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春!川辺の桜が満開です。 [故郷(佐賀)を歩く]

 ・佐賀県庁 お堀に桜と大楠
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 今年(平成29年)、佐賀の桜は平年より6日遅く、昨年より7日遅い3月30日(木)に開花となりました。満開となりました今週末の8日・9日は市内のお花見スポットは老若男女で賑わっていました。今年、天候にはあまり恵まれず見栄えの良し写真は撮れませんでしたが、懐かしの佐賀の桜スポット!川上・嘉瀬・多布施川の水辺をご案内いたします。
 ■川上峡周辺の桜
  川上川 水上をおよぐ鯉に桜
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 朱色の官人橋 昭和28年(1953年)3月に完成した鉄製トラスト橋。成富兵庫茂安により江戸初期に板橋が架けられ、土橋・コンクリート橋となり大正前までは「勧進橋」と表記されていました。昭和24年の水害で流されたため現在の橋が架けられています。平成21年(2009年)10月から化粧直しの塗装工事を実施、與止日女神社への参道橋でもあり、朱色を3度塗り重ねて新年を迎えています。
川上峡 官人橋と鯉.jpg
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 国道263号、官人橋手前の昭和バス「ユースピア入口」バス停近くに「川上軌道跡碑」あり、大正時代の勧進(官人)橋のパネル写真も埋め込まれています。
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官人橋よりの風景 右手は肥前の国一宮、與止日女神社(よどひめじんじゃ)、左奥に川上頭首工が見えます。昭和35年8月完成、平成19年3月全面補修、機能拡大しています。多布施川の主な取水施設でもあります。
官人橋よりの風景.jpg
川上頭首工 1.jpg
川上頭首工.jpg
 與止日女神社西門 県重要文化財 室町後期に創建され、今川の戦いで一部焼失し、元亀4年(1573年)に修復再建、昭和48年に大修理が行われています。柱は楠材で創建時のものと伝わります。
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 川上川の風景2点
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川上川 土手の桜と菜の花.jpg

 ■石井樋の桜
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 石井樋は現存する日本最古の取水施設です。よく知られていますように成富兵庫茂安より江戸初期の元和年間(1615~1623年)に造られています。昭和35年(1960年)8月、上流に川上頭首工が完成するまで、多布施川の取水口であり、流域の水害防止の役目がありました。その後は水も流れなくなり埋没、昭和38年の大洪水で大井手堰も壊れてしまいましたが、平成17年に石井樋地区歴史的水辺整備事業により復元されています。
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石井樋 取水口.jpg
石井樋 説明.jpg
 忠実に復元し更に保護の為、石を積み増した「象の鼻」、手前は「天狗の鼻」。奥の水流は、流れはこれより「川上川」から「嘉瀬川」となります。
石井樋 復元された象の鼻、手前は天狗の鼻.jpg
 成富兵庫茂安の功績を讃える「水功之碑」 明治24年建立。碑面の題字は副島種臣の書、碑文は久米邦武(弘道館記念碑の撰者)の撰、書は武富誠修。
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 ■多布施川河畔公園 昭和49年に都市計画公園として決定され整備・維持が図られています。
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多布施川河畔公園 遊歩道に桜.jpg
 桜に菜の花、レンゲ畑。 画面右奥に医学部
桜に菜の花、レンゲ畑.jpg
 長瀬天満宮の桜 天満宮の四脚門は宝永2年1705年造立。社殿造営は永正10年(1513年)、のち鍋島勝茂公により補修との記録が残っています。社殿前の狛犬の形が面白いですよ。
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長瀬天満宮の狛犬.jpg
長瀬天満宮の桜.jpg

 ■神野公園 佐賀藩十代藩主鍋島直正公の別邸として弘化3年(1846年)に造られ、別名「神野のお茶屋」。大正12年(1923年)に鍋島家より佐賀市に寄贈され公園となりました。
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 隔林亭(かくりんてい) 別邸の茶室と建てられたましたが昭和35年(1960年)老朽化により解体、20数年後「隔林亭文書」の発見により、一枚の写真と古図を基に平成5年(1993年)に復元されました。見学無料
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隔林亭 桜.jpg
隔林亭 桜に池.jpg
 神野公園前の多布施川の桜並木 昭和30年代まで、ここは水泳場でした。神野公園より川向、東北側(西神野)には佐賀競馬場があり、多布施川通りなどの道端には、日常的に馬糞が落ちていました。昭和47年(1972年)鳥栖に移転。
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 ■多布施川の桜並木 佐賀工業高校の先まで並木は続きます。
 昭和橋(大正14年架橋)から多布施川橋梁まで
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 多布施川橋梁と多布施踏切
多布施川橋梁と多布施踏切.jpg
多布施川橋梁.jpg
 佐賀県立佐賀農業高等学校発祥の地・碑  大井手分水工近くにあります。多布施川と天祐川に分かれる「緑小路」に明治28年佐賀県簡易農学校として開校、県立佐賀農学校となり、大正10年白石に移転しています。創立百周年を記念して平成6年10月建立。
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多布施橋の桜
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 佐賀県立佐賀工業高等学校の東側を流れる多布施川及び多布施川通り
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佐賀工業高校の東を流れる多布施川 多布施川通り.jpg
 多布施川新橋と佐賀藩科学技術研究所(製煉方)跡碑 佐賀藩が嘉永5年(1852年)11月設けた理化学研究所。蒸気機関や電信機の研究にまで多岐にわたりました。記念碑は昭和60年建立
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佐賀藩科学技術研究所(製煉方)跡碑.jpg
 「さかえばし」と佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑(昭和60年建立)
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佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑 説明碑.jpg
佐賀藩多布施公儀反射炉跡碑 説明碑 と桜.jpg

 ☆多布施公儀石火矢鋳立所とも言います。石火矢は大砲の事です。嘉永6年(1853年)ペリーの浦賀来航に危機感を持った江戸幕府が佐賀藩に鉄製大砲鋳造を依頼し、ここ多布施に反射炉が築かれました。大砲は江戸・品川に築かれた砲台に備えられました。レインボーブリッジ脚下にある「台場公園」などに遺構があります。
 ■護国神社前の多布施川 昭和57年から毎年7月中旬から8月中旬まで、この辺は遊水場となり子供たちの歓声で賑わいます。
護国神社 前.jpg

 神野公園や多布施川の土手を北上し川上まで遠足を経験された同窓も多いと思います。多布施川の川幅は改めてみますと、心なしか小さくなったように感じてしまいます。

佐賀城内散策!堀端 編 [故郷(佐賀)を歩く]

