1)  指揮 神代 正之
PROUD HERITAGE・・・・・・・・・・・・・・・WILLIAM LATMAN WAPAWEKKA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ALFRED REED
    指揮 坂井 達己
FUGUE IN G MINOR・・・・・・・・・・・・・・JOHANN S BACH
SINFONIA NOBILISSIMA FOR BAND・・・・・・・ROBERT JAGER
2)  指揮 江上 伊織
LAWRENCE OF ARABIA・・・・・・・・・・・・MAURICE JARRE
赤とんぼ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田 耕筰
五つ木の子守歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九州 民謡
こきりこ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・富山県民謡
一週間のうた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ロシア民謡
おお!ブルネリ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スイス民謡
THE SOUND OF THE TIJUANA BRASS
( A Tast of Honey, The Lonely Bull, Tijuana Taxi and El Lobo )
3)  指揮 神代 正之
ELSA'S PROSESSION TO CATHEDRAL FROM "LOHENGRIN" ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・RICHARD WAGNER
SYMPHONY No.5 FINALE・・・・・・・・・・D.SHOSTAKOVICH
第2回定演 集合写真.jpg
*在校生36名・OB会17名、計53名。
第3回定期演奏会 昭和47年(1972年)5月5日(金・祝) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙と内表紙
第3回定演パンフ.jpg
*第3回定演・プログラム
第3回定演 プログラム 圧縮.jpg
*第3回の目玉は、ロシアの作曲家モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー( Моде?ст Петро?вич Му?соргский)の組曲「展覧会の絵」(原曲はピアノ曲)全曲演奏。
*第3回定演・記念レコード
第3回定演 レコード .jpg
第4回定期演奏会 昭和48年(1973年)5月6日(日) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙と内表紙
第4回定演パンフ.jpg
*第4回定演・プログラム
第4回定演 プログラム.jpg
*パンフの中に当時の部員たちの日常を紹介した一文が載ってます。
■ 練習風景 ■
 特訓最後の日は午後からのたのしい神野公園への遠足
 遊園地での出来事・・・我らのS君は観覧車にのりこみ、一周する間に、西高校歌をみごとさけびちらした、園内の人々の視線はすべてS君の乗った観覧車に注がれていた。私たちは、おりてくる彼を拍手でむかえたけど、観覧車のおばさん曰く「あんた飲んどろ?」我らのS君曰く「大人は飲まなきゃ歌えないけど、高校生はしらふで歌える」だって。おそれいります。
 遊園地を出てインド人の黒ンボ。「インド人の黒ンボ」パットとふり返る。「あんた動いたやんネ」「うんにゃ、動いとらん」「なんてえ、動いたやんネ」とまあこんな感じで、恥も外聞もなく遊びました。隣では、馬乗りがはじまったのです。その中に一人おなごが混じっての大奮闘。
第5回定期演奏会 昭和49年(1974年)5月5日(日) 午後2:30 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙とプログラム
