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観光大使?始めました。 [トピックス・同窓投稿]

西高8回生(昭和48年卒)井上 忠夫

福岡市天神でヘアーサロンを営んでいますが、縁あって「佐賀さいこう応援ショップ」になりました。店内に、佐賀県の観光パンフレットを取り揃え、お客様に佐賀の良さ!をご案内し、県の観光プロモーションビデオ(PV)も併せて流しています。
ヘアーサロン Zoo.jpg

 ☆【佐賀県 x KEN THE 390, KOHEI JAPAN, DEJI, K DUB SHINE】
 ・西高34回生・DEJI(デジ)が参加しているラップユニットと佐賀県がコラボ
 
 只、卒業以後佐賀を離れ、40数年が経過し、佐賀県内の変化には疎くなっていました。佐賀の良さを紹介する立場になりましたが一抹の不安もあったところ、県の担当者から佐賀県内を廻る観光研修会の案内があり、早々に参加してきました。
 店休日を利用しての一泊二日の観光体験でした。県内各地を巡りましたのでご紹介します。
 まずは、佐賀城公園へ
 ・鍋島直正公銅像 今年・平成29年3月4日 佐賀城跡、鯱の門北側に再建されました。
鍋島直正公 立像.jpg
鍋島直正公 立像 鯱の門.jpg

☆幕末の名君直正公に関しては図録「生誕200年記念展 鍋島直正公」を参照。 
 公益財団法人鍋島報效会(徴古館)HP http://www.nabeshima.or.jp/site_files/file/goods/catalogue_kanso_birth200.pdf
 
 ・佐賀城本丸歴史館 鯱の門から入り本丸御殿を見学しました。鍋島直正公(10代藩主)が再建した「天保期・1838年完成」の本丸御殿を復元しています。木造の復元本丸御殿としては日本最大規模を誇ります。嬉しいいことに『入館無料(募金歓迎)』
 「幕末・維新期の佐賀」の歴史をわかりやすく展示しています。
鯱の門.jpg
本丸御殿 全景.jpg
本丸御殿入口.jpg
 ☆本丸御殿全体模型(許可を得て撮影)
本丸御殿 全体模型.jpg
 ☆維新時の資料(許可を得て撮影)
本丸御殿 展示物 維新.jpg
☆佐賀県立佐賀城本丸歴史館HP
 http://saga-museum.jp/sagajou/
 
 次は三重津海軍所跡・佐野常民記念館(佐賀市川副町)です。三重津海軍所跡は「見えない世界遺産」?です。佐野常民記念館に関係資料の展示があります。
三重津 見えない世界遺産.jpg
 
☆「佐賀近代化産業遺産 三重津海軍所」紹介YouTube
 https://www.youtube.com/watch?v=k7Cedd8WBdY 
☆「世界遺産 三重津海軍所跡 プロモーションムービー」紹介YouTube
 https://www.youtube.com/watch?v=147w42KgRGE
☆佐賀の七賢人・佐野常民に関しては「佐野常民記念館」HPを御覧ください。
 http://www.saganet.ne.jp/tunetami/index.html
 
 昼食は鹿島です。祐徳稲荷神社門前商店街近くに店舗を構えるお寿司屋さんで昼食。ここはお寿司以上に「うどん」が大人気!!テレビのグルメ番組にも登場する程です。太い平麺の(牛)肉うどんと海鮮丼が定番!!もちろん「いなり寿司」も人気!
 ☆肉うどんは福岡・北九州の味濃いのとは違い、出汁の利いたあっさり系です。
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 昼食後、祐徳稲荷と酒蔵巡りを楽しみました。
 ・日本三大稲荷・祐徳稲荷神社・・「微笑みの国・タイ」の映画「タイムライン」やTVドラマ「きもの秘伝」では佐賀県内の各地でロケのあり、タイからの観光客が急増しています。
祐徳稲荷神社.jpg
お守り.jpg

☆祐徳稲荷神社・4K SAGA

 ・肥前浜宿・酒蔵通り・・江戸時代には長崎街道の脇街道である多良海道(多良往還)の宿場町で、多良岳山系の良質な水と佐賀平野の米に恵まれ、江戸時代より酒造りが盛んで、今でも酒蔵が残る通称「酒蔵通り」などは、平成18年(2006年)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
肥前浜宿 案内看板.jpg
鍋島 酒蔵.jpg
鹿島の酒.jpg
 ・試飲も楽しみました。
 ☆参考迄に、今年の酒蔵開きの様子です。(鹿島酒蔵ツーリズム[レジスタードトレードマーク]2017)平成28年3月25日(土)・26日(日)
酒蔵ツーリズム 賑わい1.jpg
酒蔵ツーリズム 賑わい 町並み1.jpg
酒蔵ツーリズム 賑わい 町並み2.jpg
酒蔵ツーリズム 賑わい 浮流.jpg
 ☆鹿島酒蔵ツーリズム[レジスタードトレードマーク]2018は2018年3月24日(土)25日(日)に決定!
☆鹿島酒蔵ツーリズムHP
 http://sakagura-tourism.com/main/1.html
 