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 母校がある城内の周囲、県庁の展望ホールから見える佐賀城の堀端を中心に城内を巡ります。
 平成3年度に「佐賀城公園まち構想」が策定されました。①鯱の門周辺の整備(佐賀城本丸歴史館オープン・東濠の復元整備・NHK佐賀放送局等の移転)、②多布施川の整備、③北濠の堀越道路(平成9年)④西の御門橋の整備(平成21年)、⑤西城内マンション問題(平成13年)により景観ガイドラインを作成です。今日まで、歴史及び文化・水と緑・生活・文教・にぎわいのある街の創生に向けて城内の整備が図られています。
 ・佐賀県庁・・県庁舎は昭和24年2月(1949年)明治以来の庁舎が火災で焼失、昭和25年12月に(1950年)本館が落成。隣接する県警本部移転跡に新行政棟が1期・平成3年(1991年)、2期平成6年(1994年)に竣工しています。行政棟の最上階には展望ホールがあり、市内全域の景色が楽しめます。
(展望レストラン有)https://tabelog.com/saga/A4101/A410101/41000396/
 ■開館時間■ *西高ファイヤーストームが見下ろせます!!
 平日(開庁日)8:30~22:00 土曜(閉庁日)10:00~22:00
          日曜・祝日(閉庁日)10:00~21:00
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 ・県庁展望ホールより・・母校の後方には「雲仙普賢岳」が遠望できます。佐賀城内から有明海を挟んだ真南の位置、雲仙山麓に長崎県雲仙市国見町神代(こうじろ)があります。ここは佐賀藩の飛び地にて、藩祖鍋島直茂の諸兄・鍋島信房を初代とする神代鍋島家が6,263石で統治し、本藩大組頭「家老」の家格でした。
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 ☆・有明の海を飛んで、神代小路(こうじろこうじ)のご紹介
 寛文3年(1663年)神代・第4代鍋島嵩就(たかなり)が佐賀から居を移して、武家屋敷などを整備し、今日まで江戸期の街並みが保たれています。平成17年(2005年)7月、「国の重要伝統的建造物群保存地区」となっています。
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 ・・国見神代小路歴史文化公園鍋島邸 佐賀藩神代領の領主陣屋後に建てられた邸宅で、江戸中期(隠居棟)江戸末期(長屋門)・明治中期・大正期(御座所、書院)・昭和初期(玄関・主屋)の建物5棟は国指定重要文化財。平成の代まで子孫が生活されていましたが、東京在住の当主より平成16年(2004年)敷地は地元自治体に売却、建物を無償譲渡され、平成26年2月より邸内の有料見学(大人300円)ができるようになっています。長屋門は江戸末期の慶応元年(1865年)建築です。
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神代 鍋島邸 邸内.jpg
 正面玄関及び主屋 昭和5年(1930年)第16代当主鍋島佳次郎(外交官・駐ベルギー公使・貴族院議員)の晩年に建築。近代和風建築において九州を代表する秀作。
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 邸内にある境界石柱
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  神代の街並み
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神代 街並み 1.jpg
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 神代鍋島第4代嵩就の寛文10年(1670年)から造林を始めたと伝わります。嵩就は善政を敷いたことから領民にも慕われ、地元の新村神社に祀られています。
 明治となり版籍奉還で知行地はなくなりましたが、副島種臣などの尽力もあり、一部が旧領主と村に折半で返還されています。その後は江戸期から続く林業で潤っていたことから、旧佐賀藩上級家臣団で唯一今日まで、屋敷を拡大・維持できたようです。地域も豊かであったことから、陣屋周囲の景観が江戸期のまま残されたとも考えられます。
  尚、林業は鍋島林業(株)に継承され、「奥山水源の森」などを所有しています。水源の保全や持続可能な林業経営と「保残木施業」を考案し計画的に間伐していることから、県の展示林に指定されています。
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 佐賀城内に戻ります・・・母校の東側を通る多布施川水辺が整備されています。藩政時代、多布施川は城内へのライフラインであり、清流保全もあり、護岸は「みだれ積み」や「布積みの」技法の石垣で築かれています。また、母校西側の一角(休館した若楠会館の南側)でマンション建設計画が提示されましたが、市(佐賀市土地開発公社)が土地を買い取る(現在は空き地)事で景観保全が維持されています。現在城下の指定地域では建物の高さは基本10m、屋外広告の設置は禁止となるようです。
 母校の敷地は藩政時代、龍造寺四家の武雄及び諫早屋敷でした。また若楠会館から母校敷地周辺は、龍造寺隆信の居城であった村中城址と推定されています。
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母校 校庭東 整備された多布施川より県庁.jpg
  ・・・佐賀駅から中央通りを経て、平成9年(1997年)に北濠に架橋(くすの栄橋)され、佐賀駅末次線が完成しました。この先は県道49号になり佐賀空港に至り、今では市営バスの空港線が運行しています。
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中央通り 八幡小路.jpg
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「中央大通り」は昭和39年(1964年)に開通しましたので、「くすの栄橋」の完成までは、通算33年の年月を要しました。元々の計画は昭和6年(1931年)に都市計画街路「佐賀駅中ノ館線」として策定されていますので、それからすると、実に66年もかかっています。
 
☆中央大通りは、戦後の昭和28年に駅前通りの佐銀本店前から貫通道路・郵便局前交差点までの1キロ強で街路新設及び改修工事が始まりましたが、旧城下町の中心部に幹線道路を通す事は、住民や商店街の利害が絡み合い大変時間がかかる事業となり、東京オリンピック直前の昭和39年8月に開通しました。開通式に参加もしくは沿道でパレードを見た同窓の方も多いのではないでしょうか。

 ・更地は商工会館跡地にて、NHK佐賀放送局が平成31年度に新築移転します。中央の緑地帯は旧市庁舎跡。左のビルは佐賀県警本部。
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 ☆佐賀市庁舎は、昭和50年5月(1975年)に現在の栄町1丁目に移転しています。移転先近くにJR佐賀駅が高架となり北100m程移動したのが、昭和51年2月でした。
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佐賀駅 ホームより 市庁舎.jpg

 ・北堀端、県警察本部から県会議事堂・母校への道・・現在県警本部建物のある場所は昭和初期「佐賀高等小学校」であり、現在の成章中学校敷地に新築移転した後は、佐賀警察署でした。昭和53年3月高木瀬の国道34号(北部バイパス)に移転新築の後、堀向いより県警本部が移転してきています。県警本部庁舎の左後方に「天山」が望めます。
 ☆県警本部より多布施川の西側は、文化年間の御城下絵図に依りますと「鍋島弥平左衛門」とあります。この時代、先述の神代鍋島家の当主は「弥平左衛門茂體(体)」ですので、ここは神代鍋島家の佐賀屋敷でした。
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  ・・母校の旧正門手前には「佐賀城北の門」があり、現在県議会棟西側歩道に紹介する柱が立っています。
 城内への生活用水を担った多布施川は、北堀と西堀の間の北の御門から城内に引き込まれていました。
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 ・西堀端・・県議会棟前から西御門橋まで、回遊散策路が整備され、見ごたえのある大楠や城濠が楽しめます。
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 ・ホテルニューオータニ佐賀から、西濠と西の御門橋
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 ・堀端西通りから
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 ・堀西通りの護岸工事(佐賀城西堀整備事業)が平成27年度から実施されています。崩落寸前の石積みを解体・修理し、石積み復元が進められています。佐賀城の堀は「四十間堀(約73m)」が基本のようですが、現在この幅は西堀だけのようです。全国の城郭・城址において、佐賀城の堀幅はトップクラスであり、平城防御の要でした。全国各地に城はありますが、佐賀城の魅力は、この保全された「濠」の風情にあります。
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 ・西御門橋より佐大前交差点までの「城内線」が平成21年度(2009年)に開通しています。城内線は水ケ江3丁目から佐大前までの市道改良工事として、昭和37年(1962年)に着工したと聞いていますので、ここも月日を要しています。
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 ・平成24年に1月に「佐賀城西御門と赤石護岸」の説明碑が設置されています。江戸期にあった橋と同じ構造で造られています。
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 ・南濠より西御門橋
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 ・「楠の木おばさん」顕彰碑 昭和25年(1950年)旧佐賀城内の楠20数本が伐採されようとした時、身を挺して伐採阻止行動を起こした「福田よし」は、当時の鍋島直紹知事に楠の保存を訴え、県知事も後援したことから、昭和28年(1953年)県天然記念物に指定され永久保存となりました。
 昭和29年には「県花」昭和41年「県木」に指定されています。昭和55年(1980年)地元自治会が「福田よし」を顕彰して建立しています。
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西堀端、濠と楠.jpg
 