第5回定演 プログラム 2.jpg
*この年、指導者が神代先生から江上先生となった。この回のOB会会長のあいさつ文にそのことが触れられています。
 本日はお忙しい中、私どもの演奏会にご来場いただきましてありがとうございます。
第一回を学校の講堂でささやかに開いたことや楽器が足りなくて市内の学校をかけずり回って借り集めたり、チャイムをNHKや久留米のブリジストン工場まで借りに行ったことなどを思い出しますと、今日まで五回にわたりこうして演奏会を開いてこられたのも、ここにご来場の皆様方の温かいご支援の賜物だと感謝したしております。
 今年は、佐高・西高と26年にわたりご指導していただいた神代正之先生が職を退かれました。私達部員OB一同ねぎらいと感謝の意を表しますと共に、今年から新進気鋭の江上耕思先生を迎え新たな気持ちでこの演奏会に取り組んでまいりました。今日の演奏会はそうした神代先生への感謝と江上先生の出発の大音楽会にしようと思います。
 どうか最後までごゆっくりおききください。
佐賀西高等学校吹奏楽部OB会 会長 吉原 敏郎
第6回定期演奏会 昭和50年(1975年)5月4日(日) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙とプログラム
第6回定演 プログラム 2.jpg
第6回定演 プログラム 思い出 1.jpg
ー 思い出ーー
 8月10日 佐賀県大会 金賞
 8月23日 夏季遠足(日の隈山)
 9月12日 西高文化祭
10月13日 西部吹奏楽コンクール 銅賞受賞 大分
12月25日 Xmasチャリティーコンサート 市民会館
 2月23日 アンサンブルコンテスト 成章中
 4月 1日 春季遠足 森林公園
ー西部吹奏楽コンクール(大分)ーー
前日 8時45分 西高出発 はよ帰ろうごたっ!
12時30分 練習場着(豊和会館)
ああ、腹減った。はよ!メシにしゅ!
17時30分 旅館(富士観光ホテル)着
さぁ、芸者を呼ぼう!!!
13日 7時 起床
旅館のそばの海岸でロングトーン
客の声「やかましか! やめろ!!」
 9時 練習場着(中島小)
首里高といっしょ。ぐらいした
11時45分 チューニング室
いっちょんあわん。もうこれくらいでよか!
12時 演奏
もう昼とけ、が~んくだらんことして、
はよメシにしゅう。このあと、首里演奏
ぐらいした。あ~あ、はよ帰ろう!
17時30分 大分 発
もう一日とまろうごたっ!!
21時 西高 着
ねぶか~!はよ帰って。クソたれて、にゅう!
ところで成績は・・・・・・・・?
************************* *昭和49年第19回西部大会、課題曲:吹奏楽のためのシンフォニア(小林徹)自由曲:第3組曲(スピアーズ)。23高校が出場し、結果は金賞3・銀賞2・銅賞3(西高)、西高の後に演奏した首里高が代表に選出。(吹奏楽コンクールデータベースより)
*この年、佐高以来の音楽室(部室兼練習場)が新校舎建設ため、取り壊された。[演劇]
 □ □ 付 録 □ □
*第24回西部吹奏楽コンクールに佐賀北高とともに、県代表として出場。
第24回西部吹奏楽コンクール パンフ.jpg
課題曲:幻想曲"幼き日の思い出"(藤田 玄播)
自由曲:シンフォニック・ムーブメント(V.ネリベル)「交響曲的断章」とも表記。
指 揮:江上 耕思 部員:37名 結果:銀賞
2日目8月28日、27校の14番目に登場
↓ YouTube「佐賀西高吹奏楽部第24回西部吹奏楽コンクール課題曲
https://www.youtube.com/watch?v=EjaHmQftPSo
↓ YouTube「佐賀西高吹奏楽部第24回西部吹奏楽コンクール自由曲
https://www.youtube.com/watch?v=JCP3B4wogtk
第24回西部吹奏楽コンクール 半券.jpg
*コメント投稿を待ってます。同窓交流活性化の為、卒業回生数(卒業年)・氏名の明記をお願いします。
福岡栄城会HPでは、同窓からの「思い出エッセイ」を熱烈に呼び掛けております。 高校時代の「部・サークル活動の思い出」など、どしどし投稿ください。
[mail to] eijo.fukuoka@gmail.com