 ・今宵は嬉野温泉に宿泊でした。貸切で利用できる露天風呂はとても気に入りました。
嬉野温泉 吉田屋.jpg
嬉野温泉 家族風呂.jpg
 ・温泉豆腐に佐賀牛!
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佐賀牛.jpg
☆嬉野温泉観光協会HP
 http://spa-u.net/

 翌朝はまず、有田町にある「県立九州陶磁文化館」へ(入場料・無料、特別展示会等では別途案内)
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 ・有田焼からくりオルゴール時計
有田焼からくりオルゴール時計.jpg
 ・蒲原コレクション
蒲原コレクション.jpg
 ・柴田夫妻コレクション
柴田夫妻コレクション.jpg
 *館内許可を得て撮影
☆佐賀県立九州陶磁文化館HP
 http://saga-museum.jp/ceramic/ 
☆有田市観光協会HP「ありたさんぽ」
 http://www.arita.jp/
 
 有田の次には、伊万里の鍋島御用窯の里へ
 ・鍋島藩窯橋 陶板と無数の陶片が施され、親柱も欄干の鍋島!
伊万里 鍋島御用窯の里.jpg

☆伊万里鍋島焼協同組合HP
 http://www.imari-ookawachiyama.com/index.html
☆秘窯の里・大河内山・4K SAGA

 この日の昼食は、呼子の河太郎で「イカ三昧」
イカ三昧.jpg

 午後から唐津へ
 ・唐津曳山展示場(入場料・大人300円)
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 ☆参考までに、数年前の唐津くんち!の賑わいです。
唐津くんち 曳山 鯛.jpg
上杉謙信の兜.jpg
信玄の兜.jpg
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橋を渡る曳山山車.jpg
 ・神幸祭:御旅所神幸
神幸祭:御旅所神幸.jpg

  最後に鏡山に上がりました。
 ・松浦佐用姫像・・鏡山は、佐用姫が新羅に出征する大伴狭手彦へ、領巾を振って見送った山とも言い伝えられ、「領巾振山(ひれふりやま)」という別称があります。
鏡山 佐用姫像.jpg

 ・虹ノ松原を展望して帰途につきました。
鏡山 虹ノ松原 展望.jpg

 ☆唐津市観光協会HP
 http://www.karatsu-kankou.jp/

 故郷の佐賀市を始めとして数十年ぶりに県内を周ってみました。学校のバス旅行などで一度は訪れたところが多かったのですが、意外や意外!新鮮な印象を各地で受けました。
 灯台下暗し。県外や海外の旅行も楽しいのですが、皆さん!久々に佐賀を周りませんか。お薦めです。

 ☆佐賀県観光ポータルサイト
 http://www.asobo-saga.jp/

☆佐賀県の観光地ダイジェスト 最新の4K映像を御覧ください!

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「思い出!、今を楽しむ!」 [トピックス・同窓投稿]

佐高15回生(昭和39年卒)杉山 秀彦

 在学時の生徒会活動・運動会・部活動での「思い出写真」です。

1)昭和37年10月~38年9月迄の生徒会活動
  ・一生懸命仕事してます
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  ・腹減ったので、出前ラーメン・・・ガブリ
①生徒会 ラーメン・ガブリ.jpg

  ・仲良し男子生徒会メンバー
①生徒会 男子.jpg

  ・仲良し女子生徒会メンバー
①生徒会 女子.jpg

 2)昭和36年体育祭
  ・男子組体操
②体育祭 男子組体操.jpg

  ・男子応援団
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  ・女子応援団
②体育祭 女子応援団.jpg

  ・思い出深きフォークダンス
②体育祭 思いで深いフォークダンス.jpg

 3)昭和36年夏休み 生物部の加部島での研究・実習
  ・加部島小学校で、1週間の合宿
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  ・岩場での植物採取
③生物部 加部島 岩場で植物採取.jpg

 ☆加部島は呼子港の沖500㍍にあり、玄界灘の荒波から港を守る天然の防波堤となっています。
  特産品はイカに甘夏などで、甘夏ゼリーは人気商品。江戸期は近海捕鯨の拠点でもありました。
 ☆平成元年(1989年)4月、呼子の中心地と加部島を結ぶ呼子大橋が完成、交通の便が大きく改善。
 ☆唐津市(旧呼子町)立加部島小学校は人口減少に伴い、平成23年(2011年)唐津市立呼子小学校へ統合。