 ・佐賀城址  佐賀城下再生百年構想のもと、整備が進められています。赤松小学校が旧城南中学校跡に移転し、本丸御殿が平成16年(2004年)に県立佐賀城本丸歴史館として、開館しています。入場無料(寄付歓迎)
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 ・鯱の門前は現在整地され、公園化が進められています。
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 ・鯱の門及び続櫓一棟は昭和32年(1957年)6月に国の重要文化財に指定され、当時は県立佐賀商業高等学校の正門でもありました。
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門の前には、佐賀商業の記念碑があります。佐賀商業 跡碑.jpg 佐賀商業は、明治40年(1907年)に佐賀市立として創立、以前佐賀中学校があった赤松一番地で開校、大正11年(1922年)4月に県立となり、昭和35年(1960年)11月に高木瀬に移転している。昭和52年(1977年)10月、創立70周年を記念し同窓会が建立。平成6(1994年)年8月、第76回全国高校野球選手権大会全国制覇。同校野球部は県下最多の春夏21回甲子園出場!羨ましい限りです。昭和57年(1982年)夏の甲子園初戦で、新谷博投手は9回二死まで完全試合でしたが、27人目の代打に死球を与え、惜しくも夏の完全試合達成はならず、ノーヒットノーランは達成しています。
 


 ・鯱の門に残る、明治7年(1874年)佐賀の役弾痕跡。江戸末期の天保9年(1874年)に本丸再建時に正門として造られています。明治に入り、本丸御殿は藩庁(のち県庁)となり、2月16日明治政府に不満を募らせた士族が県庁を襲撃して、佐賀の役が始まりました。2月23日には江藤新平が西郷隆盛に、28日島義勇が島津久光に助力を得ようとそれぞれ鹿児島に脱出しましたが不首尾となり、短期間で政府軍に鎮圧されています。
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 ・城内からの鯱の門 屋根に鎮座する鯱の製作者は藩御用鋳物師で、幕末反射炉建設運営で活躍した谷口家であり、「治工谷口清左衛門」の刻銘が残っています。
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鯱の門 鯱.jpg
 ・天守台 享保11年(1726年)の大火までは五層の天守閣がありました。(当時の城下絵図に明記されています。)この点、福岡城の天守閣は天守台は現存していますが、天守閣の全貌はよく判っていませんね。
 全国各地の城郭において天守台は造ったとしても、実際に天守閣は造られなかった例が多いと聞きます。唐津城も実際には天守がなく、観光目的の模擬天守閣が建っています。
 佐賀城は熊本城や福岡城とは違い、沖積平野の軟弱な地盤の上に縄張りがされています。城内は濠を掘った土の土塁で囲われましたが、本丸の天守台などは石垣で築かれました。築城後400数余年が経過していますが、当時の姿を留めています。
 周囲の発掘調査から、地番沈下を防ぐために、石垣の下にはぎっしり松材が敷かれているとみられています。
 戦後の学校などの新築工事で、未熟なくい打ちをして建物が傾いたり、使用不能になった例があったことからも、当時の石積みは佐賀の風土に適合した知恵が生かされたいます。
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 ・天守台へ 天守台の入り口は本丸から直接は登れず、一旦本丸を出て二の丸に向けてあります。城郭マニアが訪れては不思議がっていますね。
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 ・天守台からの眺め
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天守台からの眺め 鯱の門.jpg
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 *協和館 今、天守台は更地になっていますが、平成16年(2004年)佐賀城本丸歴史館開館まで、「協和館」という集会施設がありました(解体・撤去)。元々は、明治19年(1886年)、現在の佐賀郵便局当たりに建てられた県の社交場で、佐賀の鹿鳴館と呼ばれていました。明治27年(1894年)市が買い取り市役所庁舎となり戦後の昭和32年に、郵便局建設に伴い、天守台に移築されました。尚、遡ること明治20年には佐賀県立測候所が天守台に開設されていました。

