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栄城会館資料室(母校沿革) ブログトップ

佐賀高等学校の記念碑建立 [栄城会館資料室(母校沿革)]

母校の正門から進んだ先、校舎手前に新たな記念碑が建立。
校門より佐高記念碑 blog用.jpg

佐高記念碑.jpg

佐高記念碑 背面.jpg

↓ 佐賀新聞社「佐賀高等学校・記念碑 除幕」記事 
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/320924
↓ 記念碑・碑文書家のページ
http://taisyo.vanboo.jp/blog/2016/05/03/307/
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佐賀県立図書館!母校関連の蔵書 [栄城会館資料室(母校沿革)]

 佐賀県立図書館のホームページで母校関係の書物を検索すると、それなりに蔵書されていることが確認できます。
 今回「栄城会館資料室」関連コラムとして、表紙だけですが、数点ご紹介します。
図書館の許可を得て、写真撮影。つきましては
本ページからの画像コピー・転載等は厳禁
佐賀県立図書館.jpg

佐賀県立図書館のホームページ http://www.tosyo-saga.jp/kentosyo/

1)佐賀藩旧蔵蘭書目録
  京都大学大学院人間・環境学研究科松田清研究室
  *江戸期、長崎で入手した蘭学書が母校に保存されていて、その調査を収録。
佐賀藩旧蔵蘭書目録.jpg

2)佐賀県立佐賀西高等学校収蔵国書分類目録
佐賀県佐賀西高等学校収蔵国書分類目録.jpg

3)佐賀県立佐賀西高等学校収蔵漢書分類目録
佐賀県佐賀西高等学校収蔵漢書分類目録.jpg

*上記の3冊から、母校に旧佐賀藩の書籍が収蔵されており、このことからも、藩校・弘道館の流れを汲んでいることが分かります。
4)栄城 創立80周年記念誌
栄城 80周年記念誌.jpg

5)栄城 創立90周年記念誌
栄城 90周年記念誌.jpg

6)栄城 創立110周年記念誌
         *歴代の校旗・学校印を掲載
栄城 110周年記念誌.jpg

7)栄城 創立120周年記念誌
         *歴代の学校関連写真を掲載
栄城 120周年記念誌.jpg

8)栄城 創立130周年記念誌
栄城 130周年記念誌.jpg

9)佐高3回生 卒業60周年記念誌
佐高3回生 卒業60周年記念誌.jpg

10)佐高第10回同窓会総会
佐高 第10回総会.jpg

11)第26回佐賀西高等学校同窓会総会
第26回佐賀西高等学校同窓会総会.jpg

12)薫風 佐賀西高等学校 総務
      *「薫風(くんぷう)青葉の香りを吹きおくる初夏の風」
薫風 佐賀西高等学校 総務.jpg

13)昭和37年度学校要覧 佐高蓮池分校
昭和37年度学校要覧 佐高蓮池分校.jpg

14)蓮池 佐高蓮池分校 終刊号
            *当時の分校校舎・朝礼などの写真掲載
蓮池 佐高蓮池分校 終刊号.jpg

15)閉校記念誌 燈 西高定時制
閉校記念誌 燈 西高定時制.jpg

16)佐高女46回生 思い出の記
佐高女46回生 思い出の記.jpg

17)佐賀西高校社会研究部報 1~7
佐賀西高校 社会研究部報 1~7.jpg


*図書館には佐賀中学校時代の「栄城」も蔵書されています。
*母校関連の蔵書閲覧は、館内総合カウンターで申請後、郷土資料室で閲覧できます。
*栄城創立記念誌、各学年同窓会誌等は栄城会館資料室にも保管されています。

*本会blogでも参考にしている「佐賀県教育史」・「佐賀市史」は福岡県立図書館にも蔵書されています。「佐賀市史」はweb公開されています。
    福岡県立図書館HP http://www2.lib.pref.fukuoka.jp/ 
        佐賀市史 https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
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栄城会館 [栄城会館資料室(母校沿革)]

栄城会館.jpg

栄城会館 表示パネル.jpg

 
福岡栄城会HP運営委員会 俣野 一昭
 昨年の総会誌作成時(平成28年8月)、栄城会館に取材で訪問しました。会館2階北側の一室が資料室であり、平成10年5月に開館しています。資料室には佐賀中学校、佐賀高女、成美、佐高、定時制の資料が保管・展示されています。
 展示室開館から十数年が経過してか、室内の保管展示状況には寂しさを感じます。
 訪問時は、「佐賀中学校」関連資料が創立140年記念の為か、段ボールで山積みになっていました。今年は創立140周年として、佐賀中学校の写真パネル展が計画されていますし、展示室も併せて見直されることを期待しております。
 今回、佐高関連の写真資料などを「学校沿革パネル」に準じて「栄城会館資料室」にアップいたします。ブログ画面左手、「同窓会概要および活動履歴」の2段目「栄城会館資料室」をクリックしてください。
*母校沿革は、佐賀西高等学校沿革、創立記念誌「栄城」、佐賀県教育史、佐賀市史、佐賀県立図書館、佐賀新聞社及び栄城会館の資料を主に参考としています。
 同コーナーは今後、その他の母校関連資料が入手出来次第、随時更新していきます。
 尚、同窓の皆様にも、当時の思い出・写真などの寄稿をお願いします。ホームページ運営委員会では、今後母校関連の資料発掘を推進し、「栄城会館資料室」にて、皆様からの提供資料も積極的に公開していきたいと考えております。
 *写真などはJPEG形式等・データとしてメールに添付してお送りください。また、懐かしい写真はあるがデータ化が無理な時は、メールでご相談ください。
[mail to] eijo.fukuoka@gmail.com

 