 ■「福岡いちご会」
  佐高15回生は、毎年10数人で旅行をしています。
  毎年の旅の思い出写真をDVDにしましたので、旅の様子を一部、ご紹介します。
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 ・臼杵・岡城の旅(平成20年)
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 ・霧島・桜島・知覧(平成22年)
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 ・萩・津和野(平成23年)
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 ・松山・道後温泉(平成24年)
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 ・久住 焼肉の旅(平成24年)
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 ・出雲・松江の旅(平成25年)
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*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」を募っています。
投稿よろしくお願いいたします。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com



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在学時の思い出と今を楽しむ [トピックス・同窓投稿]

佐高6回生(昭和30年卒)諸岡 正明

在学時の思い出
 
 私は、城南中学を卒業し、佐賀高校の試験に合格し入学しました。 
 当時、佐賀高校は、南校舎、西校舎、東校舎の三つに分かれていました。それは、旧成美高女、佐賀第一高校、佐賀高等女学校が昭和23年合併し、佐賀高等学校となっていました。

 私が卒業後、昭和37年に西高、北高、東高に分離しています。私が最初の1年学んだ南校舎は、成美の後の校舎でした。
南校舎 位置の説明.jpg
佐高 学校全景 絵葉書.jpg

 新制佐賀高校(昭和24年~40年)は、1年生は南校舎、2年3年は西校舎で授業を受けていました。学級担任は、1年の時柴田先生、2年川崎先生、3年原先生でした。
 当時、佐賀市には公立普通高校は新制の佐賀高校だけで、一学年1000名、全校で3000名、一学年が20~21組まであり、この数は全国一のマンモス高校でした。週刊誌にも取り上げられました。
 西校舎の講堂に3000名が一同に会した時は、壮観でした
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 当時、校長は宮田虎雄先生で、後に佐賀市長となっておられます。

今を楽しむ
 
 私は佐賀高校を卒業後、九大医学部に進学し、以来、現在まで福岡市近郊に在住しています。
 福岡市及びその近郊には、佐賀高校を卒業した同窓生が約55人いて、時々集まっては旧交を温めあっています。その時には、連絡が取れる佐賀や関東の同級生も参加して頂いていました。そして今年、平成29年には大方の同窓生は80歳を超え、定期的に集まるのではなく有志だけ時々集まろうかとなったようです。しかし、多くの同窓生たちは、今後も適宜、佐賀や東京の集まりには、できれば参加したいと考えているようです。
 旧制の佐賀中学(新制佐賀高校)から、現在の佐賀西校までの卒業生が年に一度集まる「栄城会」は、とても楽しい会で、幹事は卒業年度順にしており、古い順から新しい卒業年次に移ってきています。

 高校卒業後60年以上経ち、最近暇があれば、故郷佐賀のことを思い出し、時間があれば、昔歩き回った場所、多布施川、石井樋、川上峡、古湯温泉、清水の滝、日の隈山、天山そして高校卒業頃できた北山ダムなどにでかけています。

 先日、佐嘉神社、松原神社、昔の佐賀高校周囲の堀端や佐賀城址を歩いてみましたが、私が高校生の頃とは随分変わってしまっていました。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」を募っています。
投稿よろしくお願いいたします。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com


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高校時代の良き思い出 [トピックス・同窓投稿]

佐高9回生(昭和33年卒) 紀井 博之

 昭和33年3月の或る日、高校入試の日を思い出す。
 三十分を経過するとサッサと教室を後にする人達が居る。
 制服を着た付属中の生徒である。
 少し気持ちがあせり、学力の差を感じる。
 数日後、佐賀新聞社で合格発表があり、合格!!
 
 当時の学生数は一学年千人。私の成績は千番目だったのでは・・・。
 成章中野球部同級生の大曲君・志津田君、私の三人は合格発表の翌日から練習に参加。
 その時の先輩は高野(投手)、江口(捕手)、主将:宮司(一塁手)の方々である。
 ところが自分の都合で退部してしまった。
 
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 間を置いて軟式野球部の豊増さんが教室に来て「ウチに入らんか!」との誘い。野球小僧の血が騒ぎ即入部。私は中学校よりピッチャーである。
 高校二年の県大会では一回戦、佐賀農芸高を7対0で完全試合等が有り佐賀代表に!監督の豊増さんと二人で喜びに涙が溢れた。
 九州大会は小倉の豊楽園球場。佐賀、長崎、福岡、大分の四県代表で競い合い。東福岡と対戦し。1対0で勝ち(ノーヒットノーラン)。決勝戦は大分と行い、これも延長十回、1対0で制し全国大会出場決定。
 全国大会は大阪の藤井寺球場で行われ、初戦北海高に2対1で破れ、初戦敗退。
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 大阪迄夜行列車で10時間の旅。グッタリ来たが、思い出深い汽車の旅であった。