☆佐賀城天守台発掘調査が平成平成23年から3ヶ年をかけて築城400記念事業として進められました。その結果、創建時の天守閣の概要が判明しています。
①礎石の配列規模から、天守1階は天守台一杯に建てられ(15×13.5間)である。
 天守1階の広さで比較しますと、熊本城(13×11間)、姫路城(13×10間)、小倉城(13×13間)、名古屋城(17×15間)ですので、江戸・大阪・名古屋城に次ぐ全国最大級の天守閣であったようです。あの姫路城大天守より大きかったとは!
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②天守の内部構造は礎石の配列から「書院造」、多数の蝶番が出土したことで窓は「突上げ戸」でした。
③天守外観は、「寛永御城并小路町図」 では屋根に破風がない四重の層塔式天守、その少し前の慶長年間に書かれた「佐嘉小城内絵図」では五層となっています。支藩の小城初代藩主元茂の「元茂公御年譜」には、佐賀城天守は黒田如水より小倉城天守の図面提供より慶長14年(1609年)完成とあります。しかし、如水(官兵衛 孝高)は慶長9年3月(1604年4月)には亡くなっていますし、関ケ原後、筑前52万石に移封し、江戸期の小倉城は細川忠興により慶長7年(1602年)から7年間の歳月で築城したようですので、これが真実かどうかは不明とも言えます。只、小倉城同じ「唐造り」の天守であったと推測されていますので、小倉城天守に類似した天守閣だったようです。 ☆小倉城、昭和34年に鉄筋コンクリート構造で天守再建、観光面から史実にはない各種の破風が付加されています。細川忠興築城の天守は、最上階の入母屋破風以外に破風は一切ない造りでした
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 ☆小倉城庭園書院より天守を望む
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 佐賀城天守台発掘調査説明資料https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s36339_20131211105409.pdf 
 ・今は埋められていますが、本丸と三の丸(県立博物館&美術館がある)間にも内濠があり、痕跡が確認できます。
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 ・鍋島直正公銅像 再建! 平成29年(2017年)3月4日、生誕200年記念事業にて銅像再建除幕式がありました。 生誕100周年を記念して、大正2年(1913年)大隈重信候を委員長に、松原神社西側に建立されていましたが、残念なことに戦中時の金属回収令により供出となっています。
 目標の1億円を上回る1億4000万円の募金が集まり、鯱の門北側広場に再建されました。
 銅像は先代と同じ高さの4メートルで、直正公が建設を命じた「反射炉」をイメージした台座に立ち、西を向いています。
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・南濠 南濠の西側にはハスの群生が見られます。ハスの群生が平成になって一時消滅の危機があったと聞きました。佐賀大学などの調査の結果、最大の原因は外来種の「ミシシッピアカミミガメ」による食害と分かり、地元赤松小校区の住民協力もあり平成22年(2010年)5月から10月までカメの捕獲を展開した結果、今では昔の風景に戻っています。
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 ・8月にはハスの花が咲きます。
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 ・南濠 復元された「亀甲乱積石垣」と土塁。景観を損ねているNHKのテレビ塔も移転で無くなりますから、南堀端から眺める本丸の風景は数年で格段に良くなると思われます。
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 ・佐賀レトロ館 NHK佐賀放送局の前にあるレストラン。明治20年(1887年)警察部庁舎として現在の県庁本館付近に建築され、昭和11年警察本部建替えに伴い、現在地に移設、様々な施設として活用されていましたが、平成21年(2009年)レストランになっています。佐賀城下再生百年構想「二の丸プロジェクト、にぎわい・もてなし」拠点です。
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 ・佐賀城下再生百年構想イメージ図 
   http://www.pref.saga.lg.jp/kiji00313187/3_13187_5_sagazyou.pdf
 ・東濠、一部を復元! 東堀は昭和初期に埋められています。これを平成22年(2010年)から復元工事が始まっています。NHK佐賀放送局と龍谷高校と間です。
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 ・好生館 跡 平成25年(2013年)嘉瀬町に移転した病院敷地は更地になっていましたが、平成28年9月(2016年)に4団体複合施設(健診センターなど)の起工式があり、建設が始まっています。敷地は県から佐賀市に約2万3000平方㍍が返還され、跡地北側に健診センター等の複合施設が平成30年1月、中央に市医師会の看護専門学校および南側に「市立休日夜間こども診療所」が平成30年4月に運営開始の予定です。
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 ・佐賀県立佐賀工業学校跡碑 復元され東堀の南端に佐賀城内・裏御門がありました。この裏御門の濠を渡った場所に明治32年(1899年)3月、佐賀県工業学校(佐賀工業高校の前身)が新築移転して、昭和11年(1936年)12月に現在の田布施(現、緑小路1番1号)に移転するまでありました。
 現在、龍谷こども園入り口に、記念碑が昭和52年4月に建立されています。
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 ・万部島 NHK佐賀放送局より北に住宅地の路地を進むと「万部島」に出ます。江戸期ここは川に囲まれた島でした。佐賀藩歴代の藩主が建立した。法華経一万部読誦記念石塔群があります。初代・勝茂から11代直大までの11基で、国家安泰・万民安楽を祈願しています。
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 ・二基の六地蔵 この地の六地蔵は造立名から室町時代の代表的な石仏です。
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 ・佐賀の役招魂碑 明治7年佐賀戦争での戦没者を弔う碑で、明治18年に西の御門付近に建立、大正9年にこの地に移設されています。毎年4月13日(江藤新平・島義勇以下13名に死刑判決が下り、即日処刑された日)に慰霊祭が行われています。
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 ・「亀趺(きふ)」の贔屓(ひいき)は北を向いています。大正8年に特赦令により、江藤・島ら首謀者が赦免され、格式高い招魂碑となっています。
万部島 佐賀の役 招魂碑 亀趺.jpg

 ・北濠 北堀端に貫通道路が通され、濠幅は小さくなっています。この濠は別名「筑前堀」と言われています。佐賀城普請時、黒田長政が支援してできた濠でした。返礼として鍋島直茂は福岡城普請時に「肥前堀」を支援しました。明治時代の福岡市内地図では「佐賀堀」となっています。
 福岡城三の丸(裁判所)の東堀から更に東に延び那珂川に通じる堀を作る際、西から「赤坂門」、「薬院門」、「数馬門」を設置し、薬院門(現在の旧大名小学校)までは「中堀」、薬院門から那珂川間を肥前堀(佐賀堀)と呼んでいました。この濠は幅30~35間(60㍍内外)の水堀で、明治43年に産業博覧会開催為に埋められています。
 埋め立てられた堀跡には、大名の飲食街、岩田屋本店・ソラリアプラザ・天神地下街、福岡市役所などがあり、九州を代表する繁華街となっています。
県庁より 北堀.jpg
北堀.jpg
 ・天神地下街には、「肥前堀」を意図した壁面があります。ご存じでいたか? 天神地下街の7番から8番街の壁面は石垣をイメージした作りになっています。またここの広場は「石積みの広場」と呼ばれています。
 ☆関ケ原後、西軍であった佐賀藩は苦しい立場となっていましたが、東軍の黒田如水の誘いを受け、如水の説得を拒否した柳川城攻めに参戦しています。北進してきた加藤清正も加わったことから立花宗茂は降伏・開城しています(所説あり)。この時、明け渡された城は、成富兵庫茂安が受け取っています。
 「肥前堀」を紹介するブログなどの一部に、「黒田如水(もしくは長政)の口添えで、佐賀藩は関ケ原後の改易を免れた」との記述のみで、「筑前濠」に言及していないのは残念ですね。
天神地下街 石垣.jpg

 ・佐嘉神社角交差点と天神西交差点 それぞれ城下の東北角に位置し、藩士の屋敷小路(桝形・クランク)の面影が残った交差点です。佐嘉神社角交差点は貫通道路ができる以前、天神西交差点と同じS字カーブでした。天神西交差点は今でもS字です。路面電車がここを通過するとき、つり革がぐるぐると回り、輪っかがガチャガチャと鳴く情景が思い出されます。今でも地下鉄で、このS字は体験できますね。
佐嘉神社角交差点.jpg
佐嘉神社角交差点1.jpg
天神西交差点.jpg

 ・東濠跡 北堀(筑前濠)の東角から南濠へ東堀が有りましたが、昭和初期に鍋島家から払い下げを受け、埋め立てられ、現在では駐車場になっています。駐車場出入り口西側の北堀端には、貸しボートの発着場がありました。先に紹介しました通り、東濠の南側は復元工事が進んでいます。
 現在の市村記念体育館の東側に残る土塁が分断されているところ、城内東の出入口である「東御門」がありました。
東濠跡.jpg
東御門 跡.jpg