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原点「弘道館」 [栄城会館資料室(母校沿革)]

 佐賀西高等学校の前身である佐賀中学校は、明治9年佐賀変則中学校として、佐賀藩の藩校である「弘道館」跡地に開校しており、今年は創立140周年になります。
 中学校はその後、城内を経て西高の現在地に移転し、跡地には記念碑が建立されています。
弘道館記念碑 拡大.jpg

弘道館記念碑 小.jpg

*記念碑前にある説明札
弘道館記念碑 解説文.jpg

佐賀藩の藩校は「弘道館」(学館)といい、八代藩主鍋島治茂が1781年(天明元年)に創設したもので、後に水戸・但馬と並んで天下三弘道館の一つと称されました。
 松原小路1900坪の敷地に文武稽古場を建て、古賀精里(後の寛政の三博士の一人)を教授に朱子学を中心にした藩士教育を行い、人材の育成に努めました。
 九代藩主鍋島斉直の時には、精里の子古賀穀堂が教授になり、「学制管見」を著し、十代藩主になる鍋島直正の侍講も勤めています。
 十代鍋島直正は、1839年(天保10年)に北堀端の現在地(ここは東端)5400坪に整備拡張し、弘道館・蒙養舎に七局六寮のほか大講堂・武芸場・厨房などを備え、学館予算も大幅に増額し、大規模な学校になりました。また藩士の子弟に限らず教育することにし、翌年六月の新築開講にあたり、「文武を励み、国家(藩)の御用に立つ様心掛くべし」と訓示されました。
 学課は儒学・和学・漢学・兵学・筆道・習礼・算術・槍術・剣術・柔術・馬術・砲術・水練・蘭学(洋学を含む)、さらに洋式操練も加え、厳しく文武に研讃を積ませています。1855年(安政2年)に始まる長崎海軍伝習には幕府の人数を上回る最多の48名を参加させ、海外の最新技術を学ばせています。
 明治新政府で活躍した副島種臣、大木喬任、大隈重信、佐野常民、江藤新平、島義勇などは皆弘道館の出身でした。弘道館を中心とした徹底した教育による優秀な人材の育成が、幕末の佐賀藩が全国に先駆けて近代化を成し遂げる原動力になったと考えられます。
 この記念碑は1923年(大正12年)三月の建立で、題字は十二代侯爵島直映の揮毫、碑文は文学博士久米邦武の撰、中島雅明の書になるものです。
kinennhi.jpg

弘道館記念碑 碑文.jpg

*文学博士久米邦武に関しては、久米美術館のホームページが詳しい。
http://www.kume-museum.com/museum.html#museum3

*弘道館之図(文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/260752 
*文化御城下絵図( 同上   )
http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/180815
*学館図  (文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/173414

*「蒙養舎」は15歳以下の子弟教育機関。1872年(明治5年)明治新政府の学制改革により一旦廃校、1874年(明治7年)7月 勧興小学校として再興。1913年(大正2年)12月 現在地に新校舎落成。翌年11月移転。(勧興小学校沿革より)

*弘道館記念碑と徴古館
徴古館.jpg

記念碑と徴古館.JPG

*徴古館は、鍋島家12代当主直映公により昭和2年に創設された佐賀県内初の博物館。
 昭和の激動を経て今日では、旧佐賀藩主・侯爵鍋島家伝来の歴史資料・美術工芸品を展示する博物館として親しまれています。
*徴古館ホームページ
 http://www.nabeshima.or.jp/main/

*弘道館以外の佐賀藩校
1)致遠館 ・・・長崎に幕末から明治初期にあった「英学塾」
 宮島醤油(株)のホームページが詳しい 
 「去華就実」と郷土の先覚者たち、第5回 致遠館と宮島商店長崎支店
 http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze5/shaze5.htm

2)好生館・・・1834年(天保5年)第10代佐賀藩主鍋島直正公により医学館・医学寮が
  佐賀市八幡小路に創設。
 佐賀県医療センター好生館のホームページが詳しい
 http://www.koseikan.jp/about/history/history/index.html
 
*幕末・明治期活躍の弘道館出身者につきましては、以下のページを参照ください。
1)副島種臣・・・さがの歴史・文化お宝長
2)大木喬任・・・さがの歴史・文化お宝長
3)大隈重信・・・佐賀市大隈記念館         さがの歴史・文化お宝長 4)佐野常民・・・佐野常民記念館  経歴紹介にある、「パリ万博佐賀藩派遣団使用書籍類」の所蔵元は佐賀県立佐賀西高等学校(佐野常民記念館寄託)。
         さがの歴史・文化お宝長5)江藤新平・・・さがの歴史・文化お宝長6)島義勇 ・・・さがの歴史・文化お宝長
*その他参考ホームページ
1)国立国会図書館「近代日本人の肖像」2)佐賀県立佐賀城本丸歴史館「佐賀の群像」
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佐賀県立佐賀中学校 [栄城会館資料室(母校沿革)]

*創立記念絵葉書
佐中 校内絵葉書.jpg

建学の精神「質実剛健・鍛身養志」
佐賀中学校 建学の精神.jpg

■ 明治の弘道館 ■
明治 2年(1869年)6月
・藩校弘道館を一時廃校。(6月に版籍奉還)
 *弘道館の内生寮・外生寮における和漢の藩営の「学校」は存続。
明治  3年(1870年)4月
・弘道館を再興。
明治 4年(1871年)10月
・佐賀県中学校設立。(7月に廃藩置県)
・12月、弘道館廃校。
*明治7年(1874年)2月、佐賀の乱。
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■ 佐賀中学校 沿革 ■
明治 9年(1876年)2月
・佐賀変則中学校として開校 (藩校弘道館跡に設立)、生徒数150名。