 ☆県立佐賀高等学校硬式野球部は昭和32年第2回全国硬式選手権に出場。対戦相手の「北海高」は第一回より出場、その後も連続出場する程で、北の強豪校でした。
 *硬式選手権出場校一覧 http://www.jhbf.or.jp/nanshiki/outing/06-10.html
 ☆翌年の昭和33年には、硬式野球部が夏の甲子園での全国大会に出場しています。
 
 ☆豊楽園球場・・現在のJR小倉駅北側にありました。国鉄小倉駅(現在のJR西小倉駅)が昭和33年3月現在地に移転の為、閉場しています。
 *参考資料・・にしてつwebミュージアム http://www.nishitetsu.co.jp/museum/lions/ballpark05.html
 
 ☆藤井寺球場・・全国高等学校軟式野球選手権大会が昭和31年(1956年)から昭和55年(1980年)まで開催されました。途中2年間はナイター設備増設に伴い昭和48年(1973年)のみPL野球場開催。プロ野球チーム、近鉄バッフォローズのホームスタジアムでしたが、平成17年(2005年)1月末をもって閉鎖され、平成18年(2006年)8月に解体されてます。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」を募っています。
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タグ:軟式野球部
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日田彦山線、沿線散歩! [トピックス・同窓投稿]

東峰村 地図.jpg

 平成29年7月5日、朝倉市・東峰村・日田市で大規模な水害が発生しました。JR日田彦山線は、平成25年7月14日の「九州北部水害」で被災した以上の被害となりました。現在、添田(福岡県添田町)~夜明(大分県日田市)間の約30km弱が運休中です。
 実は7月2日(日)にレトロな人気路線である日田彦山線の鉄旅を楽しみ、更に大行司駅~岩屋駅の間を歩き、3つの鉄道眼鏡橋を見て回りました。
 *大行司駅舎
大行司駅舎.jpg
 *駅構内
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 *大行司駅のホームは高台にあります。
ホームは高台.jpg
大行司駅ホーム.jpg

 ☆大行司駅は昭和21年9月に開業。今度の水害でホームへの法面が崩れ、駅舎が倒壊しています。

 大行司駅⇔筑前岩屋駅に架かる3つのめがね橋を見て回ります。 コンクリート多重アーチ橋で昭和13年には完成していました。昭和31年3月15日、英彦山駅-大行司駅間が延伸開業。小倉と日田が繋がりました。

 ・松尾橋(第二大行司橋梁)
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 ・タイムングよく気動車が橋を通過
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 ☆手前の小川が宝珠山川、山里の清流で地域を潤す川ですが、未曾有の短時間豪雨に、お手上げでした。
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 ・奈良尾橋(宝珠山橋梁)全長79.2m、高さ20m 
  *経済産業省近代化産業遺産 九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群で 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産です。
奈良尾橋.jpg
奈良尾橋 近景.jpg
 ☆水害で棚田の青々とした風景も一変してしまいました。
 ・棚田親水公園での宝珠山川  6月上旬にはホタルが乱舞する川でした。
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 ・金剛野橋(栗木野橋梁)全長71.2m、高さ20m 岩屋駅手前のアーチ橋
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金剛野橋 近影.jpg
 ・車窓より金剛野橋を渡る
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 ・岩屋駅 駅前は、釈迦岳トンネルからの湧き水「岩屋湧水」を汲みに来る人々で賑わっていました。「岩屋湧水」は福岡県で唯一「平成の名水百選」で、湧水量は1日約15,000t、硬度は約31度の軟水の名水です。有料給水装置が設置されています。
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 ・岩屋駅ホームより釈迦岳トンネルを望む。 釈迦岳トンネルは長さ4379mで九州管内第2位のトンネルです。今回の水害で土砂が流入し、現在トンネル入口は水没しています。
ホームより釈迦岳トンネル出入り口.jpg
 ・岩屋駅舎は二代目で、平成9年(1997年)岩屋神社を模し、消防団の倉庫と合築となっています。
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 ・岩屋駅手前の沿線桜並木。左手の土手は4月から5月に、ツツジが綺麗です。
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 日田彦山線は田舎の四季が堪能できるローカル線です。水害により運行再開には数年は要するとも言われています。
 沿線も含め被災された地区の早期の復興を願います。
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タグ:日田彦山線
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佐中入学の頃 [トピックス・同窓投稿]