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母校・ファイヤーストーム [トピックス・同窓投稿]

母校ファイヤーストーム 全景.jpg

 台風12号の影響で9月9日(金)に開催が変更となったストームの模様をご紹介します。
 入学時学年男子数は3年生・144名、2年生・128名、1年生・153名であり、およそ400名の雄叫びであった。

*掲載の動画はスマフォ・携帯には対応していません。ご了承ください。

■先ずは校舎を駆ける
母校ファイヤーストーム 校舎を駆ける.jpg

■日没前に、リーダー入場
母校ファイヤーストーム リーダー入場.jpg ■聖火入場
母校ファイヤーストーム 火入れ1.jpg ■ストーム情景
ストーム 情景 1.jpg
■ 薪くべ 投油 ■
給油1.jpg
給油2.jpg
ストーム 火炎 1.jpg
■ 校庭を疾走する
ストーム 情景 4.jpg
ストーム 情景 3.jpg
ストーム 火炎.jpg
闇夜のストーム.jpg
*スマフォのカメラ機能及び撮影者の技量に限界があり、1時間程で撮影は終了!!
■翌日は晴天の体育祭、学校正門風景
体育祭 正門.jpg

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コメント頂きました。 [トピックス・同窓投稿]

当会HPに関東からコメントを頂きましたので、ご紹介いたします。

昭和37年卒・佐高13回生 高島徹
 参議院議員選挙で故郷佐賀から当選された福岡さんの経歴を調べていて、この福岡同窓会のHPの存在を知りました。早速アクセスして拝見すると高校時代過ごした三年間のことが記事に溢れていて懐かしく拝見致しました。
 S37年大学受験のため上京して以来故郷佐賀を離れ、現在北関東の茨城県に住み着きその間中・高校の同窓会に出席する数回帰郷しただけです。
 佐賀高校や城南中学の同級生との交流は東京で続いて今日に至っています。

高島先輩 水彩画 1.jpg
■ 残雪の白馬 ■
 小生は土浦市に在住し趣味の水彩画を楽しむ気ままな日常を過ごしていますが、水彩画のブログを作り作品を掲載しております。
 遥か彼方の北関東で描いている作品を見て頂ければ幸いです。
ご紹介しします。
blog タイトル:「趣味水彩」http://blog.goo.ne.jp/tthimajin1915

稲田禅房西念寺 水彩画.jpg
■ 稲田禅坊 西念寺 ■
追伸、県内には小生以外に37年卒の同級生が3人おられますが、それぞれ元気で第二の人生を過ごして居られます。
これからもこのHPを懐かしく拝見させて頂きたいと思います。

■ 作者のご了解を得ましたので、作品の一部をご紹介します ■

同窓からの作品を募集しています
 絵画・写真など趣味の作品を上記のように、同窓に紹介できます。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com
*先ずは、佐中・佐高・西高の卒業回生・卒業年・氏名を明記の上、
投稿して頂ける内容(例:写真50枚・カラー)をお知らせください。
HP運営委員会より、改めてメール致します。

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かつて、ファイヤーストームを昼間に実施したことがある! [トピックス・同窓投稿]

 今年は9月9日(金){台風12号の為7日を変更}に母校にて恒例のファイヤーストームが開催されます。
 母校沿革に拠りますと、昭和25年に旧制佐高の伝統を受け継ぎ始められたもので、60年を超えるイベントとなっています。
 ところで、「昭和29年10月 学校祭の前日、ファイヤーストームを(昼間)実施」との不思議な記載があります。
 つきましては、佐高8回生HP「佐高八期会ホームページ」に、その原因と如何にして「夜間ストーム」に戻したかを簡潔に書かれたエッセイがアップされていましたので、著者の許可を頂き、転載いたします。

ファイヤーストーム.jpg

佐高時代の思い出
佐高八期生・昭和32年3月卒業 石井 浩四郎
 私が3校分割前の佐高3年時に、創立80周年の記念祭に参加したことを思い出し、 この時の記念誌「栄城」を読み返して、一挙に懐かしさがこみあげてきた。私はこの記念誌には昭和31年、我々の3年時に実現した「夜間ストーム」について、 若き日の感慨を率直に表した一文を載せている。
 当時、旧制高校生に憧れて新制佐高で復活させたファイヤーストームだったが、 数年前に先輩方の当時の副校長をプールに放り込むという勇み足があり、 以来夜間ストームが禁止されていた。 止むを得ずファイヤーストームを体育祭の昼休みの真っ昼間に実施する有様で夜間ストーム の実現は我々当時の男子佐高在校生の悲願だった。
 私は佐高2年時に、佐高祭の前夜祭としての「夜間ストームの」実現を公約して立候補、 多数の支持を得て総務委員長に当選した。 委員長として「夜間ストーム」の実現のため学校側との折衝を開始したが、 学校側のガードが固くなかなか進まない。
 当時の学校側は我々の先輩方が起こした不祥事を考え「夜間ストーム」などとんでもないという。 生徒側は昼間のファイヤーストームなどナンセンスと団体交渉さながらに毎日学校側と交渉した。 この間我々の本気度を表すために、当時佐高祭で人気だったバザー券の返上運動を起こすとか、 果ては佐高祭のボイコットとかの声まで上がり、生徒側が抵抗した。
 結局この年は佐高祭の前夜祭として16時~18時に「薄暮ストーム」と言う形で妥協した。
 我々の願望の実現に一歩近づき、私が3年時の翌31年度にはまた同じような交渉を繰り返し後、 最終的に「夜間ストーム」が実現した。

