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~出会い、語らい、世代をつなぐ~

福岡栄城会 ロゴ 3.jpg
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「西高出てから五十二年、今じゃぁ無職の・・・・・・」 [トピックス・同窓投稿]

西高一回生 鐘ヶ江正之

一回生として佐賀西高で学び1966年に卒業して、はや半世紀が過ぎ去りました。

 私事ですが卒業後、福岡の大学へ進学。経済学とワンダーフォーゲル活動に勤しみ、当時は学生運動最盛期、空母エンタ―プライズの佐世保寄港阻止では過激派の六本松教養学部のロックアウトやら、箱崎の電算機センターへのファントム墜落事故やらを身近に色々経験しつつ無事に卒業証書を頂き、社会人としてのスタートを切りました。

JAL 飛行機.jpg 憧れの半官半民の航空会社へ入社、丸の内でのサラリーマンを期待しておりましたが、初任地は北海道千歳。おかげで札幌オリンピックは目の当たりに見ることができました。地球儀.jpgその後は東京本社、フランクフルト、大阪、また東京本社、メキシコへ遠距離通勤、大阪、福岡、名古屋、とあちこちへ出稼ぎが続きました。55歳になった時、驚天動地のJASとの合併話が持ち上がりました。火中の栗を拾うような話ですが、大赤字を抱えたJASが倒産すれば後ろ盾の東急グループの屋台骨まで危うくなるという状況で政治的画策の結果、民間企業といえども、国策会社で半官半民の時代を経てきた経緯があり、(競合A社に比べ自民党に取り込まれ易い体質という事もあり)押し付けられる次第となったようです。
 定年になったら福岡へ帰ると家内と決めていましたが、折よく団塊の世代処理として会社が、早期退職者勧奨制度(2年間有給で勉強した後退社、自活しても、60歳までは会社の健康保険、福利厚生を適用する等という優遇措置)が提示されたのに応じ、卒業を5年程早く切り上げて福岡へ帰って来ました。福岡市内で家内の実家の自動車修理会社2社を引き継いで10年間続け、順次整理してやっと65歳でフリーとなり年金生活者の仲間入りを果たしました(その間に会社はJASを吸収合併した結果、大赤字と事故が重なり最終的に破綻してしまいましたが・・・)。

 還暦前に福岡で娘2人が大学を卒業して家を出て自立しました。それからは、家内と二人きりの生活です。さて、毎日が日曜日の年金生活をいかにすごそうか?

 そこで還暦を機に俳句の世界に入門させてもらいました。俳句は、四季・日常の身の回りのことを詠めばいいので、取材は短編小説よりも楽で、季寄せ帖と鉛筆と手帳があれば、いつでも何処でも創作が可能なのです。そこで水原秋櫻子が創始した「鷹」と云う結社の博多の会に入れて頂きました。
恥ずかしながら、この十年間の凡人の拙句の中からいくつか披露させて頂きます。
(蛇足ですが5年前から油絵の勉強を始めておりますが、いまだご披露うできる程の作品
はありませんので、今回は俳句を出させていただきます。)
俳句  タイトル 流水紋.jpg

俳句 初蝶や.jpg
俳句 遠近に.jpg
俳句 カヤック・夜鷹・沈黙.jpg
俳句 用の無き・古伊万里・ユトリロ.jpg
俳句 蒼茫・和綴本・蒼天 2.jpg
俳句 海鳴り・点鬼簿・錆浮きし 3.jpg
俳句 昭和の・妄想の・冬の川.jpg
俳句 滑走路・潜水艦・秋惜しむ 2.jpg
俳句 荷風忌 堕天使 夏中洲.jpg
俳句 宿場町・伽耶琴・.jpg


*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com

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役員会報告(平成30年7月12日) [本年(平成30年)同窓会活動]

◆ 7月12日(木)午後6時30分より「天神テルラ」にて役員会が開催されました。
参加者は46名。下記の内容について審議、報告がなされました。
会長 挨拶.jpg
1.審議事項
 (1) 決算の件
   ・決算報告
   上記の件は満場一致で承認されました。
   尚、会計担当役員より「本会資産が減少傾向にある。」との報告あり。
会計報告.jpg

(2)報告事項
 (1) 平成29年度福岡栄城会総会開催要項
  *開催日時:平成30年10月6日(土) 受付開始 16時30分
                      開催時間 17時 ~19時30分
   会  場:八仙閣本店(昨年に同じ)
   会  費:男性 7,000円 女性 5,000円 西高37回生以降男女5,000円
        *今年 会費は『事前銀行振込』
実行委員会 報告.jpg
                             以上
◆ 役員会に引き続いて懇親会が行われました。
盛況の中、最後に母校校歌斉唱。
校歌斉唱.jpg