変則中学校印.jpg

*同年4月、佐賀県を廃止し三潴県へ併合、8月旧佐賀県を長崎県に移管。
明治11年(1878年)4月
・初代校長 相浦 肇 就任。下等中学修業4年
・長崎県佐賀中学校設置

長崎県佐賀中学校印.jpg

明治13年(1880年)4月
・第2代校長 原口 元照 就任。
明治16年(1883年)4月
・佐賀県佐賀中学校と改称 、(佐賀県は長崎県から分離独立)
 *校舎が佐賀県庁舎として使用の為、校舎を旧城内本丸藩庁跡(大書院)に移す。「鯱の門」が学校正門。

佐賀中学校印.jpg


明治17年(1884年)4月
・初等中学4年に高等中学を加え、年2回進級の6年制となる。
*県の財政難から県下の八中学校を廃止。
 一県一中学校の佐賀中学校となる。(定員450名)
・7月 第3代校長 渡辺 竧 就任。
明治18年(1885年)
・新制度第1回の卒業生を出す
明治19年(1886年)4月
・佐賀県尋常中学校と改称、年1回進級の5年制となる。
*学生服(黒のジャケッ型ホック詰)・学帽が制定される。
 だが、平素洋服を着用するものはいなかった。
・9月 第4代校長 原口 照 再任。
佐賀尋常中学校印.jpg

佐中 学帽.jpg

明治21年(1888年)4月
・第5代校長 千葉 常男 就任。
・ 7月 尋常中学校となって初めての卒業生7名を出す。
・12月 原口前校長の更迭に反対して同盟休校発生。
明治22年(1889年)12月
・前年の同盟休校首謀者13名の退学をもって解決。校内の荒廃は甚大。
明治23年(1890年)1月
・第6代校長 田所 貢 就任。
明治24年(1891年)2月
・第7代校長 下条 幸次郎 就任。
明治28年(1895年)5月
・現在の佐賀西高校(城内・旧武雄屋敷跡:龍造寺氏の村中城跡)に校舎新築移転。寄宿舎も新築整備。
明治29年(1896年)3月
・新校舎火災。諸記録消失。
・4月 佐賀県尋常中学校鹿島分校、唐津分校を開設。生徒数は本校併せて1200名。
*学年の期間を9月から7月までを、4月から3月までに改定。
・10月 第8代校長 垣内 正輔 就任。  
明治30年(1897年)1月
・校友会を組織、「栄城会」と命名
・ 5月 栄城会雑誌「栄城」第1号は発行・
・ 6月 前年焼失した校舎の再建竣工。
*11月、第五高等学校教授:夏目金之助、英語教育視察。
明治31年(1898年)4月
・佐賀県第一尋常中学校と改称。鹿島分校が独立。
明治32年(1899年)
・学則改正で佐賀県第一中学校と改称。鹿島は第二中学校、唐津は第三中学校。
明治34年(1901年)5月
・中学校令施行規則により「佐賀県立佐賀中学校」と改称。5年修業・定員800名。
明治35年(1902年)4月
・小城分校が独立。
・11月 第9代校長 清水 誠吾 就任。
明治38年(1905年)
・秋 4年生同盟休校。
明治39年(1906年)1月
・第10代校長 三根 円次郎 就任。
佐賀県立佐賀中学校印.jpg

*明治39年(1906年)佐賀市街地図(県立図書館・近代地図データベース)
 http://www.sagalibdb.jp/kingendai/php/KinSyosai.php?GmnNo=1&Kw=%E4%BD%90%E8%B3%80%E5%B8%82&KwAndor=and&Area=&Shityoson=&Title=%E4%BD%90%E8%B3%80%E5%B8%82%E8%A1%97%E5%9C%B0%E5%9B%B3&KeyNo=9
明治40年(1907年)5月
・5年生の2年生に対する訓戒に端を発し5年生全員に2週間の停学処分。
・12月 第11代校長 鈴木 券太郎 就任。
明治42年(1909年)10月
・第12代校長 岩田 静夫 就任。
明治45年(1912年)5月
・3・4年生、校長排斥を唱えて同盟休校。
大正 2年(1913年)9月
・13代校長 千住武次郎 就任 本校卒業生(22年卒)として初めての校長。
*校長在任12年、それまでのバンカラな校風の改善に取り組まれた。
    *同時期、教師に下村虎六郎(胡人)。
千住校長 佐中 顕彰碑.jpg

    *11月、鍋島閑叟公銅像除幕式などで大隈重帰郷時に、生徒の裸足風習を非難。
大正 3年(1914年)9月
・新学期より、登下校は短靴・ゲートル巻とする。
大正 4年(1915年)11月
・創立40周年式典挙行。
大正 5年(1916年)2月
・40周年記念誌「栄城」発行。
・これまでの4クラスから5クラス編成となり、定員1100名。
大正 8年(1919年)
・佐賀県再置記念日の5月9日を開校記念日とする。
・三養基分校設置。
大正 9年(1920年)
・ 3月 三養基分校独立。
・県下中学制服が霜降り折襟に統一。
*ある日の佐賀中学校生徒写真
佐賀中学 生徒 2.jpg