 ・宗龍寺 江戸期、東御門から土橋で東濠を渡った先には、鍋島山城(御親類筆頭、白石2万余石)の佐賀屋敷がありました。初代直弘は、初代藩主勝茂の四男にて、まず佐賀城下の治水・城下整備に貢献した成富兵庫茂安の養子となり、成富山城守と名乗っていました。茂安死去後、勝茂から改めて鍋島姓と白石に領地を与えられ、白石に館を構えました。
 隣接して、藩祖・鍋島直茂が龍造寺山城守隆信の冥福を祈る菩提寺の「宗龍寺(宗龍禅寺)」があり、宗龍寺の東向かいは鍋島山城抱地でした。
宗龍寺 山門.jpg
宗龍寺 本堂.jpg
宗龍寺本堂入り口では、龍造寺の家紋「十二日足紋」と「杏葉(ぎょうよう)紋」が目に留まります。大友氏の象徴であった杏葉紋は、大友軍を夜襲で撃破した今山の戦勝記念として用いるようになりました。この戦いで最大の功績を上げ、のちに龍造寺氏を継承した、鍋島氏の定紋ともなり、江戸後期には「鍋島杏葉」として変化し本家は「筋杏葉紋」、本家の女性や子供及び分家は「花杏葉紋」となっています。杏葉紋は馬具の装飾品から文様に転じた意匠でとのことです。
 
 ・佐賀市民会館 明治となり、佐賀の役で焼失した三の丸御館が山城守抱え地に移転しました。のちの鍋島11代直大の佐賀別邸「侯爵鍋島家内庫所」です。時代は下り、昭和40年ごろに建物は、武雄の御船山観光ホテル(鍋島越後・武雄領主鍋島茂義の別邸地、御船山楽園)に移築され、現在では「萩野尾園 別邸 内庫所」として宿泊出来ます。移築後、跡地に昭和41年(1966年)4月開館したので、佐賀市民会館でした。
 市民会館は、1031席の本格的な音響・舞台装置を備えた多目的ホールでしたので、母校をはじめ数多くの学校が定演や発表会を開催していました。残念ではありますが、老朽化による耐震強度不足及び改修が現実的ではないとの判断から、平成28年4月より休館となっています。平成元年(1989年)10月、高木瀬(日の出町)に開館の佐賀市文化会館がありますので、閉館も仕方のないことかもしれません。昭和38年(1963年)10月開館で、優良ホール100選の福岡市民会館は現役バリバリです。余談ですが、優良ホール100選には、佐賀県で「武雄市文化会館」が選定されています。
 市民会館は平成29年(2017年)7月から解体工事に着手の予定で、当面は駐車場にして跡地利用を、検討するとしています。
佐賀市民会館 全景.jpg
佐賀市民会館.jpg
 ☆市民会館跡地は城内→万部島→佐嘉神社→柳町への観光動線上に位置しますので、明治期・大正期の鍋島家関連で、侯爵鍋島家佐賀内庫所の復元とか、関東大震災で倒壊した永田町西洋館の再現なども、面白いと思うのですが!

 平成18年(2006年)制定の「日本100名城」に佐賀城があります。佐賀県では、名護屋城と吉野ケ里遺跡の三か所で、福岡県は福岡城と大野城の二か所です。これまでの佐賀城は地味な存在と思っていましたが、城内を巡ってみて歴史公園として整備・保存が推進され、新しい発見も多くありました。
 県庁展望ホールから雲仙岳が望めたことから神代鍋島の事を知り、北濠周辺では福岡との意外な縁を知りました。
 これからも、「歴史公園100選」及び「日本の都市公園100選」である城内の整備・充実が進められる事でしょうから、故郷での散策などの楽しみが増えますね。

 ☆「さが維新博」が平成29年(2018年)3月から翌30年1月の10ヶ月間開催されます。
 ホームページがアップされています。https://www.saga-hizen150.com/

☆佐賀城内散策!堀端 編 参考資料
 ① 佐賀市史        https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
 ② 佐賀の歴史・文化お宝帳 http://www.saga-otakara.jp/
 ③ 佐賀市歴史探訪     https://www.city.saga.lg.jp/main/3859.html
 ④ 佐賀県立図書館デジタルデータベース 近代地図目録:佐賀市(大正~昭和30年代)
 ⑤ 徴古館収蔵品データベースと佐賀御城下絵図(翻刻図)文化年間
 ⑥ 雲仙市国見神代小路歴史文化公園鍋島邸
 ⑦ 角川日本地名大辞典
 ⑧ 福岡市HP、佐賀県HP、佐賀市HP、長崎県HP、雲仙市HP 
 ⑨ 福岡県立図書館 郷土資料室 デジタルライブラリー
 ⑩ 鍋島直正公銅像再建委員会HP
 

福岡栄城会 第3回ゴルフコンペのご案内 [本年(平成29年)同窓会活動]

ゴルフ担当事務局 吉村尚(西高5回生)

ゴルフコンペのご案内
ゴルフコンペ 会場写真.jpg

開催日 平成29年4月22日(土曜日) 
    8時35分 スタート・6組予約済 (キャデー付き)
    集合 8時
場 所 麻生飯塚ゴルフ倶楽部  [電話]0948-65-1155
    福岡県嘉穂郡桂川町吉隈120番地
参加費  13,000円・弱 (税金・昼食代・キャディー込)
           +
会 費   2,000円(賞品代と表彰式での飲み物代)
コンペ要領 [ゴルフ] ローカルルール(6インチリプレース可とします)
      [ゴルフ] ダブルペリア方式によるハンディキャップ計算方式
      [ゴルフ] パット ワンクリップ以内OK[決定]とします
      グリーン → ホワイトコース(全組乗用カート・キャディ付き)休息あり
表 彰  優勝・準優勝・3位・5位・10位
     ブービー賞、敢闘賞、ニアピン(4ホール)
     *終了後、コンペルームで実施(飲み物付き)
     *ニアピンホールでワンオンしなかった場合、100円の寄付をお願います。
     *参加同窓の皆様からの「賞品」のご提供!、大歓迎です。

募集人数 6組24名 

     *懇親ゴルフ会員の方々にはメール等にて、担当よりご案内いたします。
募集締め切り日3月31日(金)
☆本会懇親ゴルフ会未加入で、参加を希望される同窓の方は、
本会メールアドレスへ一報下さい。
[mail to] eijo.fukuoka@gmail.com

   ゴルフ場のホームページ http://aigc.jp/home/


執行部会議(H29年3月8日) [本年(平成29年)同窓会活動]

 今年2回目の定例執行部会議を開催しました。
 日時 : 平成29年3月8日(水)
 場所 : 「ドムス フォカッチャ バー」
        福岡市中央区今泉1丁目7-16 TENJINARK五番館2F
 ☆参加者 役員・事務局10名、第29回実行委員・7名、計17名 
■執行部会議 次第 ■

1 議事 17:30 ~ 18:00  司会 西依 大輔(28回生)事務局次長  
   会長挨拶         鈴木 元 ( 4回生)会長
 *報告・審議事項
  1)執行部の運営方針について
                 前田 恒善(13回生)事務局長
     ・福岡栄城会運営においては、年間予算を編纂する。
     ・次回、会計役員が予算案を提示、審議する。
           
  2) HP運営の件       俣野 一昭( 8回生)HP運営委員長
     ・4月の総会実行委員会にてHPの現状・開設主旨説明を予定。
      ついては執行部に事前説明。
     
  3) ゴルフコンペ開催関係   吉村 尚 ( 5回生)ゴルフ担当事務局
    ・開催日:平成29年4月22日(土)
    ・会 場:麻生飯塚ゴルフ倶楽部 福岡県嘉穂郡桂川町吉隈120番地
    ・現在同窓会員は計40名に拡大、同窓ゴルフ会員を中心に募集を始める。
  4)女子会関係         北 由美子(5回生)女子会会長
    ・女子会開催に向けて、女性同窓リストを事務局より提供を受け、準備に入る。
  