ファイヤーストーム 1.jpg

 即ちある知恵者のアイディアで佐高祭の前夜祭として佐賀測候所が発表する正式な「日没時間」 から2時間のストーム実施と言う極めて科学的で分かりやすい結論だった。
 これで数年間に亘った夜間ストーム騒動は決着を見たが、 私の高校生活の心身の大半を捧げた大きな出来事で今思い出しても興奮してくるような一連の出来事だった。
  面白いことにこのストームが日没時間から2時間と言うルールで西高、 北高で今なお延々と続いているとの事、驚きと共に心の中では快哉を叫びたい気持ちだ。

ファイヤーストーム 2.jpg

* ファイヤーストームの思い出! 投稿、お待ちしております!!
eijo.fukuoka@gmail.com

■併せて、卒業50周年記念誌に石井先輩が投稿されたエッセイをご紹介します。

佐高卒業50年

佐高 校門.jpg もう50年も経ってしまった。昭和29年4月佐高の門をくぐったが、考えてみると昭和29年と言えば、終戦から10年も経っていない、いわばまだ混乱の時代だった筈だ。しかし振り返ってみれば我々の高校時代は物質的には恵まれなかったとしても、心豊かな楽しい時代だった。
佐高 朝礼.jpg 当時の佐高はご承知のように1学年20級1000人、全校で3000人という今では考えられないマンモス校だった。全校生徒が入れる講堂はなく全校集会は運動場という有様で、校舎も3つに分かれていた。
佐高 3校舎 配置図.jpg
*西校舎:旧佐賀中学校 東校舎:旧佐賀高等女学校 南校舎:旧成美高等女学校
 1年次には旧佐中の西校舎には行けないことが判っていたが、せめて東校舎にと思っていたがこれも見事にはずれ、最悪のぼろ校舎南校舎だったのでがっかり。それでも珍しく男女共学クラスだったのと、クラスは違っても同じ南校舎に中学時代からの“憧れの君”がいたのは幸せだった。窓越しに彼女の姿を追い続けたものだった。特に体育館で活躍している姿が私の席からちらちらと見え、その時間はいつもよそ見の連続だった。
 
 教師の思いで
 1年の時の担任は国語の犬塚先生、2年時は数学の元村先生、3年時は小寺先生それぞれに思い出深い。犬塚先生は同期の犬塚君のお父さん、元村先生は中学時代から教えを受けていたし、小寺先生には説教ばかり受けていてそれぞれ思い出深い。始業のベルと同時に現れる英語の「消防車」こと桜井先生「星落秋風五丈原」を教えて貰った漢文の江頭先生、後述のストームの件で心配を掛けた小日向先生、生徒会の世話役だった田中(文六)先生、小野先生も忘れがたい。3000人の生徒だから先生も多分150人を越えていたのではと思う。3年間で一体何人の先生に教えを受けたのだろうか。宮田校長の「天皇」に始まり、エボナイトのように色が黒いからと「エボ」、世界史の「部隊長」体育の「芋ン子」、化学の「ション八」生物の「ルート8」等々のニックネームも本名は忘れても忘れていない。
佐高創立80周年記念 教職員集合写真.jpg