大正11年(1922年)8月
・全国中等学校野球大会(鳴尾球場)初出場。
大正13年(1924年)8月
・新装の甲子園球場に全国大会3年連続出場
・登下校時のゲートル廃止、修学旅行・教練時のみとなる。
大正14年(1925年)3月
・寄宿舎、廃止。
・ 4月 「陸軍現役将校配属令」により将校が配置され、教練を実施。
・ 7月 第14代校長 青木 勘 就任。
*制服が折襟から立襟となる。
大正15年(1926年)10月
・創立50周年記念式典挙行、校歌制定。
*校歌は生徒より募集。5年生横尾弘嗣作詞、佐賀師範学校教師真島豹吉作曲に決定。
昭和 2年(1927年)8月
・全国中等学校野球大会に出場、
・12月 第15代校長 春日 重泰 就任。
昭和 3年(1928年)7月
・寄宿舎後にプール完成。
・ 8月 全国中等学校野球大会に連続出場。
昭和 4年(1929年)
・全国中等学校野球大会昭和2年から3年連続6回目出場。戦前では最後の出場。
昭和 6年(1931年)
・校旗制定。1学年3クラス、入学者239名、全校生15クラス・1132名。
佐賀県立佐賀中学校校旗.jpg

昭和 8年(1933年)7月
・第16代校長 岡本 立彦 就任。
昭和 9年(1934年)2月
・校舎改築助成目的の「佐賀中学校後援会」設立。
昭和10年(1935年)
・校舎改築に着工。
昭和11年(1936年)2月
・第17代校長 石堂 民二郎 就任。
昭和13年(1938年)3月
・新校舎完成。
昭和14年(1939年)11月
・新校舎落成式及び創立60周年式典挙行。 
昭和15年(1939年)
・第18代校長 田村 清三郎 就任。
昭和16年(1941年)10月
・創立60周年記念誌「栄城」発行。
*稲刈り奉仕に生徒1087名が、東・中川副、西与賀、嘉瀬、佐賀市に3日間動員される。
昭和17年(1942年)4月
・新入生より学帽が戦闘帽に代わる。
昭和18年(193年)4月
・第19代校長 渡辺 善次郎 就任。
昭和19年(1944年)4月
・3年生以上の勤労動員が始まる
・8月23日「学徒勤労令」が公布。1・2年生も動員。3年以上は「大日本化学」で通年勤労。
 *大日本化学㈱佐賀工場は、昭和21年、味の素(株)佐賀工場と改名、その後九州工場となり現在に至る。
*昭和19年、旧陸軍幼年学校入学の友を迎えての2年生
佐賀中学 生徒.jpg

昭和20年(1945年)3月
・戦時特例として5・4年生を同時に卒業させる。
・ 8月 4年生は長崎県川棚海軍工廠、3年生は大日本化学諸富工場に動員中であった。
・ 9月 授業再開。但、3年生は食糧事情緩和の為北山村での開墾に従事、11月帰校。
・10月 佐賀軍政部が発足。体育館、プールが接収。
昭和21年(1946年)3月
・修業5年に復帰したが、特例で4年卒業も認む。
昭和22年(1947年)5月
・第20代校長 青木 七郎 就任。
昭和23年(1948年)3月
・第64回最後の卒業式挙行。明治18年以来の卒業生総数7,667名。
・ 3月 佐賀中学校を佐賀県立佐賀第一高等学校と改称 (3年修業)
*卒業生を3年生、5年生を2年、4年生を1年。3年生を併設中学3年に編入。通信制併設。
・ 5月 創立70周年記念式典挙行。
  記念事業として正門東(現在の弓道場付近)に「栄城会館」建設。
・10月 バスケットボール部、第1回全国高等学校バスケットボール選手権大会兼国民体育大会に出場し準優勝。
昭和24年(1949年)3月
・佐賀第一高校卒業式挙行。卒業生203名。

佐賀県立佐賀第一高等学校印.jpg

*佐高・西高併存の昭和39年建立の「佐賀中学校記念碑」。
佐賀中学 記念碑.jpg

*現在の校内ロータリーに移設された「佐賀中学校記念碑」。
佐賀中学校 記念碑.jpg

佐中記念碑 背面.jpg


佐賀中学校 校歌
作詞:横尾 弘嗣 作曲:眞島 豹吉

1)ああ栄城の黎明や
  北天山の紫に
  暁の雲色映えて
  永遠(とわ)の霊光(ひかり)を仰ぐ時
  男(おのこ)の胸に力充ち
  希望(のぞみ)の焔(ほのお)燃ゆるかな

2)昔を偲ぶ古城祉に
  夕(ゆうべ)の風の訪れて
  星散る空に不知火の
  神秘を語る筑紫潟
  この地、理想を育みて
  雄飛の機(とき)を待てるかな

3)歴史は遠く肥の国の
  老楠(ろうなん)かほる葉隠に
  学舎立ちて幾星霜(いくせいそう)
  正大(せいだい)の気を呼ぶところ
  剛毅の心 いや凝りて
  永遠(とわ)にゆるがぬ佐中魂(こん)

4)緑にけぶる野に立ちて
  青春の詩を我誦(われず)せば
  血潮は胸に高鳴りて
  鬱勃(うつぼつ)の意気 天を衝く
  いざや上(のぼ)らん 我が征途
  万里の果(はて)を窮(きわ)むべく
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佐賀県立佐賀高等女学校 [栄城会館資料室(母校沿革)]

■ 佐高女 沿革 ■
明治34年(1901年)4月
・「佐賀県高等女学校」設置。校友会発足。
 *城内本丸跡・佐賀師範学校付属小学校旧校舎を使用。
                  6月
・「佐賀県立佐賀高等女学校」と改称。