■ お知らせ ■
 会長より、以下の案内が有りました。

アルモニア管弦楽団 福岡公演

■開催日:2018年8月31日(金)
 開 演:19時(18時30分開場)
■場 所:アクロス福岡シンフォニーホール
■曲 目:ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61
      ブラームス/交響曲第1番ハ短調 作品68
■指 揮:大友 直人
■ヴァイオリン独奏:漆原 朝子
■管弦楽:アルモニア管弦楽団
■入場料:大人2,000円、高校生以下500円(全席自由、当日500円増)
 未就学児の入場はご遠慮ください。
■チケット取扱い (以下に問い合わせ下さい)
 アクロス福岡、[電話]092-725-9112
 イズタ・ヴァオリン、[電話]092-713-7536
 弦楽器工房まつもと、[電話]092-406-4092
 クレモナ楽器、[電話]092-713-5303
コンサート チラシ.jpg

*佐高9回生・久原興民先輩が代表の佐賀で活動しているオーケストラです。
 今回、初めての福岡公演です。
アルモニア管弦楽団ホームページ:http://orchestra.musicinfo.co.jp/~armonia/

♪故郷のオーケストラを格安の2000円で堪能できます♪♪

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島 女 [トピックス・同窓投稿]

西高1回生 中馬 蕭子

 私は福岡西一会に参加する様になって、“島女”と呼ばれる様になりました。私はこの呼び名が、凄く気に入っています。なぜなら私は「離島めぐり」が大好きだからです。
 今回福岡栄城会HPへの投稿を徳永治通さんから勧められ、なぜこれ程までに好きになったのか、自分自身の為にも、原点に戻って書いてみようと思います。
 思い起こせば、「島巡り」の原点は50年前の20才の時でした。佐賀の父からの一通の速達郵便です。
船旅.jpg

 その頃私は東京に住んでおり、正月休暇を目前に浮き浮きとしておりました。寮の友達には故郷より帰省のキップがどんどん送られてきておりました。私はお金の準備はしておりましたが、なぜか羨ましくなり、私は親に甘えたくなりました。その旨を親に連絡すると、折り返し直ぐに父から速達郵便が来ました。
“この資本主義の世の中において、お前みたいに甘い考えで-ーーーーー”との書き出しです。
 私は涙が溢れ出て止まりませんでした。
 “甘えてみた私がバカだった”。
 “わかっていたのに!”。
 もう今さら佐賀には帰れません。どうしようもない寂しさに襲われました。
 数日後、やりきれなくて“海でも見に行こう”と東京の竹芝埠頭にやってきました。 
 丁度その時、大島経由三宅島行きのフェリーがやって来て、つい飛び乗ってしまいました。200人程の客が乗船しておりましたが、大島の港に着くと殆んど降りてしまい、船にはおばさんと私の女性2人、それに十人程の男性釣人でした。
 “宿は決めているの?”おばさん。
 “ううん、決めていない”私。
 “じゃぁ~民宿しているから、うちに泊まり”
 “うん”
 そして三宅島に着きました。
 翌朝4時に起こされ、おばさんに勧められました。
 “釣りの人たちと一緒に磯釣りに行っといで!”
 大波が打ち寄せる岩場で、私は波にのまれない様にと、荒縄で体を縛られました。そして焚き火の傍で釣りを見ていました。
 荒海を見ていると、なんだか気持ちが少しづつ解れて段々と楽になって行く自分が居ました。
 翌日、島を一周サイクリングしましたが、その途中、爽やかな緑の木々の世界から、一瞬暗黒の世界に変わりました。以前火山の爆発して山の頂から海岸まで溶岩が流れ出して出来た場所なのです。平穏な佐賀に暮らしてきた私にとって驚きの世界でした。

 今現在私は、北の礼文島から南の与那国島など日本の周りの島を37個訪れています。
 振り返れば、若い時は苦しいときに島に逃げていた様で、結婚してからは楽しみながら夫婦で足を運んでいます。 

 50年間に訪れた島の内、強烈に印象に残っているのは、隠岐の島(島前の西ノ島)の国賀海岸です。摩天崖と呼ぶ257mの断崖絶壁です。垂直に海に落ちる崖は圧巻で、サスペンス2時間ドラマに最適な場所と言えます。
 その当時、柵もなく、風が吹いたら真っ逆さまに落ちてしまいそうな場所ですが、“どうしても真下を見てみたい”そんな衝動にかられました。周りを見ると誰もいません。それをいい事に寝転んで這いつくばって、そっと首だけを出してみました。「凄い、凄い・・」の一言です。想像は皆様におまかせします。

 今私達が住んでいる福岡にも、日帰りで楽しめる島が多くあります。肥前大島、地島、玄界島、能古島、志賀島、巌流島は行きましたけど、相島、小呂島等その他2~3宿題として残っています。景色が良かったのは、肥前大島の風車展望所です。又気分を変えたい時は玄界島を一周歩くことです。

 玄界島には4度行きました。この島は博多から市営渡船で30分で着きます。ほぼ円錐形に近いこの島を約1時間~1時間半かけて周囲4.4kmを歩いて一周するのです。左に山を見て、右に海を眺めながら、人とも車ともいっさい会わず、道幅2~3㍍の砂利道を延々と歩くのです。
 2回目(冬)の時には、佐賀の幼な友達とたわいもない話をしながら歩いていました。その時何かが飛んで来ました。それは初めて見る『波の花』でした。まるで石鹸の泡を大きくした様なものが、海から次ぎから次ぎへと飛んで来るのです。
 3回目の時は、港で言われました。「この島を一周するのなら、この棒を持っていきなさい。イノシシが出没するかも分からないから」。私は一瞬怯みましたが、「折角ここまで来てあの感動を味わえないって!」。勇気を出し棒を持って歩き出しました。年老いた白髪のおばさんが棒を振り回しながら歩く姿は滑稽としか言えません。