  5)若手の会開催関係・他    井上 忠夫( 8回生)親睦担当
    ・執行部会は5月・7月・9月に開催。
    ・福岡栄城会10月総会前の拡大役員会は8月に開催。

  6)第29回福岡栄城会開催に向けて
                  服部 伸児(10回生)
                  第29回福岡栄城会総会実行委員長
    ・毎月第2土曜日開催、今月は11日、4月は8日を予定。
    ・今回は執行部との交流目的で10回生委員7名で参加。
 
  次回、執行部会開催予定
    ・開催日:平成29年5月10日(水)  

 *懇親会 18:00 ~
  
  自己紹介 執行部・実行委員それぞれに、出身小・中学校及び経歴を含めて挨拶。
       意外な地縁・学縁が判明し、大いに盛り上がりました。
                                 以上 
会場風景.jpg

  
    

福岡栄城会に女子会部会(仮称)を! [本年(平成29年)同窓会活動]

北 先輩 プロフィール写真.jpg 西高5回生の北由美子です。12年前、夫の九大赴任に伴って秋田市から福岡市に転居してまいりました。現在私は久留米の美容専門学校非常勤講師として、物理化学を教えています。他に塾や家庭教師の仕事もしていますので、国家試験や入試前の季節(年末~2月)は、さながら季節労働者同然です。
 栄城同窓会の幹事年以来、皆様方にはお世話になっております。現在の西高の男女比は、ほぼ五分五分になりましたが、5回生は約3対1と、男性優位の状態でした。その影響もあってか、同窓会の出席者は男性が圧倒的多数です。女性会員の方に同窓会への関心を持っていただくには、女性会員による、女性会員のための、女性会員の集まりがあると良いと思います。
 若い会員の方々にも関心を持っていただけるような女性会にするためには、飲み会だけではなく(?)ランチ会、音楽鑑賞、美術鑑賞、美容講習会など、楽しい集いを計画できればいいなと思います。男女かかわらず、どうぞ前向きなご意見をお聞かせください。
 あわせてよい名称を募集します。例:栄城レディース、栄女会、栄城華部会など
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[黒ハート]幸せ感じる恋心
 2月14日は、小鳥達が愛のささやきを始めるとされている、バレンタインデーです。お菓子屋さんの企みにより今ではチョコ販売の日になりましたが、ヨーロッパにおいて、春の訪れの日と言われるのがこの日なのです。
 突然ですが、若い頃の「恋」の思い出が皆様にもお有りと存じます。私が、若かりし頃の恋心よりはるかにワクワクして幸福を感じたのは、小さかった子供達(4人の息子)の寝顔を見るときでした。ひとり娘を亡くしているので、無事に育つ子供達が側にいるだけで涙が出るほど幸せを感じたのでしょうか。これぞ最高の恋心でした。今では、早く家庭を持って完全に独り立ちしてほしいと思う、冷ややかな(?)母です。
 人に対してだけではなく、動植物や物(道具、美術品、宝石、身の周りの品など)にワクワクして幸せを感じるのも、恋心です。脳内はエンドルフィンで満たされます。
 5回生の平原さんはハモンドオルガンに恋をしていましたね(同窓会コラム)。
 皆様これからも、まだまだワクワクドキドキして幸せになる恋心の対象を見つけましょう。

■ 略歴 ■
  ・赤松小学校、附属中学、佐賀西高校、青山学院大学(理工学部)
  ・財団法人相模中央化学研究所(研究員補)
  ・㈱長瀬産業ビューティケア製品部マネジャー(代理店経営)
  ・東京アカデミー秋田校 非常勤講師
  ・藤川学園 公務員専門学校 非常勤講師(福岡市)
  ・福岡南美容専門学校 非常勤講師
  ・その他 プロ家庭教師、学習塾講師、確定申告補助員など
■ 趣味 ■ 
  ・表千家茶道講師
  ・プリザーブドフラワー制作 以下作品の一部ご紹介
北先輩 ブリザーブフラワー 作品例.jpg


福岡栄城会総会28回・29回実行委員会引継ぎ式 [第29回総会実行委員会]

下記の日時にて、引継ぎ式が行われました。
・日時: 平成29年2月11日(土) 18時 ~
・場所: 中央区舞鶴 「あいれふ・会議室」

 第三回準備委員会の場におきまして、前年の西高9回生より、第29回実行委員の10回生に実務の引継ぎが行われました。
 碇実行委員長以下9回生9名、事務局より1名を合わせた総勢30名程にて開催いたしました。
第29回実行委員会 28回より引継ぎ式.jpg

拡大執行部会議・新年会(H29年1月11日) [本年(平成29年)同窓会活動]

 今年初の定例執行部会議及び新年会を開催しました。
 日時 : 平成29年1月11日(水)
 場所 : 「 とりあん 」
        福岡市中央区今泉2-4-39 拓栄ビル 1F
 ☆参加者 役員・事務局9名、
      西高28回生2名、同36・37・40・44回生、各1名 
■執行部会議 次第・要約 ■

1 議事 18:00 ~ 18:30  司会 前田 恒善(13回生)事務局長  
   会長挨拶         鈴木 元 ( 4回生)会長
 *審議事項
  1)「女子会」(仮称)立ち上げについて
                 井上 忠夫( 8回生)親睦担当
     ・女性同窓が気軽に集える場を望む声が出ている。
     ・西高5回生・北 由美子を会長に分科会を立ち上げ、
      発足に向けて準備に入る。
           
  2) HP運営の件      俣野 一昭( 8回生)HP運営委員長
     ・昨年4月にスタート後の運営経過を説明。
     ・HPの充実を目的として、佐高先輩方への寄稿依頼及び手段を
      説明、了承。
     
  3) 実行委員会・準備会議運営の件  
服部 伸児 (10回生)実行委員会委員長 
     ・平成28年12月10日(土)に第一回準備会議を開催。
     10回生・21名、20回生・4名、事務局・1名、参加。
    ・毎月、第2土曜日「 あいれふ 」午後6時より、原則開催を原則とする。
    ・実行委員長・副委員長を選出。各自の役割を選定。
    ・次回1月14日(土)、3回目の2月11日には28回実行委員との
     引継ぎ式を予定。執行部からの参加を要請。
  4)事務局増員の件          前田 恒善(13回生)事務局長
    ・事務局員の中に、諸事多忙の為定例参加が困難な局員がおり、補完するため
     増員を提案。女子会関連で、5回生2名が入局。

 *報告
  1)第3回ゴルフコンペの件      吉村  尚( 5回生)
                     ゴルフ同好会幹事長
    ・平成29年4月22日に開催。会場:前回に同じ「麻生飯塚ゴルフ倶楽部」
    ・親睦ゴルフ会員数:佐高5名、西高35名。最年少は西高40回生。
    ・会員拡大を目指し、特に女性同窓の参加を推進していく。