新聞部生活
 1年の時は新聞部に所属した。新聞部の正式名称は「佐高新聞編集局」というもので何とも厳めしい呼び名で、部室はあこがれの西校舎の総務室の隣にあった。
 当時の新聞作成は部員数人で何の制約もなく自由に取材が出来何でも書くことが出来たが、割と健全で特に粋がって反体制的な事を書くことも無かった。
佐高 講堂 演壇.jpg 新聞部時代の最高の思いではs29年6月にノーベル賞の「湯川秀樹」博士にインタビューしたことだ。どういう経緯かは忘れたが、博士が佐高講堂で講演をされその後新聞部の記者として校長室でお目にかかりインタビューした。何をどうお尋ねしたかはすっかり忘れたが、当然この記事が1面トップを飾った。
 その次にやはり講演に来られた大先輩「高田保馬」先生にもインタビューしたのも思いで深い。佐高の新聞記者として1年生ながら大役を仰せつかったのは全くのラッキーといえる。しかし当時年10回のタブロイド版の新聞発行はかなり厳しい負担で、締め切り間際には原稿書きで何回も徹夜をしたが、家が近かったので良く母が心配して夜食を持ってきてくれた。
 当時新聞の印刷はどういう経緯か知らないが、福岡の西日本新聞社で印刷していた。原稿を書きあげ、割付を終ると原稿を新聞社に送り、ゲラが出来上がる頃を見計らって部員4~5人で福岡に出張、午前中に校正を終わると午後一杯夕方までが自由時間で良く皆で中州や天神で映画見物、夕方新聞社に戻ると印刷が出来上がっている。
旧博多駅.jpg それからが最大の難行が始まり刷り上がったばかりの全校3000人分の新聞を手分けして荷造りし、それぞれ肩に担いで市内電車、汽車、バスを乗り継ぎ佐高まで新聞を持って帰った。旧 佐賀駅.jpg勿論50年前の事で宅急便などと言う便利なものがない時代の力仕事だったが、汽車賃、食事など所謂官費だったので喜んでやっていたのを思い出す。
 1年生の時には朝日新聞社、西日本新聞社、北九州大学の高校新聞コンクールに入賞し、出張扱いで表彰式に行ったのも誇らしい思い出になっている。

総務委員長
佐高生活 手帳.jpg 1年生の終わりの頃生徒会長のI先輩から次期生徒会長(総務委員長)の選挙に立候補するよう口説かれた。新聞部室が総務室の隣だったので総務の様子は大体判っていたし、中学時代にも生徒会長を経験していたので思い切って立候補した。選挙は3人が立候補し争うことになり、私は“夜間ストーム”を公約として選挙に臨んで首尾良く当選した。
 直ちに仲間の総務委員の人選即ち「組閣」に入ったが、市内主要3校のバランスを取った方が良かろうと言うことで、成章、城南、附中から選ぶことにして皆さんの推薦を受けた人を訪ねていって入閣を依頼した。勿論自分では喜び勇んで、それまでは遠くから眺めるだけで話すチャンスも無かった、我が“憧れの君”に真っ先に交渉に行き快諾を得、総務委員会のメンバーに入って貰った。当時人には言えなかったがここらが本音だったのかも知れないし彼女と親しくなれたのは本当に嬉しかった。
 総務委員会の活動は10人と仲間と一緒に楽しかった。いつも放課後は西校舎の西の隅にあった委員会室にたむろしてダベったり寮歌や応援歌など高吟したりで過ごしながら、良くガリ版を切った。なにせ60クラスにお知らせを出すのもコピーのない当時はガリ切りが大きな仕事だった。
 私は悪筆でガリ切り要員には全く役に立たず、委員の“我が君”は字がうまく大活躍してくれて人選が正しかったと密かに快哉を叫んでいた。
 総務時代には、視察旅行と称して熊本、鹿児島の高校を訪ねて廻ったのが最大の思い出かも知れない。学校の授業時間中に観光をかねて旅行出来るのだから何とも楽しかった。
 
 夜間ストーム
 佐高時代の最大の思いでは何と言っても「夜間ストーム」だ。「夜間ストーム」を最大の公約として総務委員長に当選した私だったが、「ストーム」は前期委員長私の任期中の行事ではなく、後期委員長のM君の任期中の行事であり公約しながら自分では直接手を出せないもどかしさがあった。
 そこで妙案考え「ストーム実行委員会」を立ち上げ私はこのリーダーとして「夜間ストーム」の実現を目指した。佐高のストームは我々の数年前の先輩が夜間ストームの後荒れて問題を起こし、以降数年間「夜間」のストームが学校側から禁止され、体育祭の昼休みつまり真っ昼間にファイヤーストームをやっている有様だった。
 それを是非「夜間」のファイヤーストームとして実施したいというのが我々の悲願であった。
 「実行委員会」の名の下に学校側に佐高祭の前夜祭としての「夜間ストーム」の許諾を要求しあの手この手で折衝した。2ヶ月近く続いた折衝は連日、時には深夜まで続き、非常手段として一旦売り出していたバザー券の返上運動を実施したり、生徒会議長団が辞任してみたりといろんな手段で学校側の弾圧?に対抗した。
 今思えば良くも馬鹿馬鹿しい事をやったと言う気もするが当時は本当に真剣だった。最終的には学校側の「薄暮ストーム」即ち日没時(気象台の発表の日没時刻)にストームを開始すると言う提案で妥協が成立、我々は「夜間ストーム」を断念し「薄暮ストーム」で涙を飲んだ。
佐高 夕暮れ ファイヤーストーム.jpg