明治35年(1902年)1月
・授業開始。(修業年限4年)
・現在の県立図書館及び体育館の場所に校舎の一部完成。
明治36年(1903年)
・新校舎完成。
明治37年(1904年)
・補習科設置。(修業年限1年)
大正 4年(1915年)
・寄宿舎に自炊寮を設置。
大正11年(1922年)
・補習科募集停止。
大正12年(1923年)
・制服、和服から換襟型洋服に改定。
大正14年(1925年)
・女子武道として薙刀術を課す。
昭和 2年(1927年)
・新年度入学生から年制(修業年限5年)へ移行。全生徒750名。
昭和 3年(1928年)
・校友会を「郁芳会」と改称。
昭和 4年(1929年)
・郁芳会館完成。バスケットボール部、明治神宮競技大会出場。
昭和 7年(1932年)
・寄宿舎廃止。
昭和 8年(1933年)
・バスケットボール部、明治神宮競技大会出場。
昭和10年(1935年)
・バスケットボール部、明治神宮競技大会出場。14年・16年にも同大会出場。
昭和15年(1940年)
・校旗、校歌制定。
佐高女 校旗.jpg

・体操部、明治神宮競技大会出場。翌16年にも同大会出場。
昭和16年(1941年)
・年間30日以内の授業日数を勤労作業に振替。
昭和19年(1944年)
・戸上製作所・佐賀鉄工所に動員。校内に保育所設置。
昭和20年(1945年)
・4年生・5年生、同時に卒業。
・9月、混乱の中授業再開。
昭和23年(1948年)4月
・佐賀県立第二高等学校と改名。

佐第2高 校印.jpg

昭和24年(1949年)4月
・佐賀県立佐賀高等学校に統合。同校の東校舎となる。

*昭和35年4月、東校舎老朽化の為使用禁止。
*昭和38年1月に佐賀県立図書館、3月に佐賀県立体育館(現市村記念体育館)が跡地に落成。

*佐高女跡(県庁展望ホールより図書館・体育館を望む)
佐高女跡 県庁展望室より.jpg

*佐高女記念碑(昭和45年・創立70周年を記念して郁芳会にて建立)
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*平成23年5月15日、市内「マリトピア」にて同窓会「郁芳会」の解散式が開かれた。

*同年 9月28日(水曜日)~10月2日(日曜日)県立美術館にて「佐賀県立佐賀高等女学校回顧展」開催された。

佐賀高等女学校 校歌

作詞:吉田 弦二郎 作曲:平岡 照章

1)古城のほとり楠の葉がくれ
  鳰(にお)鳴く濠の水もしずかに
  清き心の誓に集ふ
  あしたたふとし我が学び舎
  燦(さん)たり我が学ぶ舎
  はるけし我等の道
2)桜に匂ふ二葉のほなれ
  たかくかざして、我が大君(おおきみ)の
  大御心(おおみこころ)に副(そ)ひ奉(たてまつ)る
  人とこそなかれ我が友達
3)千鳥啼きつれ夜も有明の
  月天山の雲より白く
  筑紫(つくし)の国の秋の八千草
  いとつつましき乙女我等
4)古城のほとり我が学び舎の
  窓こそ見ゆれ鐘もひびきて
  暮れゆく空に星を仰ぎし
  やまとおみなの道ぞ歩まむ


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佐賀市立成美高等女学校 [栄城会館資料室(母校沿革)]

■ 成美 沿革 ■
明治21年(1888年)
・豊増一女,「女学塾」を松原町に開設。裁縫手芸を教える。
明治23年(1890年)4月
・「実習女学校」開設。松原一女、校長に就任。
明治29年(1896年)
・豊増一女、退校し新たに「佐賀女学校」を松原町に開設。   
明治34年(1901年)
・実習・佐賀を併合し「私立成美女学校」として再発足。

私立成美女学校 校印.jpg

明治35年(1902年)1月
・授業開始。本科(4年)、技芸科(2年)
明治36年(1903年)
・新校舎完成。
明治42年(1909年)3月
・「私立成美高等女学校」に改称。

私立成美高等女学校 校印.jpg

大正 5年(1916年)
・創立15周年記念式典挙行。
大正 9年(1920年)5月
・佐賀市立に移管、「佐賀成美高等女学校」となる。本科4年制、補習科1年制、生徒数800名強。

(市立)成美高等女学校 校印.jpg

大正11年(1922年)3月
・定員850名となる
大正15年(1926年)
・制服、和服から洋服となる。
昭和 2年(1927年)2月
・定員1000名とする。
昭和 3年(1928年)
・バスケットボール部春日原の九州大会で優勝。
昭和 4年(1929年)
・バレーボール部、3年連続出場。4年から6年。
昭和 5年(1930年)
・花島・宮田、陸上佐賀県代表として明治神宮競技大会に出場。
昭和 6年(1931年)
・寄宿舎廃止。
・陸上・バレー・バスケット部、明治神宮競技大会に出場。
昭和 8年(1933年)
・佐賀県中学校競技会で陸上部優勝。
昭和10年(1935年)
・「佐賀市立成美高等女学校」と改称する。

佐賀市立成美高等女学校 校印.jpg

・平野(陸上)、明治神宮競技大会出場。
昭和11年(1936年)10月
・創立35周年記念式典挙行。
昭和13年(1938年)10月
・県立春日山道場設立。宿泊勤行を実施。
*同道場は現在の大和町大字久池井にあり、その後「青年の家」となった。
昭和15年(1940年)
・紀元2600年を記念し、校旗制定。
成美 校旗.jpg

昭和16年(1941年)
・文部省学徒動員報国団編成訓令の発令。
*秋稲刈奉仕に三日間従事。佐賀市及び近郊に1155名。
昭和17年(1942年)
・慰問袋作製、勤労奉仕始まる。*大和紡績で奉仕。
昭和22年(1947年)5月
・校内に佐賀市立第2中学校が、5学級で発足。(現・市立城南中学校)
昭和23年(1948年)
・成美高等女学校を佐賀市立成美高等学校と改称