 最近の遠出は日本の最西端の与那国島でした。パンフレットの写真がとても素敵で、どうしても行きたくなったのです。岬の草原に放牧された数多くの馬達が私を呼んでいるのです。
 そして馬達に出会ったのです。“やっと此所まで来たか”と胸を張って大きく深呼吸をして下を見ました。そうしたらどうでしょう?写真には写っていなかった馬の糞が一杯。

 その時、65年前の幼い私(5歳)を思い出しました。佐賀の片田江交差点より大財方面には昔はよく競馬場の馬が手綱を引かれて歩いていました。そしてその後には大きなお大きな糞が残っていたのです。子供の目には異常に大きく見えたのです。あの頃、佐賀の神野付近には確か競馬場があったはずです。もうとっくに無くなっていますけど。

 この様に島を巡っていると思いがけなく昔の佐賀や昔の自分に出会えるのです。だから「島巡り」が辞められないのです。
 これから先も元気でいる限り島を訪れたいと願っております。

 私の拙い文をここまで呼んで下さってありがとうございました。
 皆様どうぞお元気で!

*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com



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『古いゼンリン住宅地図に思いを馳せ』 [トピックス・同窓投稿]

西高1回生 江口 浩二

 梅雨空が続き、部屋の机の中の書類の断捨離を思いついた。
 七十歳も過ぎるとそろそろ身の回りの片づけも必要だろう。
 その時、古いゼンリン住宅地図(佐賀市中心部)新聞紙を広げた大きさのスポンサー提供による各家庭に配布された住宅地図が目に留った。今はときめく大企業になった(株)ゼンリン佐賀営業所の作成によるものだが、残念なことに作成年度が記載されていないのではないか。しかし、佐賀市中心部の詳細な地図に大いに興味がそそられた。
佐賀市市内中心部 地図 加工後.jpg

 私の実家は中の小路にあり、その周辺にある商店名から地図の作成年度を探る事にした。まず佐賀玉屋だが、既に地図上では中の小路交差点に記載があるので昭和40年度以降である事は分かる。
佐賀玉屋 現在と昭和40年代半ば.jpg
佐賀玉屋は昭和8年に呉服町に開店し、昭和40年に現在地に移転している。佐賀玉屋の移転により、町の流れが変わるとの危機感から昭和41年6月18日、呉服町、元町、白山銀座の3つ商店街が「銀天夜市」を立ち上げたそうだ。ちょうど高校を卒業し、余計な勉強をしていた頃だ。

さが銀天夜市 山車.jpg
さが銀天夜市 白山商店街.jpg
さが銀天夜市 白山おまつりひろば.jpg

 佐賀玉屋の前のみずほ銀行の名前が第一勧業銀行佐賀支店とあるので、これが地図の作成年度の手掛かりになりそうだ。昭和46年10月に 株式会社日本勧業銀行と株式会社第一銀行が合併し、株式会社第一勧業銀行と商号変更しているから、地図の作成は昭和46年度以降である事が分かる。
 復興通りの角にある天山酒店の前にあった喫茶店「もんせふり」も記載されている。ここには私の幼いころ回転饅頭の店があり、良く食べていたが1個50円だったような曖昧な記憶がある。
復興通り 元天山酒店.jpg

エスプラッツ.jpg復興通りを北の方に辿ると、「おもちゃの植松」「落合めがね」の記載がある。「落合めがね」は私が近視になり初めて眼鏡を購入した店だ。
メガネの落合 上林茶舗.jpg
 余に分厚いレンズだったので愕然としたことを思い出す。多分ガラスレンズで安物だったのだろう。
 白山二丁目に目を転ずると、書店の「金華堂」がある。高校生の頃、タダ読みで何時間も過ごせたが、店員さんには迷惑がられた。
金華堂書店 白山通り.jpg

 白山二丁目の東には「永池本店」がある小学校の同級の実家だ。遊びに行った時、勉強部屋が大きな酒樽で作られていて、大変驚いたものだ。
旧永池本店 エスプラッツ.jpg