佐高  3回卒  園田 勲
 
 私は昭和20年佐賀中学に入学した。1学年200人余りだった。戦争中で朝家を出る時は足にゲ-トルを巻き、帽子も服も軍人の姿、途中上級生に会うと立ち止まって、挙手の禮。
 佐中の校章は日本一大きい「中」で、朝礼の時校長先生は「敵機が来たらこの「中」の字を反射させて、敵兵の目を眩やませよ。」と言われた。
 
県立佐賀中学校 制帽.jpg

 上級生は2年生だけで、陸軍士官学校か海軍兵学校に進学予定の3・4年生以外は動員に行っていて学校には来ていなかった。昼休みになると、2年生達が我々の教室にやって来て、机に座らせ「頭下げよ!」と我々1年生をしごいた。
 運動場では元下士官による木銃を持っての厳しい教練。又学校に残って軍人の学校に入る為に勉強している3・4年生による軍人教育。「整列!!、1年1組の指揮は3年〇組の◎◎がとーる!。」こちらは優秀な教練。佐賀中学は軍人学校で優秀な生徒は高校でなく、陸士か海兵に入学した。戦争中であったが、敵国の言葉である英語は良く勉強させられた。空襲警報のサイレンが鳴ると森へ逃げて英語の単語を勉強した。
 
 佐賀は戦争の影響は比較的に少なく、夜は花火のような焼夷弾、昼は操縦士が見える高さで機銃掃射をした。敵機が去ると日本の偵察機が被害状況を調べる為低く飛んでやって来た。遠くで高射砲の音がしても、とても敵機には当たらない。
 「早く降参しなさい」と云う趣旨の長い綺麗な日本語のビラもいっぱい撒かれた。6月19日の福岡大空襲の時は、夜友達の家で勉強していたが、B29の編隊が長い間上空をキーンキーン唸りながら北へ行き、数十分後福岡の空が真っ赤になった。
 
 夏休みになって、我々1組だけ北山に芋作りに動員された。
 北山へ行くときは、川上の官人橋(当時は木造で大雨が降るとよく流された)に8時集合。私の実家は東与賀中割ですが、西川副広江の友人が2時に家に来て2人で官人橋まで行ったが、夜空の星特に流れ星が綺麗だった。何時間も夜歩いたのはこの時だけ。佐賀は平和だった。官人橋から道路は砂利道で疲れはしないが、運動靴の為足の裏がとても痛かった。途中南山で弁当を食べ、午後3 時頃北山小学校に着いた。北山は静かだった。
 8月15日昼重大放送があると云うので、北山小学校へ帰り、運動場でラジオを聞いたが、雑音で何を云っているか分からなかった。午後又芋作りに行き、帰りに神社の境内に集められて、佐賀から上がって来た例の元下士官から「君達は昼のラジオ放送は何であったか分かったか。戦争に負けたぞ。君達はもう親兄弟とも会えない。米兵は肉食動物だから鶏も片つ端から食べるぞ」。その夜は寝泊まりしている体育館で泣いている友もいた。
  10年位前この神社と北山小学校と当時北山にあった旅館を尋ねたが、当時の女将さんから「先生はここに泊まられた」と初めて聞いた。我々は体育館の板の間で雑魚寝だった。夜が明けると、荷物をいっぱい積んだトラックが佐賀からどんどん上かって来た。「何だ、まだ物資は沢山あったんだ。」とつくずく思った。
 終戦後、山を降りた時の記憶はない。
 数日後佐賀の家に帰ったら、何のことは無い以前と変わらず、母が「南の空に大きい音がしてキノコ雲が上がった」と言つたのが心に残っている。
  
 終戦後教育は180度変わったが、佐中のレベルは高かった。新生高校になって学生数も増えた事もあろうが、中学3年3学期で習った事を高校1年でやっていた。現在は、昔の佐中かそれ以上のレベルになっているだろう。
 私は家の事情で佐高3回生だが、佐中1年の時北山で1ヵ月寝食を共にし終戦を迎えた2回生特に1組の友達が懐かしい。

 *東与賀中割は、現在「東与賀街大字下古賀」になります。「中割公民館」から北山小学校迄を当時の徒歩ルートを推測して検索しますと、37kmの距離となります。直行で8時間強かかります。旧制中学校の1年生は、12歳か13歳です。
 *集合場所の「官人橋」は、今の「赤い鉄橋の官人橋」の先代の頃ですので、200m手前にある「ユースピア入口」バス停辺りに架橋されていました。現在記念碑が建立されています。
川上軌道跡碑.jpg
 *「南山」は当時小城郡南山村、昭和31年9月に佐賀郡小関村と小城郡南山村、北山村が合併して佐賀郡富士村となっています。古湯・熊の川温泉の手前にあたる富士町大字下熊川に、九州電力南山発電所があり旧村名を留めています。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」を募っています。
投稿よろしくお願いいたします。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com