  2)「若手の会」開催         井上 忠夫( 8回生)
    ・平成28年12月17日開催
    ・8回生1名、13回生1名、28回生2名、43回生1名、45回生1名
     46回生1名、参加。
    ・福岡在住の若手同窓の参加促進、相互交流を図る。
H29年1月11日 新年会.JPG

 
  次回、執行部会開催予定
    ・開催日:平成29年3月8日(水)  

 *新年会 18:30 ~
    ■ 乾杯               平原 美子( 5回生)5回生会長
  
    ■ 自己紹介             28回生以降の出席者
       
    ■ 閉会のあいさつ          永倉 理一郎(11回生)副会長
                                 以上 
2H29年1月11日 新年会 .JPG

  
    

歴史と私 Ⅲ [会員コラム]

西高6回生 増岡 昭憲
 最近の柏原歴史会は、先生が病気で中断中である。歴史講座の方は「拓本」どり、勾玉」や「須恵器」作り体験をした。
拓本どり.jpg
「拓本」どりとは、発掘物を魚拓みたいに墨を塗って、読み解く方法である。天草の古刹の瓦の拓本を取り古代の寺の建立時代を読み解いて営みを想像してみた。「勾玉」つくりは柔らかい石を削り古代の王の象徴の雰囲気を体感した。
須恵器 作成.jpg
「須恵器」は古墳時代から平安時代に流通していた、弥生式土器よりちょっと進化した土器である。焼きあがるのは来年になる。
 
 10月には6回生の愚友と厳島神社と出雲大社を参拝してきた。通常神社参拝は2礼2拍手だが、出雲は2礼4拍手だった。歴史博物館を訪れ、出雲の荒神谷で発見された大量の銅剣と銅鐸が展示されているのを拝観した。銅鐸は使用目的が謎とのことだったが、ここでは舌(ぜつ)で音を奏でていたらしいとのこと。銅鐸には刺青が入ってる人間の顔が描かれていた。
 
 魏志倭人伝を読んでいると、いくつかの疑問を抱く。邪馬台国と大和朝廷の関係である。歴史学的には邪馬台国が日本の始まりであり、今の皇室のルーツであるとしてる。しかし、いまだにどこにあったかが不明である。「邪馬台国」や「卑弥呼」などは魏志倭人伝に出てくる魏側の呼び名であって、文字を持たない倭国の人々は何と呼んでいたか解らないし「ヤマト」で結びつけるのは無理があろう。私の推してる福岡県南部で古代の吉野ヶ里から遠目で見えたであろう山門郡が畿内に遷都して大和政権を作ったとする説も疑問が出てきた。そもそも邪馬台国は倭国の「クニグニ」の中の一つであり、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こっていた。卑弥呼を女王に共立することによって混乱を鎮め、卑弥呼が 死去するとその後男の王が立てられるが再度内乱となる。そのため、13歳の少女「壹與」が王に立てられ国は治まったとある。しかし南にある狗奴国とは、不仲で紛争していたとのことである。壹與のあとは中国による倭国の記録が途絶えている。倭人は体や顔に刺青をしているとある。日本の歴史上施政者が刺青をしていたとは出てこない。おそらく邪馬台国や出雲のクニグニは縄文人の血を引く刺青の習慣があり、文字を持たない種族ではなかろうか。蝦夷すなわち日本に先住していた縄文人はアイヌ人の先祖ではないだろうか。アイヌは刺青の習慣があり文字文化がなかったとのことらしい。
 暫らくして日本に天皇や皇后の名前が登場しだす。しかも妊娠中に生み月を伸ばして三韓を征伐したとある。九州の多くの神社に残る神功皇后、応神天皇である。神功皇后の夫仲哀天皇は香椎宮で崩御している。日本書紀と古事記では死因は異なる。実際は狗奴国に滅ぼされ、その狗奴国が東征を行い、出雲なども滅ぼして近畿あたりにたどり着き、大和朝廷の礎を築いたのではなかろうかと思われる。  
 しかし歴代天皇で初代神武天皇から10代天皇までは実在していない。11代から26代天皇まではいただろうが、今伝えられてる名前とは違う権力者が入れ代わり立ち代わりいたのではないか。
38代天智天皇のころに今の世襲の天皇制の礎を築いたのではないと思われる。このころ記紀を編纂し、国つくりを含め過去からの流れを神話化して権威づけを図るのである。
 話は変わるが私の父が亡くなった時、檀家のお坊さんが、説法を七日ごとにされた。長生きを願い死ぬ事を恐れ不老不死の妙薬を求めた秦の始皇帝の話をされた。その坊さんのゆうには、「死は必ず来る、避けがたいものだ、いかに功徳を積み、浄土に行けるかを考えることが、死を恐れないこと」だそうだ。
 始皇帝は徐福を日本に遣わし不老不死の妙薬を探させたとのこと。坊さん曰く、佐賀県の三養基郡には徐福の痕跡がたくさんあるらしい。後で徐福の事を調べてみると、数千人の大船団で有明海から九州に上陸している。又徐福伝説は北日本まで広域にわたるが、特に佐賀県に集中している。吉野ヶ里遺跡から発掘された人骨が日本人古来の骨ではなく中国系の人の骨が混じっていたとのことで話題になった。徐福の軍団がかかわっていたかもしれない。始皇帝当時の倭国は縄文人の時代なので、文化、軍事力の差は歴然とし、縄文人を駆逐し、同化して徐々に「クニ」を形成していったのではないだろうか。そのクニが狗奴国ではないだろうかと推測される。
 集広舎の川端氏からいただいた本を読んだら、意外なことがわかった。その本はモンゴルが中国共産党から不当な迫害を受けているが、中国の歴史は今の中国だけじゃなく、北方民族が大部分を形成した。今の漢族の中国の歴史は、たかだか100年足らずである。その中国の不当な振る舞いを糾弾する内容である。当本中に秦の始皇帝のことが書かれている。chinは元々アラブ地域を指す言葉で、遊牧性のあったユダヤ人がいち早く中国へと移動していたらしい。バビロン捕囚時に忽然と消えたユダヤの10部族などと合流して秦国を建国したとのこと。歴史は下ってchinにaを追加してchinaになったとのこと。秦の不老不死の探索は裏では倭国の征服があったのではないか。それとも、徐福が不老不死の妙薬が見つからず帰るに帰れずそのまま居座ってクニを築いたのかは疑問が残る所ではある。 

 先日1週間ばかり娘に会いにハワイに行ってきた。娘は私に気を使ってハワイの出雲大社、金毘羅神社、ハワイ平等院等を連れまわした。
ハワイの平等院.jpg
だが所詮はフェイクであるよとゆうと、それならばとハワイの原住民のヒーリングスポットに連れて行ってくれた。これには大変気に入りました。山の上の森深い所の平地に石がミステリアスに積まれており、なんとなく「気」を感じました。現地の人が時折フラなどを踊り、祭典を行っているらしい。
ハワイ ヒーリングスポット.jpg
 その後娘は私にとんでもないものを見せてくれました。自分のDNAを鑑定したみたいで、それで娘のルーツのDNAが判明したとのこと、娘はカミさんのルーツは以前から何回も聞いて知っていたが、私のルーツは純粋な大和民族と思っていたらしく、そこに描かれている世 界地図は、アジアの全域インドそれにアラブの地区に丸がしてありました。アジアはわかるが、インドは仏教伝来でかなりの仏師が渡来し日本人と同化したとのこと。残るのはアラブ地区の丸これは何だろう?
 