 「永池本店」の南に「コイケスポーツ店」がある。「コイケスポーツ店」では野球のグローブを購入して貰った。私は目が極端に悪く、トンネルはするし、ボンフライは捕れないし散々だったが、社会人になり、会社の同僚との懇親ソフトボールではそこそこ役に立ち、親にはとても感謝している。
島内鮮魚店.jpg 「コイケスポーツ店」の南側の東魚町には「島内鮮魚店」がある。ここにも小学生時代の同級生がいた。確か松本清張原作の佐賀を舞台にした映画「張り込み」の撮影も「島内鮮魚店」の前で昭和33年に撮られたが、「島内鮮魚店」の二階から覗き見した記憶がある。
松川屋跡.jpg 佐賀のロケでは、一万人の見物客が出て、多数の群衆の中で撮影の行われた佐賀駅では、人よけのためにロープを結び付けた駅舎の柱がズルズルと動き出し、警察が中止を求める騒ぎとなったそうだ。また、大木実ら主演俳優の宿泊した旅館の周りをファンが取り囲み、警官隊と押し合いになったと聞いている。
 昭和33年の時代は映画ぐらいしか娯楽がなく、高峰秀子、田村高広等の有名人が佐賀に来たともなれば、そんな騒動も分かる気がする。
 映画館と言えばこの住宅地図には「佐賀日活」「佐賀東宝」「セントラル会館」「平劇」の記載はあるが、いつ頃まで存在したのだろうか。
セントラルパレス 佐賀日活.jpg
セントラルプラザ 佐賀東宝 佐賀松竹.jpg
閉館のセントラル会館.jpg

 呉服元町には「大坪書店」、松原3丁目には「積文館」、良く利用させて貰った。
積文館 跡.jpg

西高時代に立ち読みしながら、清純な?女子高生の姿にほのかな憬れを抱いたものだ。スマートホンもない、パソコンもない、カラオケもない時代に立ち寄るところは佐賀県立図書館と本屋しかなかった。
南里本店 跡.jpg 古いゼンリンの住宅地図を拡大鏡で見ながら、住宅地図の作成年度の分かる糸口を探るがなかなか難しい、その中で呉服元町に「南里本店」の記載がある。又「窓の梅ショッピングビル」の記載もある。「南里本店」は昭和49年に4階建ての衣料品店「南里本店」を新築開業している。窓の梅 寿屋 跡 佐賀県国保会館.jpg又昭和54年には、明治後期から呉服町に商店を構えていた「窓乃梅」が寿屋と共同で大型店を開業、下層階に核店舗として寿屋のスーパー、上層階窓乃梅の衣料品エリアが入居する形で開業している。
 これらのことから推定すると古いゼンリンの住宅地図の作成は昭和54年から数年内だろう。今からおおよそ40年前と推察できる。
 佐賀市内の様相は40年後の現在、大きく変容している。「おもちゃの植松」、喫茶店「もんせふり」、「コイケスポーツ店」、「佐賀日活」、「佐賀東宝」、「平劇」、「大坪書店」、「南里本店」、「窓の梅ショッピングビル」・・・・・これ以外にも無くなっている店は数多ある。
大坪書店.jpg

 40年前のゼンリンの住宅地図を見ると、佐賀市の中心部はまるで『千と千尋の神隠し』のようだ。
「中央マーケット」「松原親和マーケット」の裸電球の輝きと行き交う人達の賑わい、乱雑に置かれた外国の缶詰、魚屋、野菜屋、餃子屋、肉屋、乾物屋、なんでもありの世界だった。
中央マーケット.jpg
松原親和マーケット.jpg

50年代の中心街 略図.jpg
エスプラッツ出入口.jpg
長崎街道 元町説明板.jpg
昭和50年台 佐賀市中心街地図 松原.jpg

時代は変遷する。平成も終わりだ。
1枚の古いゼンリンの住宅地図から、思いを馳せた。
果たして将来グーグルマップから思いを馳せる事が出来るのだろうか。

*平成30年7月7日(土)から8月4日(土)まで、第53回「さが銀天夜市」が開催中!!

*佐賀西高校「栄城」5回生のホームページに1996年12月大晦日の佐賀市内の風景写真がアップされています。「佐賀の町並み」には「松原商店街」や「積文館」・「まだアーケードのある呉服町入口」などの当時が写っています。
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私の計算人生 [トピックス・同窓投稿]

西高1回生 徳永 治通
 
1.高校について
 勉強が好きではない私が何故佐賀西高を選んだのか?理由は単純で自宅の隣が西高だったから。佐賀高校が三つに分かれても、その選択に迷うことはありませんでした。
 したがって、高校の3年間よりも、子供時代の遊び場としての想い出がはるかに大きいのです。
 当時の自宅は、西高敷地の南西隅にあったプール(現在は校舎)の西側、小川を挟んですぐのところでした。4歳の頃に住み始めた時は、自宅の南側はすぐ田んぼであり、田植えのころは蛙がケロケロ鳴くのを縁側から見ていたものです。

母校 校庭.jpg

校庭西側 レンガ遺構.jpg 小学生の頃は高校が休みの時は、校庭でゴム飛行機や凧揚げをするなどいい遊び場でした。校庭の南側には上水場がありましたが、現在は校舎となっているところです。ところで、当時のプールは久留米の工兵隊が造った旧いもので(プールの建設経緯を記した銅板(?)がプールの北側飛込台の横に埋め込まれていました。建設年・建設部隊名があったのですが、小学生だったので詳細は覚えていません)、当初は、高校西側の小川からポンプで水を揚げていました。昔はあの小川でも水量は豊かでした。北山ダムができたころから川の水量が減り、すでに水道水に代わっており、ポンプは使われないまま放置されていました。
*昭和3年に旧制佐賀中学校のプールとして完成。(佐中沿革より)
母校 プール.jpg