タグ:佐賀中学校
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佐中から佐高へ!戦争末期から戦後が青春時代! [トピックス・同窓投稿]

佐高2回生 中島 洋

 私は昭和20年4月に、旧制佐賀中学校に入学しました。
 戦争末期であり、上級生の姿はなく、新二年生が上級生風を吹かせていました。五年生は実質存在しなかったと思われます。三、四年は軍需工場へ動員され、在校されていなかったのです。
 何時であったか時期ははっきり記憶していませんが、二年生が全員居なくなりました。先生から通信兵として、徴用されたと知らされました。
 私達も食糧難から干拓地や金立山の開墾、農家への麦刈り奉仕等に、追われていました。
 学校では運動場の塀に沿って耕され、南瓜や甘藷等が植えられていました。
 敗戦迄の一時期、一年生も飛行場の爆撃跡の整備の為、交代で動員されていたのです。
 中学校には軍事訓練の為、配属将校が配属されていたのですが、末期にはその人員もなくなり、購買部の職員であった方が、昔、下士官であったことから、指導されることとなる一幕もありました。

 戦争が終わると、動員組も帰校し、軍隊からも続々と帰還され、大変な賑わいとなりました。
 更に日時を経て、中国・朝鮮・台湾等から引き揚げた学生が転入して来たのです。
 混乱が続いているある日の朝礼で、校長先生が訓示を行っていたのですが、その中で「マッカーサーさん」がと言われた時、ブーイングが起り止りませんでした。
 その後、四年生を中心にストライキが起りました。私達低学年には内容は知らされないまま。終息していました。

 インフレはひどく。物資はなく、パン一個買うにも食券が無いと買う事も出来ない有様でした。

 学制の変更があり、新制中学生となり、男女共学へと進んで行きました。
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 *スカーフの女性は成美、他の女性は高女出身。男性の服装も、まちまちであった。

 八十も半ばとなった今、仲良く福岡地区の同期会を行っています。

*佐中・佐高、学校変革より
 昭和20年(1945年)
・3月 戦時特例として5・4年生を同時に卒業させる。
・8月 4年生は長崎県川棚海軍工廠、3年生は大日本化学諸富工場(現在、味の素(株)佐賀工場) に動員中であった。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」を募っています。
投稿よろしくお願いいたします。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com

タグ:佐賀中学校
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吹奏楽部!定演 事始め  [トピックス・同窓投稿]

 今年:平成28年(2016年)3月26日(土)佐賀市文化会館にて,第46回定期演奏会『純』が開催されました。遡ること40数年前、今では還暦を過ぎたOB&OGが始めた事が続いています。
 この度同部同窓より、第2回~6回の定演パンフレットなどの資料を見せて頂く機会がありましたので、ご紹介します。

*母校吹奏楽部は昭和39年創部

第1回定期演奏会 昭和45年(1970年) 5月 本校講堂にて開催
*西高6回生が3年生。大阪万国博覧会がこの年3月14日~9月13日迄開催。
*手作り開催で、パンフレットはありません。
*この年は県のコンクールで優勝し、鹿児島での西部大会(当時)に出場しました。連休前の満員の夜行列車に乗り難儀して出場した事も、今では懐かしい思い出です。
西部吹奏楽コンクール パンフ表紙.jpg

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指揮 神代 正之 部員36名 結果 7位(吹奏楽Cデータベース)
課題曲:音楽祭のプレリュード(アルフレッド・リード)
自由曲:バンドのための序曲 (P.W.Whear)*現在では「ベレロフォン序曲」
*首里高校「結果2位」の後10番目に演奏。西部大会には13高校出場、1位は嘉穂高校。