 以上のことを連立方程式に紐解いていき、又少々ベクトル的に無理はあるだろう。結論としてユダヤ人の部族の一部がが中国に移動して秦を興し、その一派が有明海から佐賀に上陸し、先住民を凌駕同化していき、大和政権の基盤を築いたのであろう。輝ける大和民族の源泉は佐賀の三養基から吉野ヶ里地域にある。「二度と行きたくない県1位」と盛り上がっている若者よ佐賀をリスペクトしないと罰が当たるよ。日本は神々に守られている神々(こうごう)しい神ってる国だからね・・・・・


拡大幹事会(H28年11月10日) [同窓会活動報告履歴]

拡大幹事会 全体.jpg

 秋が深まる中、執行部会議及び拡大幹事会を開催しました。
 日時 : 平成28年11月10日
 場所 : 「DOMUS(ドムス)」
       [電話] 092-791-5130 福岡市中央区今泉1-18-25 季離宮上 1F 
 
■ 執行部会議 議題  ■
議事  18:00 ~司会 西依 大輔(28回生)
1)次回総会の開催について
 ① 会場の選定   ・今年と同じ「八仙閣」
 ② 日時の決定   ・平成29年10月28日(土) 17:00~
 ③ 案内方法の検討 ・例年通り、往復はがき
 ④ 会誌の取り扱い ・実行委員の選定に委ねる
 ⑤ 広告協力先対応 ・次回実行委員への引継ぎ事項
2)執行部・幹事会の開催日程
           ・平成29年1月11日(水)
3)HPの運用、掲載コラムの拡充について
           ・佐高先輩へコラム寄稿要請はがきを送付の件承認

■拡大幹事会 次第 ■

1 議事 18:30 ~ 18:50  司会 前田 恒善(13回生)事務局長  
1) 会長挨拶          鈴木 元 ( 4回生)会長
2) 次回総会の開催方針について 服部 伸児(10回生)
                 第29回福岡栄城会総会実行委員長
3) 本年度の活動状況について
  ・HP運営関係        俣野 一昭( 8回生)HP運営委員長
  ・ゴルフコンペ開催関係    吉村 尚 ( 5回生)ゴルフ担当事務局
4)質疑応答
執行部会議風景.jpg

2 懇親会 18:50 ~
1)乾杯 永倉 理一郎 副会長  母校創立140周年式典 報告
2)各自 挨拶を兼ねた決意表明  
*第29回実行委員長・副委員長(10回生)!ツーショット
第29回実行委員長・副委員長.jpg
*円陣を組んで校歌の大合唱!! 
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伊丹安廣氏と「なんじゃもんじゃ」 [会員コラム]

 先月の第28回福岡栄城会では早稲田大学野球部前監督・岡村猛氏(西高9回生)による記念講演がありましたが、その中で佐中の大先輩である伊丹安廣氏の事も触れられていました。
 母校のグランドバックネット裏には、同氏を顕彰した「一球無二」の碑が昭和53年8月に建立され、周囲に「なんじゃもんじゃ」(和名 ヒトツバタゴ モクセイ科)が植えられています。
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 伊丹安廣先輩は旧制佐賀中学校野球部で活躍、野球部ユニホーム「EIJO」の発案者です。
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           *昭和33年8月、佐高野球部 甲子園出場。
 その後早稲田大学に進み、野球部捕手として活躍し大正15年春季リーグでは首位打者になってます。卒業後は東京倶楽部で選手として都市対抗野球連覇に貢献、昭和15年から4年間、早稲田大学野球部・監督を務め、戦時下の学生野球存続に尽くされました。
 戦後、日本高等学校野球連盟と全日本大学野球連盟を傘下に置く、公益財団法人日本学生野球協会の前身である日本学生野球協会設立に深く関わり、また当時接収されていた神宮球場の返還に尽力、返還後は明治神宮外苑長として、明治神宮の環境整備やスポーツ施設の改修拡充を進め、また学生野球とプロ野球の共存共栄を推進されました。
 その後、日本鋼管や東芝の監督を歴任、昭和52年10月永眠、翌昭和53年に特別表彰で野球殿堂入りしています。
 *野球殿堂博物館  http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/detail/detail_059.html
 
 伊丹安廣先輩 エピソード①
 早稲田大学野球部時代の昭和2年アメリカに遠征し、当時のペナントや交流戦を行った米国の地名が記された品など4点を収めた額が、現在母校に寄贈されている。
 *早稲田大学野球部は明治34年に創部。安部磯雄教授(福岡県出身)・初代部長のもと翌明治35年に戸塚球場(後の安部球場)を造営、創部4年目に対抗試合に全勝優勝し、当時の大隈重信総長に掛け合い、日露戦争・日本海海戦の年にアメリカ遠征を実現している。
 *安部磯雄氏は伊丹安廣先輩の恩師であり、昭和21年日本学生野球協会初代会長に就任。昭和24年2月永眠、葬儀委員長は片山哲。昭和34年特別表彰で野球殿堂入り、「学生野球の父」と呼ばれています。
 
 伊丹安廣先輩 エピソード②
 昭和7年秋から2年間、埼玉県立旧制川越中学校・飯田教諭からの要請を受け、監督に就任。現在埼玉県立川越高等学校には、飯田先生顕彰碑が建立され、「なんじゃもんじゃの木」が植えられおり、碑の裏には「伊丹安廣氏・寄贈」の高札がある。
 *埼玉県立川越高校野球部 http://kawagoeob.wixsite.com/baseball/iida 

 伊丹安廣先輩 エピソード③
 明治神宮外苑には「なんじゃもんじゃ(ヒトツバダゴ)」の木碑があります。伊丹先輩お気に入りの樹木花です。
 ところで、福岡県芦屋町内の岡湊神社は「なんじゃもんじゃの社」で話題になっています。
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 ここにある「なんじゃもんじゃ」の主木は樹齢約50年で、現宮司が明治神宮を退職した記念に、当時の明治神宮外苑長であった伊丹先輩より贈られたものです。
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*芦屋町ホームページhttp://www.town.ashiya.lg.jp/view.rbz?cd=1017  
 岡湊神社は全国の神社・学校・公園に「なんじゃもんじゃ」の株分けをしており、母校の「なんじゃもんじゃ」が枯れた際、当神社から株分けされた木が現在育っているとの事です。
*佐賀新聞社 http://www.saga-s.co.jp/column/ariakesyou/178962
 4月中旬から5月上旬にかけて、開花の季節です。
岡湊神社 なんじゃもんじゃ.jpg
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境内 なんじゃもんじゃ 説明版.jpg

*芦屋町では「あしや砂像展2016」が11月6日まで開催中.
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*2016佐賀熱気球世界選手権が11月6日まで開催中。http://www.sibf.jp/
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*佐賀バルーンミュージアムが10月1日にオープン!!
   http://www.sagabai.com/balloon-museum/main/
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