 さて、高校生活のことですが、受験勉強はしたくないと学習に励むことはなかったのですが、物理と化学だけは計算尺で簡単に計算できたので好きになったものでした。
 計算尺は、対数目盛によって掛算・割算の概数計算が足算・引算の感覚でできるものです。なお、その計算尺の付属マニュアルは旧日本軍の高射砲の発射角度計算用でした。
計算尺.jpg

このおかげで、高校も大学も何とか卒業できました。
西高一回生 卒業アルバム 見開き.jpg

2.算盤からパソコンへ
 さて、社会人になってからの計算の話です。
 1970年、会社から渡される計算道具は算盤の時代でした。算盤を使うのは主に実績表作成、当然手書きです。上司からは「縦計・横計は合っているか?」と厳しく指導されたものです。その後、ちょっと複雑な損益差異要因分析をさせられたのですが、算盤・卓上計算機(まだ数少ない貴重品)で手書きの表作成に1日がかりでした。

N5200n5200.jpg 1983年頃、NECのビジネスパソコンN5200が導入されました。 8インチフロッピーディスク(FD)を使うもので、0番にシステムFDを入れて起動し、1番にデータFDを入れて、カタカタと音を立てて動く、のんびりしたものでした。このパソコンに表計算ソフト「LANPLAN」が入っていたので、先ほどの損益差異要因分析に使ってみることにしたのですが、初めてのことで、まさしくチンプンカンプン。それでも計算式を完成させて、データ入力30分でプリンタから出力、大いに作業効率アップに成功しました。
 さて、手書きの表に代えてパソコン出力の表を提出したときの反応です。まず、「きれいで、見やすい。」と好評価。次に、「縦横が合っていない。」とクレーム、この時点では四捨五入関数がなかったためで、腹の中では「大勢に影響ない」と思いつつも、口からは「再検討します」でした。
 今では、パソコンの性能は向上し、使いやすくなっています。しかし、使い手が「パソコンで計算したので大丈夫です!といってチェックをおろそかにする傾向があり、この「パソコン過信」のために幾度苦い思いをしたことか。
 
 私は、今も農水省などの統計資料から表・グラフを作成しますが、縦横合計や二重チェックという昔の手法を利用して、間違いを減らす努力をしています。しかし、完璧は難しいものです。
 算盤、計算尺、データの手入力、手書き文書など、手を使った作業は記憶に残る量が多いような気がします。

 参考までに、総務省の「家計調査」データをグラフにしたものです。1970年代の若い時にインフレで苦労したことが想い出されるとともに、最近の家計所得の低迷がよくわかります。なお、支出が増え続けているのは「交通・通信」だけです。
1世帯あたり年平均1ヶ月の収入と支出.jpg

 さて、会社では計算で頭を使ってきましたが、現実の世の中は「縦横が合わない」ことが多々あります。計算どおりにいかないのが人生、私は自分の人生の計算を全くしていません、成り行き任せでした。これからも同じです。

愛用の電卓.jpg 最後に、1989年購入のカシオのソーラー式電卓が今も健在です。当時の会社は要員削減・経費節減の最中、出張先での計算に12桁が必要であり、10,000円出して自分で買いました。安い買い物ではありませんでしたが、29年間電池交換不要で使えば良しとすべきでしょう。


*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com





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第29回総会 アラカルト写真集 限定公開 [第29回総会実行委員会]

■ 総会当日の模様を同窓会会員限定で公開中。 ■
↓クリック
第29回総会 アラカルト 写真集 入口.jpg
*総会時配布の封筒に「ユーザー名」と「パスワード」を記した説明チラシを同封。
*チラシの手順に従い閲覧下さい。
*公開終了予定日:平成30年12月31日

■ 第8回碁会(だん碁会) ■
博多駅前 日本棋院九州本部にて開催
日時 : 平成30年6月19日(木曜日) 午後6時 ~
会場 : 福岡センタービル三階
博多区駅前2丁目2番1号
■ 第30回福岡栄城会総会 開催告知 ■
日時 : 平成30年10月6日(土曜日) 17時から
会場:八仙閣 本店
福岡市博多区博多駅東2-7-27
■ 会費 男性:7,000円 女性:5,000円 西高37回生以降:5,000円
■ テーマ『温故知新「飛翔栄城会」』

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第四回女子会開催報告 [本年(平成30年)同窓会活動]

第4回の福岡栄城会・女子会を開催致しました。

日時:平成30年6月22日 19時?21時半(会話が弾み予定時間をオーバー)
会場:とある青紅葉美しいお店
   *早めにお出でいただいた皆様には、お庭の青紅葉などの木立を鑑賞。
参加者:女性13名
    (3回生1名,5回生3名,8回生2名,10回生3名,20回生2名,25回生1名.28回生1名)
    男性2名(8回生2名)
第4回女子会 集合写真.jpg