第2回定期演奏会 昭和46年(1971年)5月16日(日) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙と内表紙
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*主催は「佐賀西高等学校吹奏楽部OB会」、在校生とOB会の悲願が実現。広告取り・パンフ・ポスターの作成、印刷所、舞台演出の交渉などなど、全て初めての経験であった。
*定演のチケット。当時入場料100円が演奏会時著作権フリーの上限であった。板垣退助肖像の100円紙幣がまだ普通に使用される、自販機の少ない時代でもあった。
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■プログラム
1)  指揮 神代 正之
PROUD HERITAGE・・・・・・・・・・・・・・・WILLIAM LATMAN WAPAWEKKA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ALFRED REED
    指揮 坂井 達己
FUGUE IN G MINOR・・・・・・・・・・・・・・JOHANN S BACH
SINFONIA NOBILISSIMA FOR BAND・・・・・・・ROBERT JAGER
2)  指揮 江上 伊織
LAWRENCE OF ARABIA・・・・・・・・・・・・MAURICE JARRE
赤とんぼ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田 耕筰
五つ木の子守歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九州 民謡
こきりこ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・富山県民謡
一週間のうた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ロシア民謡
おお!ブルネリ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スイス民謡
THE SOUND OF THE TIJUANA BRASS
( A Tast of Honey, The Lonely Bull, Tijuana Taxi and El Lobo )
3)  指揮 神代 正之
ELSA'S PROSESSION TO CATHEDRAL FROM "LOHENGRIN" ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・RICHARD WAGNER
SYMPHONY No.5 FINALE・・・・・・・・・・D.SHOSTAKOVICH
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*在校生36名・OB会17名、計53名。
第3回定期演奏会 昭和47年(1972年)5月5日(金・祝) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙と内表紙
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*第3回定演・プログラム
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*第3回の目玉は、ロシアの作曲家モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー( Моде?ст Петро?вич Му?соргский)の組曲「展覧会の絵」(原曲はピアノ曲)全曲演奏。
*第3回定演・記念レコード
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第4回定期演奏会 昭和48年(1973年)5月6日(日) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙と内表紙
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*第4回定演・プログラム
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*パンフの中に当時の部員たちの日常を紹介した一文が載ってます。
■ 練習風景 ■
 特訓最後の日は午後からのたのしい神野公園への遠足
 遊園地での出来事・・・我らのS君は観覧車にのりこみ、一周する間に、西高校歌をみごとさけびちらした、園内の人々の視線はすべてS君の乗った観覧車に注がれていた。私たちは、おりてくる彼を拍手でむかえたけど、観覧車のおばさん曰く「あんた飲んどろ?」我らのS君曰く「大人は飲まなきゃ歌えないけど、高校生はしらふで歌える」だって。おそれいります。
 遊園地を出てインド人の黒ンボ。「インド人の黒ンボ」パットとふり返る。「あんた動いたやんネ」「うんにゃ、動いとらん」「なんてえ、動いたやんネ」とまあこんな感じで、恥も外聞もなく遊びました。隣では、馬乗りがはじまったのです。その中に一人おなごが混じっての大奮闘。
第5回定期演奏会 昭和49年(1974年)5月5日(日) 午後2:30 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙とプログラム
第5回定演 プログラム 2.jpg
*この年、指導者が神代先生から江上先生となった。この回のOB会会長のあいさつ文にそのことが触れられています。
 本日はお忙しい中、私どもの演奏会にご来場いただきましてありがとうございます。
第一回を学校の講堂でささやかに開いたことや楽器が足りなくて市内の学校をかけずり回って借り集めたり、チャイムをNHKや久留米のブリジストン工場まで借りに行ったことなどを思い出しますと、今日まで五回にわたりこうして演奏会を開いてこられたのも、ここにご来場の皆様方の温かいご支援の賜物だと感謝したしております。
 今年は、佐高・西高と26年にわたりご指導していただいた神代正之先生が職を退かれました。私達部員OB一同ねぎらいと感謝の意を表しますと共に、今年から新進気鋭の江上耕思先生を迎え新たな気持ちでこの演奏会に取り組んでまいりました。今日の演奏会はそうした神代先生への感謝と江上先生の出発の大音楽会にしようと思います。
 どうか最後までごゆっくりおききください。
佐賀西高等学校吹奏楽部OB会 会長 吉原 敏郎
第6回定期演奏会 昭和50年(1975年)5月4日(日) 午後2時 佐賀市民会館
*パンフレット・表紙とプログラム
第6回定演 プログラム 2.jpg
第6回定演 プログラム 思い出 1.jpg
ー 思い出ーー
 8月10日 佐賀県大会 金賞
 8月23日 夏季遠足(日の隈山)
 9月12日 西高文化祭
10月13日 西部吹奏楽コンクール 銅賞受賞 大分
12月25日 Xmasチャリティーコンサート 市民会館
 2月23日 アンサンブルコンテスト 成章中
 4月 1日 春季遠足 森林公園
ー西部吹奏楽コンクール(大分)ーー
前日 8時45分 西高出発 はよ帰ろうごたっ!
12時30分 練習場着(豊和会館)
ああ、腹減った。はよ!メシにしゅ!
17時30分 旅館(富士観光ホテル)着
さぁ、芸者を呼ぼう!!!
13日 7時 起床
旅館のそばの海岸でロングトーン
客の声「やかましか! やめろ!!」
 9時 練習場着(中島小)
首里高といっしょ。ぐらいした
11時45分 チューニング室
いっちょんあわん。もうこれくらいでよか!
12時 演奏
もう昼とけ、が~んくだらんことして、
はよメシにしゅう。このあと、首里演奏
ぐらいした。あ~あ、はよ帰ろう!
17時30分 大分 発
もう一日とまろうごたっ!!
21時 西高 着
ねぶか~!はよ帰って。クソたれて、にゅう!
ところで成績は・・・・・・・・?
************************* *昭和49年第19回西部大会、課題曲:吹奏楽のためのシンフォニア(小林徹)自由曲:第3組曲(スピアーズ)。23高校が出場し、結果は金賞3・銀賞2・銅賞3(西高)、西高の後に演奏した首里高が代表に選出。(吹奏楽コンクールデータベースより)
*この年、佐高以来の音楽室(部室兼練習場)が新校舎建設ため、取り壊された。[演劇]
 □ □ 付 録 □ □
*第24回西部吹奏楽コンクールに佐賀北高とともに、県代表として出場。
第24回西部吹奏楽コンクール パンフ.jpg
課題曲:幻想曲"幼き日の思い出"(藤田 玄播)
自由曲:シンフォニック・ムーブメント(V.ネリベル)「交響曲的断章」とも表記。
指 揮:江上 耕思 部員:37名 結果:銀賞
2日目8月28日、27校の14番目に登場
↓ YouTube「佐賀西高吹奏楽部第24回西部吹奏楽コンクール課題曲
https://www.youtube.com/watch?v=EjaHmQftPSo
↓ YouTube「佐賀西高吹奏楽部第24回西部吹奏楽コンクール自由曲
https://www.youtube.com/watch?v=JCP3B4wogtk
第24回西部吹奏楽コンクール 半券.jpg
*コメント投稿を待ってます。同窓交流活性化の為、卒業回生数(卒業年)・氏名の明記をお願いします。
福岡栄城会HPでは、同窓からの「思い出エッセイ」を熱烈に呼び掛けております。 高校時代の「部・サークル活動の思い出」など、どしどし投稿ください。
[mail to] eijo.fukuoka@gmail.com