成美高等学校 校印.jpg

昭和24年(1949年)4月
・佐賀第一高等学校、佐賀第二高等学校、成美高等学校の3校の統合がなり、佐賀高等学校となる。

*県庁展望ホールより学校跡を望む。
成美女学校 跡.jpg

*昭和24年5月、成美会建立
成美 記念碑.jpg

成美 記念碑 背面.jpg

*昭和24年4月20日閉校式。
*成美女学校の跡地は、統合の佐賀高等学校「南校舎」として使用、昭和26年10月から、佐賀大学農学部として使用され、現在は県の駐車場と佐賀県庁南別館(公文書館)となっている。

*平成27年5月20日(日)、市内「ホテルグランデはがくれ」にて最後の同窓会が開かれた。ここで会員の高齢化から同窓会の解散を決定した。

*平成28年9月、記念碑を西高正門ロータリーの校舎側、補修の上佐高記念碑横に移設。

記念碑 西高に移設.jpg
記念碑 西高に移設 補修.jpg

成美高等女学校 校歌

作詞:八波 則吉 作曲:信時 潔

1)名も栄城の一聖地
  楠の大木(おおき)の葉隠に
  神の宮居を をろがみつ
  万(よろ)づ美を成す学舎の
  おのづからなる気高さよ
2)いざわが友よ水清き
  川上川の淀みなく
  末(すえ)有明の海に入る
  不断の力 身に添えて
  学びの道にいそしまん
3)見よ天山の頂きに
  入日(いりひ)は耀(かがよ)へり
  今日も一日(ひとひ)を大御代の
  恵みに生きし喜びを
  我等が共に謝するごと



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佐賀県立佐賀高等学校 [栄城会館資料室(母校沿革)]

佐高 校内絵葉書.jpg

■佐高 沿革■
佐賀高等学校 校史.jpg

昭和24年(1949年)4月
・三校が合併し「佐賀県立佐賀高等学校」として発足。
 
佐賀高等学校 校印.jpg

 旧佐賀第一高を西校舎、旧佐賀二高を東校舎として使用。
 定時制と通信制は東校舎に配置。
 定員3,000名。学区は佐賀市・佐賀郡・神崎及び小城郡の一部。週5日制。
 男女共学・学科自由選択制。
 初代校長:宮田虎雄。
佐高 校舎 正門.jpg

            5月
・10日、開校式。この日を開校記念日と定める。
・22日、九州巡行の天皇、佐高校庭に行幸。
          6月
・生徒自治会規約制定
            7月
・定時制蓮池分校開設。芙蓉小学校で授業開始。
*普通・被服科、男子26名・女子65名にてスタート。
昭和25年(1950年) 3月
・4年ぶりに入学試験実施。定員1,000名。
・佐高第一回生、卒業式挙行。
*1回生(高山クラス)の卒業写真
  スカーフの女性は成美、他の女性は高女出身。男性の服装も、まちまちであった。
 
佐高第1回生 卒業記念.jpg

             4月
・旧成美校舎を南校舎として使用。
*第一回ファイヤーストーム実施
ファイヤーストーム.jpg
      
            12月
・女生徒の制服をセーラー型に決定。
昭和26年(1951年) 4月
・学科自由選択を改定し、コース制を採用。
            10月
・創立75周年に際し、「逍遙歌」と「賛歌」の歌詞を募集。
 逍遙歌:3年生の原岡 熏、賛歌:教師の米倉利昭、が当選。作曲はともに陶山 聡。
*陶山 聡(1907年~1999年)鳥栖市出身 校歌・社歌など3000曲を作曲。
            12月
・県議会の議決により、南校舎の敷地と校舎を佐賀大学農学部として国へ寄付。
 但、新校舎完成まで一部を使用。
・佐中同窓生の寄付金により、13代校長:千住武次郎の浮彫が完成除幕。制作は中島 快彦。
千住校長 顕彰碑.jpg

昭和27年(1952年) 4月
・講和条約が発効。接収されていたプール返還される。
            12月
・女子制服を冬にはボックス、夏服は白ブラウス、合服はウエストキットに改定。
昭和28年(1953年) 3月
・職員手帳・生徒手帳として「佐高生活」編集。
佐高 生徒手帳.jpg

8月
・バスケットボール部第6回全国高等学校バスケットボール選手権大会(新潟)に優勝。
                     *準優勝:栃木県立宇都宮商業高等学校 
 (10月、国体でも優勝)
           11月
・蓮池分校、旧鍋島内庫所跡の独立校舎(*[↓]現在の蓮池公民館)に移転。
蓮池公民館.JPG

*公民館敷地内にある「分校独立校舎記念碑」、台座に「鍋島内庫寄贈」。
蓮池分校 記念碑.JPG

昭和29年(1954年) 4月
・週6日制に復帰。
            10月
・学校祭の前日、ファイヤーストームを(*真昼に)実施。

・福岡県立修猷館高校と交換会を実施。
昭和30年(1955年) 6月
・佐賀中学校校旗を改装して校旗を制定。
佐高校旗.jpg

*佐高・学生帽
佐高 学帽.jpg

             *学生服ボタン
佐高 ボタン.jpg

             *ベルトバックル
佐高 バックル.jpg

             *女子校章
佐高 女性徒校章.jpg

             12月
・佐賀市上多布施町及び鍋島町に北校舎建築に着工。
昭和31年(1956年) 9月
・定時制後期最後の卒業式挙行。
・11月創立80周年記念式典挙行。
 記念行事として校歌制定。作詞:高田保馬、作曲:清水 脩。
佐高創立80周年記念 教職員集合写真.jpg

昭和32年(1957年) 2月
・創立80周年記念誌「栄城」発行。
             3月
・南校舎の使用を中止。
             4月
・北校舎の一部使用開始。一年生全員を収容。
1年20組のクラス写真.jpg