7時に乾杯[ビール]で開始しました。美味しい料理とお酒をいただきながら、お一人ずつ自己紹介していただきました。

9時から「生菓子と抹茶を楽しむ会」を始めました。お抹茶の銘は「池の白」お詰めは星野園。上生菓子は清致庵の季節の菓子5種でした。

お茶とお菓子.jpg
茶菓子の数々.jpg

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肥前さが 幕末維新博覧会 開催中! [故郷(佐賀)を歩く]

 明治維新150年を記念して、佐賀市内を中心に開催されています。

*肥前さが幕末維新博覧会 公式HP https://expo.saga-hizen150.com/
まずは、中央通りで展開されている「さがの偉人を巡る・モニュメント」をご紹介。
■ 幕末・明治期に活躍した郷土の偉人たち ■
佐賀駅前.jpg
駅前の博覧会案内ボード.jpg

JR佐賀駅から佐賀郵便局前までの中央通りに幕末から明治にかけて活躍した強度の偉人たちのモニュメントが置かれています。155~180センチの等身大アルミ製で、重さや各50キロ前後です。
偉人モニュメントMAP.jpg

☆駅前まちかど広場・・駅前交番西交差点には幕末・明治に活躍した賢人のモニュメントが出現しています。
幕末の賢人たち.jpg

:名君・鍋島直正を支えた賢人たち
鍋島直正と支えた賢人たち.jpg
・古賀穀堂( 1777-1836 )・・藩主直正の教育担当。意見書「最急封事」を持ち、藩主直正に語りかける53歳頃の姿。
・鍋島茂義( 1800-1862 )・・武雄領主。積極的に蘭学を導入する30歳頃の姿。手には天球儀!。
・鍋島直正( 1814-1871 )・・藩主となり藩政改革を推進する17歳頃の姿。
 
:弘道館で学んだ若き日の賢人たち。18歳頃の同い年3人。力強い表情で島義勇、佐野常民に語りかける枝吉神陽。
枝吉神陽 島義勇 佐野常民.jpg
・枝吉神陽(1822-1862)・・「義祭同盟」を結成し、多くの人に影響を与えた。
・島 義勇(1822-1874)・・北海道開拓の父。
・佐野常民(1823-1902)・・日本赤十字社の基礎を築いた。

*親友の大木喬任と語り合う19歳の江藤新平。大木は個性的な長袴姿で、愛読書「資治通鑑」を持つ!
江藤新平 大木喬任.jpg
・江藤新平(1834-1874)・・司法制度の基礎を築いた初代司法卿。
・大木喬任(1832-1899)・・近代教育の基礎を築いた初代文部卿。

*弘道館で学ぶ大隈17歳の姿!拳を握りしめ、高い志を抱く!副島は弘道館の班主を務めた21歳の姿。杖を片手に凛々しい表情。
大隈重信 .jpg
・大隈重信(1838-1922)・・早稲田大学の創設者。
・副島種臣(1828-1905)・・「正義の人」として評された外務卿。

☆佐賀銀行本店前 日本の近代建築の先駆者!辰野は建築家の必需品、T定規を持つ姿。曾禰は設計図を片手にベンチに座る姿。
辰野金吾 曾禰達蔵.jpg
・辰野金吾(1854-1919)・・日本銀行本店、東京駅を設計。
・曾禰達蔵(1853-1937)・・慶応大学図書館や丸の内のオフィスビル街を建築。

☆唐人町まちかど広場 明治を代表する書家。愛用の立ち机で、富士山頂に銅碑を建立した書「鎮國之山」を書く姿。
中林梧竹.jpg
・中林梧竹(1827-1913)・・明治三筆の一人。

☆唐人町二丁目信号近く 青年教育に尽力した社会教育家。田澤は青年教育について熱く演説する姿。下村は青年教育に従事する49歳頃の姿。手には田澤の障害を描いた著書。
下村湖人 田澤義鋪.jpg
・田澤義鋪(1885-1944)・・青年団の父。
・下村湖人(1884-1955)・・「次郎物語」の著者。

☆中央橋信号、唐人プラザ前 日本の工学・化学分野の先駆者。志田は、愛用の電子検流計を持つ33歳頃の姿。黒田は、理化学研究所で紅花色素の研究を行う40歳頃の姿。
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・志田林三郎(1856-1892)・・日本の電気工学の祖。
・黒田チカ(1884-1968)・・日本初の女性科学者。

☆白山アーケード出口向かい 日本を代表するお菓子メーカーの創業者。森永はミルクキャラメルを発売した49歳頃の姿、手には当時のミルクキャラメル。江崎は栄養菓子グリコを発売した40歳頃の姿、手には当時のグリコ!
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・森永太一郎(1865-1937)・・森永製菓の創業者。
・江崎利一(1882-1980)・・江崎グリコの創業者。

☆松尾建設本社前 近代医学の基礎を築いた医者たち。伊東は種痘道具の針とシャーレを持つ姿。相良は蘭医ポードインに学ぶ18歳頃の姿、手には専門分野の蘭書!
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・伊東玄朴(1801-1871)・・近代医学の祖。
・相良知安(1836-1906)・・日本にドイツ医学を導入。