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母校・ファイヤーストーム [トピックス・同窓投稿]

母校ファイヤーストーム 全景.jpg

 台風12号の影響で9月9日(金)に開催が変更となったストームの模様をご紹介します。
 入学時学年男子数は3年生・144名、2年生・128名、1年生・153名であり、およそ400名の雄叫びであった。

*掲載の動画はスマフォ・携帯には対応していません。ご了承ください。

■先ずは校舎を駆ける
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■日没前に、リーダー入場
母校ファイヤーストーム リーダー入場.jpg ■聖火入場
母校ファイヤーストーム 火入れ1.jpg ■ストーム情景
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■ 薪くべ 投油 ■
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給油2.jpg
ストーム 火炎 1.jpg
■ 校庭を疾走する
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ストーム 情景 3.jpg
ストーム 火炎.jpg
闇夜のストーム.jpg
*スマフォのカメラ機能及び撮影者の技量に限界があり、1時間程で撮影は終了!!
■翌日は晴天の体育祭、学校正門風景
体育祭 正門.jpg

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コメント頂きました。 [トピックス・同窓投稿]

当会HPに関東からコメントを頂きましたので、ご紹介いたします。

昭和37年卒・佐高13回生 高島徹
 参議院議員選挙で故郷佐賀から当選された福岡さんの経歴を調べていて、この福岡同窓会のHPの存在を知りました。早速アクセスして拝見すると高校時代過ごした三年間のことが記事に溢れていて懐かしく拝見致しました。
 S37年大学受験のため上京して以来故郷佐賀を離れ、現在北関東の茨城県に住み着きその間中・高校の同窓会に出席する数回帰郷しただけです。
 佐賀高校や城南中学の同級生との交流は東京で続いて今日に至っています。

高島先輩 水彩画 1.jpg
■ 残雪の白馬 ■
 小生は土浦市に在住し趣味の水彩画を楽しむ気ままな日常を過ごしていますが、水彩画のブログを作り作品を掲載しております。
 遥か彼方の北関東で描いている作品を見て頂ければ幸いです。
ご紹介しします。
blog タイトル:「趣味水彩」http://blog.goo.ne.jp/tthimajin1915

稲田禅房西念寺 水彩画.jpg
■ 稲田禅坊 西念寺 ■
追伸、県内には小生以外に37年卒の同級生が3人おられますが、それぞれ元気で第二の人生を過ごして居られます。
これからもこのHPを懐かしく拝見させて頂きたいと思います。

■ 作者のご了解を得ましたので、作品の一部をご紹介します ■

同窓からの作品を募集しています
 絵画・写真など趣味の作品を上記のように、同窓に紹介できます。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com
*先ずは、佐中・佐高・西高の卒業回生・卒業年・氏名を明記の上、
投稿して頂ける内容(例:写真50枚・カラー)をお知らせください。
HP運営委員会より、改めてメール致します。

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