昭和33年(1957年) 4月
・定時制創立10周年記念式典挙行。

      *昭和33年の3校舎(東・西・北)の校務日誌 
校務日誌 昭和33年.jpg
            
8月
・野球部、第40回全国高等学校野球選手権大会出場。
第40回全国高校野球選手権退会 EIJO.jpg

昭和34年(1958年) 3月
・蓮池分校創立10周年記念式典挙行。
             4月
・第2代校長:西村芳雄就任。

     *本館2階講堂にあった演壇の荘厳な校章
佐高時代 講堂 演壇.jpg

昭和35年(1960年) 3月
・東校舎の使用を中止。
            5月
・修猷館高との交歓は全校あげての実施。3,000名参加。
歓迎 修猷館 3.jpg

歓迎 修猷館 1.jpg

歓迎 修猷館 2.jpg

・翌年にかけて分離問題に関し、「総合選抜・均質分離」(男女共学)、
 「異質分離」(男女別学)の議論盛ん。
*戦後のベビーブーム世代の高校進学時期が迫り、市内の県立が1高では収容に限界があった。
 また、旧佐高女及び成美女学校OGからも女子の県立高校を望む声が上がっていた。
(佐賀県教育史より要約)

昭和37年(1961年) 4月
・蓮池分校、全日制に移行。
             5月
・北校舎完成
            11月
・新年度の生徒募集停止と、佐賀西・佐賀北・佐賀東の三高の新設及び自由志願・男女共学が決定。
昭和38年(1963年) 2月
・「佐賀県立佐賀西高等学校」開校。定時制併設。通信制は佐賀北高に付設。
 初代校長:西村 芳雄発令。(北高校長兼任)
             3月
・佐賀東高の発足により蓮池分校の生徒募集中止。
             4月
・西高第一回生入学。
            10月
・県衛生研究所を移設し、「佐高会館」と命名。
昭和39年(1964年) 3月
・蓮池分校創立以来15年で廃校。全日制105名、定時制4年17名は佐賀東高に委託。
・佐賀県立佐賀中学校之碑 建立。
佐賀中学校之碑.jpg

             4月
・佐高第3代・西高第2代校長に森一郎就任。
*佐高・佐賀西高の教職員一同
昭和39年教職員集合写真.jpg

・蓮池分校跡(現・蓮池公民館)に記念碑建立。
蓮池分校 跡碑.JPG

             5月
*修猷館高校にて交歓会。(修猷館では「佐高戦」)佐高3年生、西高1・2年生およそ2,500人が佐賀市営バス・祐徳バス総計43台に分乗して訪れた。
昭和39年 修猷館での交歓会.jpg

             8月
・バスケット部、17年連続全国大会出場。特別表彰を受ける。
昭和40年(1965年) 2月
・佐高第16回、最後の卒業式挙行。卒業生総数15,233名。
*昭和40年2月16日、県立体育館にて、佐高最後の卒業式が挙行された。
 佐高16回生:1,364名(24クラス)及び西高1・2年生が出席した。
(佐賀県教育史より)

・蓮池分校第13回最後の卒業式挙行。卒業生総数499名。
            4月
・第3回生が入学し、学校体制が整う。
昭和41年(1966年) 2月
・佐高定時制第21回最後の卒業式挙行。卒業生総数1,474名。
            3月
・佐高定時制4年の卒業により、名実共に廃校となる。

佐賀高等学校 最後 校印.jpg

佐高記念碑.jpg

佐高記念碑 背面.jpg


  佐高讃歌
                  作詞 米倉 利明
                  作曲 陶山 聡

1.天そそる 筑紫の峰に 2.楠の葉の 緑は永遠(とわ)に
  学び舎の 窓は開きて   まどいなき ひとみに映えて
  新しき 光を求め     真理への 道は遠けれど
  若人の 夢は燃え立つ   極めゆく 三年(みとせ)の集い
  讃えよ讃えよ 若き命を   讃えよ讃えよ 若き力を

3.黒雲の 渦巻く夜も
  ともしびは 佐高に浄く
  輝ける 歴史を伝え
  うるわしき 明日を築かん
  讃えよ讃えよ 若き使命を
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佐賀県立佐賀西高等学校 [栄城会館資料室(母校沿革)]

西高 校章.jpg

西高 校門.jpg

■ 西高 沿革 ■
西高 沿革.jpg

昭和38年(1963年) 2月
・「佐賀県立佐賀西高等学校」開校、定時制併設。
 初代校長西村芳雄(佐高・佐賀北高各校長と併任)就任
             4月
・第1回生が入学。1回生定員 477名 (9学級)
            10月
・県衛生研究所を移設し。「佐高会館」と命名。
昭和39年(1964年) 4月
・西高第2代校長森一郎就任。
昭和40年(1965年) 4月
・第3回生が入学し。学校体制整う。
*3回生定員 530名 (10学級) 全校生徒数 1、530名
1回生 卒業フォノシート.jpg

昭和41年(1966年) 4月
・第3代校長元村光明就任。
            9月
・創立90周年記念式典挙行。
栄城 90周年記念誌.jpg

西高新聞 栄城90周年.jpg

           11月
・京都大学名誉教授高田保馬(明治35年佐中卒業)の歌碑を正門近くに建立。
 「故郷の山はなつかし母の背に 昔ながめし野火のもゆるも」
  *現在の正門近くに移設されている歌碑
高田保馬 歌碑.jpg