☆佐賀バルーンミュージアム前 知的障がい児教育・福祉の先駆者。知的障がいのある子どもたちを優しく微笑みながら迎え入れる二人の姿。
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・石井亮一(1867-1937)・・知的障がい児教育・福祉に尽力
・石井筆子(1861-1944)・・亮一の妻、大村出身。亮一の死後、意思を引き継ぐ。

大通り駐車場前 大企業へと発展させた実業家。中冨はサロンパスを発売した58歳頃の姿、手には当時のサロンパス。市村は二眼レフカメラ「リコーフレックスⅢ」を発売した50歳頃の姿、手には当時のカメラ。
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・中冨三郎(1876-1957)・・久光製薬の基礎を築いた創業3代目。
・市村 清(1900-1968)・・リコー三愛グループの創業者。

市内のメイン通りに25体の偉人モニュメントが配置されています!!
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肥前さが 幕末維新博覧会 県庁編 [故郷(佐賀)を歩く]

県庁旧知事執務室と旧来賓室等を「県庁CLASS」として公開されます。 (県庁旧館2階南側)
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■旧知事執務室
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■旧来賓室
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■レクチャースペース
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■旧館2階ホール
佐賀県庁 旧館2階ホールより.jpg
佐賀県庁 旧館2階ホールより外を見る.jpg
■旧館玄関ホール
佐賀県庁 旧館玄関ホール.jpg
■県庁展望ホールよりの眺め 新行政棟東側に展望ホール専用エレベーターがあります。
佐賀県庁 新館.jpg
■東■
新館展望ホール 東.jpg
■南■
新館展望ホール 南.jpg
■西■
新館展望ホール 西.jpg
■北■
新館展望ホール 北.jpg
*県庁展望ホールが20時以降に幻想的なアート空間に変わる「アート県庁プロジェクト」展開中
アート県庁プロジェクトHP:https://saga-art.jp/

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肥前さが幕末維新博覧会 街中の風景 [故郷(佐賀)を歩く]

佐賀市内の主要な建物が、幕末維新博覧会の会場になっています。
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*ながさき幕末維新館「佐賀玉屋ビル1階」
佐賀玉屋新館 ながさき幕末維新館.jpg
ながさき幕末維新館HP:https://expo.saga-hizen150.com/venue/nagasaki/

*佐賀バルーンミュージアム(肥前佐賀の菓子文化展開催中)
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佐賀バルーンミュージアムHP:

*徴古館・・鍋島家伝来品で見せる「幕末明治の鍋島家~大名から侯爵へ」展を開催中。
徴古館.jpg
・徴古館HP:http://www.nabeshima.or.jp/

*弘道館記念碑・・徴古館の西側にあります。
弘道館記念碑.jpg・10代藩主鍋島直正は、二の丸消失を逆手に取り藩政を掌握し、財政改革を進め、同時に本丸再建(1835年)を表明、また藩校弘道館の拡張を図り、古賀穀堂の「学政管見」に準じ藩士の子弟全てを学ばせ、門閥に関わりなく優秀な人材を藩政に登用するとした結果、幕末・明治に活躍する賢人たちを数多く輩出しました。
北堀に移転した藩校は、現在の中央郵便局及び徴古館あたりにありました。
現在、柳町の旧古賀家住宅が藩校を紹介するテーマ館「リアル弘道館」として、伝説の藩校体験が出来ます。


*幕末維新記念館(市村記念体育館)大人¥800
幕末維新記念館.jpg

・会場入口前(昭和には円形噴水があった位置)に幕末佐賀藩の技術力の象徴が鎮座。
カノン砲 複製.jpg
(注)当時製造された大砲の残存例が未確認の為、1820年頃にアメリカ製輸入の品で、東京渋谷の旧鍋島邸に置かれ、現在は戸栗美術館所蔵を原型とした複製品です。

・「キングダム」作者:原泰久(基山町出身)が鍋島直正のイラストを制作
体育館周囲.jpg
・肥前さがFAN 原泰久のページ:

*鍋島直正公像が鯱の門横に73年ぶり(平成29年3月4日)復活。
鍋島直正公立像.jpg
鍋島直正公立像 正面.jpg
鍋島直正公立像 拡大.jpg
鍋島直正公立像 側面.jpg
築地反射炉絵図レリーフ.jpg・台座は実用反射炉の「築地反射炉」をモチーフにて、周囲に直正の業績を紹介する銅板レリーフが配置されています。銅像は高さ4㍍で、台座を含めた高さは約8.5㍍の堂々たる記念像となっています。



*佐賀城本丸歴史館
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・24ポンドカノン砲(複製)幕末維新記念館前と同じ。
カノン砲 複製 佐賀城本丸歴史館.jpg
・御玄関・出入口横に9ポンド・アームストロング砲の模型を展示。
アームストロング砲 模型.jpg
・幕末佐賀藩で製造を試みていますが、完成したかは明らかではありません。長崎のグラバー商会から輸入したアームストロング砲を使いこなしていた佐賀藩は、戊辰戦争で上野彰義隊を壊滅させ、奥羽に転戦して大いに戦果を出したことから、維新の雄藩として薩長土に続き「肥」が加わったとも言われています。