 最後は学校始まって以来と言う始めてという授業中に生徒議会を開催して「薄暮ストーム」を了承すると言うおまけまで付いて交渉は終わり、それ以降の「薄暮ストーム」方式が確立された。ちなみにこの日没から始める「薄暮ストーム」方式は長い間、西高になっても長く継承されていると言うから驚きだ。
 いよいよ鋭意準備を進めることになり、1年坊主に対する歌と踊りの演習、リヤカーを引いて佐賀駅からの枕木運搬、薪集め、重油の購入、リーダー、警備陣の編成等の準備作業で毎日放課後を忙しく過ごした記憶がある。
 
昭和31年 ファイヤーストーム.jpg

 当日11月9日夕、我々リーダーは剣道着に袴姿でストーム旗を持ち参集、日没時きっかりに円陣の真ん中のファイヤー点火、O君の「いざや歌はむかな我等が若き日の歌を、いざや踊らむかな若き日の感激を」の高らかな巻頭言でストームが開始された。
 日が暮れ夜の闇の訪れとともにファイヤーは天も焦がせと燃え上がり、いやが上にも気分は高潮し「佐高讃歌」「佐高逍遥歌」「佐中校歌」「旧制佐高寮歌」「デカンショ節」「北筑遠征歌」「戦勝歌」「旅順校寮歌」等々歌い且つ踊りまくり、それまでの苦労を吹き飛ばした。
 2時間後学校側との協定通りストームは整然と終了した。ちなみにこれらの歌は50年後の今でもはっきり記憶に残っており、「佐高逍遥歌」を8番まで宙で完全に歌えるのは若き日の言い思い出だ。
 「夜間ストーム」終了後、火の始末と後かたづけの名目で、燃え残りの「ファイヤー」の廻りに我々リーダーが集まった。浪人中だったいI先輩も来られ、自然に今で言う2次会となった。火事場の跡みたいな残り火の周りに消火用バケツを椅子代わり座り込み、再びストーム歌を高唱し、と共にそれまでの学校側との交渉の苦労など語り合いながらとうとう夜を明かした。
 その時のフライパン代わりに逆さまのバケツの底で焼いて食べた薩摩揚げの美味かった事は、その夜の楽しかった事と併せて今でも良く思い出す。

終わりに
 いやはや思い起こすと切りがない。佐高の思い出を楽しみながら書いてきたが、ここらで終るとしよう。
 佐高1,2年当時の記憶が多かったが3年の時は何をしていたのかあまり記憶がない。多分人並みに受験で悩んでいたのかな。
 ともあれ佐高時代が人生で最も思いでの深い期間だったことは間違いない。だからこそ最近でも当時の仲間と時々会いたくなるのだろう。


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投稿 16-001 [トピックス・同窓投稿]

■27回総会実行委員 8回生 松本 倫子

早いもので、もう次回の日程と会場が決定したのですね。
去年は、月一で会合を重ねていました。
たしか今ぐらいの時期はまだ余裕、というかことの大変さへの実感もなく、
切迫感もなく、振り返ればもったいない時間を過ごしていた気がします。
8月ごろから急に慌てだしたような・・・。

福岡同窓会には何度か参加していましたが、担当学年を経験して、
繋がりのたいせつさ、というより面白さを感じています。
同じ高校に通った人たちが同じ福岡で暮らしていて、別の繋がりも持っていることが
とても面白いですよね。
・鳥栖駅構内も盛り上がってます
鳥栖駅 構内.jpg

ところで、話は変わりますが、
今年はサッカーで鳥栖(佐賀)VS福岡の構図ができました。
先日、新年会で「どっちを応援する?」と聞かれ
即答で「鳥栖!」と答えましたが、
迷うところではありますよね。
皆さんはどうですか?
ちなみに初戦は鳥栖が2-1で勝利しました。
・サガン鳥栖,応援スタンド
サガン鳥栖 a.jpg

・アビスパ福岡、応援スタンド
アビスパ福岡 a.jpg

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