昭和43年(1968年) 5月
・昭和30年以来の修猷館高校との交歓会中止。
*在りし日の「北筑の敵(とも)」を迎えて
修猷館との交歓会 4.jpg

修猷館との交歓会 3.jpg

修猷館との交歓会 2.jpg

修猷館との交歓会 1.jpg

              7月
*2年生研修旅行(7月15日~17日)
昭和43年 研修旅行 ホテル名.jpg

昭和43年 研修旅行 1.jpg
 
昭和43年 研修旅行 2.jpg

昭和43年 研修旅行 3.jpg

昭和43年 研修旅行 4.jpg
 
昭和43年 研修旅行 5.jpg
  
昭和45年(1970年)
 一昨年来の大学紛争が本校に波及。「西高安保粉砕闘争委員会」が校内で活躍、翌年まで続く。
昭和46年(1971年) 5月
*課外廃止、1・2年生、7時間授業。9回生定員 450名 (10学級)
西高新聞 昭和46年7月.jpg
 
昭和47年(1972年) 4月 
・第4代校長田坂守人就任。
*8回生ストームリーダー
ファイヤーストーム8回生.jpg

昭和48年(1973年) 4月
・一時限65分授業開始。
  10月
・新校舎建築着工。
昭和49年(1974年) 4月
・第5代校長元村光明再任。
             7月
・新校舎へ一部移転。
             8月
・旧校舎解体開始。
             9月
・プール撤去
昭和50年(1975年) 4月
・校舎全面移転。
             9月
・旧校舎解体完了。
昭和51年(1976年)
・若楠国体開催される。女子生徒マスゲーム「面浮立」に参加。
            10月
・創立100周年記念式典挙行。
            11月
・11月5日(金)全国身体障害者スポーツ大会出席のため来佐の皇太子(今上天皇)並びに同妃来校、車いすバスケットボールなどの県選手団の調整をご覧になった。
昭和52年(1977年) 4月
・第6代校長花島廣次就任。
昭和53年(1978年) 5月
・従来二学期に実施していた学校祭を一学期に移行。
昭和54年(1979年) 1月
・第14回生、第一回共通一次学力試験に挑む。
             4月
・第7代校長釈憲正就任。
昭和57年(1982年) 
*2年生の宿泊研修を諫早青年の家で実施。
昭和58年(1983年) 4月
・第8代校長和久井禎治就任。
*2年生の宿泊研修を高野山で実施。
昭和59年(1984年) 
*宿泊研修を武雄・御船山で実施。
昭和60年(1985年) 4月
・第9代校長坂本武一郎就任。佐中より通算すると第30代。
・1年生の阿蘇宿泊研修開始。
昭和61年(1986年) 9月
・昭和53年より第一学期に実施していた学校祭を再び二学期に移行。
            10月
・創立110周年記念式典挙行。
栄城 110周年記念誌.jpg

昭和63年(1988年) 4月
・第10代校長石丸虎彦就任。
・正門西のテニスコート竣工。
平成 2年(1990年) 3月
・弓道部女子全国優勝(*全国選抜大会・初出場初優勝)
 3月25日、愛知県蒲郡体育館での第8回全国選抜高校弓道大会決勝、佐賀西10対八代第一8。
*県総体では昭和63年から3年連続優勝。
平成 3年(1991年) 4月
・第11代校長荒巻甲子郎就任。
・65分授業から50分授業に移行。
平成 5年(1993年) 4月
・第12代校長宮原照明就任。 ・定時制募集停止。
平成 7年(1995年) 4月
・第13代校長久保田勝吉就任。33回生定員 400名 (10学級)
平成 8年(1996年) 3月
・佐賀西高等学校定時制閉校。卒業生1,296名。

閉校記念誌 燈 西高定時制.jpg

定時制記念碑.jpg

                     4月
*34回生定員 360名 (9学級) 全校生徒数 1、126名
                    11月
・創立120周年記念式典挙行。
栄城 120周年記念誌.jpg

平成 9年(1997年)
・栄城会館改装なる。
平成10年(1998年) 4月
*36回生定員 400名(10学級)
平成11年(1999年) 4月
・第14代校長吉田宗利就任。37回生定員 360名(9学級)
・教室棟北棟改修工事
平成12年(2000年) 
・教室棟南棟改修工事
平成13年(2001年)
・特別教室南棟改修工事。*CAIコンピューターシステム整備。
平成14年(2002年) 4月
・第15代校長山崎丈夫就任。普通教室棟冷暖房設備整備。
平成15年(2003年) 4月
*41回生定員 320名(8学級)
平成16年(2004年) 4月
・第16代校長辻 裕一就任。
平成18年(2006年)
・創立130周年記念式典挙行。
栄城 130周年記念誌.jpg

平成18年(2006年)
*生徒昇降口新設、エレベーター及び多目的トイレ設置。
平成20年(2008年) 4月
・第17代校長梶原彰夫就任。
平成24年(2012年) 4月
・第18代校長平山又一就任。
平成25年(2013年)
・体育館南多機能トイレ整備
平成26年(2014年) 4月
*52回生定員 280名(8学級 少人数学級実施)
平成27年(2015年) 4月
・第19代校長古賀信孝就任。
*53回生定員280名。入学者数、男子128名、女子152名、女子が男子を上回る。
平成28年(2016年) 4月
*54回生定員280名。入学者数、男子153名、女子127名。
西高校旗.jpg


佐賀西高校 応援歌

1.天山嵐 音絶えて    2.享けて起ちたる丈夫の
  結ぶ恨みもおく霜の     凝りし肉弾ひっさげて
  栄えある身をば偲びつつ   飛び交う球や鉄棍を
  津々浦々の渚まで      最後のゴールと目指しつつ
  西高健児のいさおしを    胸裡潮の秘をたたみ
  伝えし我が校健男児     砂塵にまみれ土を咬み

3.赤紅顔の若武者も
  身をば鍛えし くろがねの
  よろい兜や駿足の
  鉄馬嵐に嘶きつ
  刃向う敵を蹴散らしつ
  晴の舞台を前に見て
            





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