・臼砲(モルチール砲)・・青銅製でオランダより輸入し長崎の砲台に備え付けられていた記録があります。口径29センチ、全長87センチ、重量1200.5kg。
臼砲.jpg
・「冠軍・蓮池」銘 支藩の蓮池藩が所有、オランダ製臼砲を模造したとも考えられています。口径、全長はオランダ製と同じで重量が1134.5kg。
臼砲 蓮池藩.jpg

佐賀城本丸歴史館HP http://saga-museum.jp/sagajou/

*南堀の蓮・・6月下旬よりぼつぼつ咲き始めています。満開は7月中旬か?
南堀の蓮.jpg
南堀の蓮 白蓮.jpg
南堀の蓮 紅蓮.jpg
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・外来種のミドリガメやブルーギルなどの食害で全滅の危機にあった南堀の蓮は、「ハス再生実行委員会」の活動など市民参加で再生が続けられています。

*ユージアム サガ(さがレトロ館)・・有田焼などの器で佐賀の味が楽しめます。
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ユージアム サガ特設HP: https://www.useumsaga.jp/

*東堀整備・・昭和3年に鍋島家より寄付された東堀はその後埋め立てられましたが、「佐賀城下再生百年構想」として一部復元されています。
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■街中歩きをしていますと、水ケ江界隈で昭和の面影に変化がありました。

*水ケ江の旧好生館跡地・・南側棟は佐賀市医師会立看護専門学校(平成30年4月移転開校)・休日夜間こども診療所・休日歯科診療所、北側棟は佐賀メディカルセンタービルとなっています。
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・「閑叟公と種痘の像」旧好生館跡に再設置。
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・旧好生館中庭にあったものです。天然痘の流行を危惧した10代藩主直正(隠居後・閑叟)は藩医の楢林宋建に牛痘の入手を命じ、長崎出島のオランダ医師オットー・ゴットリープ・モーニッケが宋建の息子に痘苗を接種し(1849年・嘉永2年)成功、好生館で淳一郎(11代直大)に侍医の大石良英が種痘したことを記念する像です。

*佐賀市民会館跡が更地!!
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・平成28年3月で閉館した佐賀市民会館は、更地になり敷地の約4800㎡の内2800㎡を民間に売却され来年には医療福祉施設棟が完成予定です。他の敷地は市営駐車場として活用。

・閉館後の市民会館(平成28年11月下旬撮影)
佐賀市民会館 閉館後.jpg

・新道商店街の案内版・・通りの名称も今後変わるのかな?「市民会館通り」と「県病院北通り」と表示。この界隈は昭和30年・40年代は賑やかな商店街でした。映画館の「朝日館」もあり、貫通道路には大映もありましたね。
新道商店街 案内板.jpg
朝日館 跡.jpg
市民会館通り.jpg
県病院北通.jpg

*一休軒があった一角も更地に!
一休軒廃墟跡が更地に.jpg
一休軒 廃墟.jpg

*水ケ江交差点そばの寿通り商店街も更地に!!建物の老朽化と店主の高齢化もあり、平成29年6月閉鎖。
寿通り商店街 跡地.jpg
寿通り商店街 跡地 片田江バス停.jpg
・寿通り商店街(平成29年6月撮影)L字の商店街で貫通道路と大財通りに出入口がありました。
寿通り商店街 .jpg
寿通り商店街 大財通り.jpg
寿通り商店街 シャッター街.jpg

■肥前さが幕末維新博覧会、街歩きに戻ります。

*南里邸・・「世界を見ていた佐賀の人」「佐賀に縁のある女性」の企画展を開催中
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*リアル弘道館(旧古賀家)・・藩校「弘道館」の学びを体験!
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・明治17年に建てられた実業者の邸宅ですが、武家屋敷の風情もありますので、座敷を「弘道館の教室」に模しています。・リアル弘道館紹介ページ:https://expo.saga-hizen150.com/venue/kodokan/

*葉隠みらい館(旧三省銀行)・・現代に生きる「葉隠」の魅力を体験。
葉隠みらい館 旧三省銀行.jpg

■柳町・長崎街道筋の町並み整備が進んでいます。

・旧久富家住宅
旧久冨家住宅.jpg
旧久冨家住宅 正面.jpg
旧久冨家住宅 中庭より.jpg
佐賀市歴史民俗館・旧久富家紹介ページ:https://sagarekimin.jimdo.com/%E6%97%A7%E4%B9%85%E5%AF%8C%E5%AE%B6/

・旧牛島家(左手家屋)、旧森永家(手前家屋)
旧森永家住宅.jpg
旧森永家住宅 内廷より.jpg
・佐賀市歴史民俗館・旧牛島家紹介ページ:https://sagarekimin.jimdo.com/%E6%97%A7%E7%89%9B%E5%B3%B6%E5%AE%B6/
・佐賀市歴史民俗館・旧森永家紹介ページ:https://sagarekimin.jimdo.com/%E6%97%A7%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E5%AE%B6/

・旧古賀家住宅と旧古賀銀行の間の小路から
旧森永家住宅 と旧古賀銀行との間の小路.jpg

・八坂神社の大楠
八坂神社 大楠.jpg

・旧古賀銀行
旧古賀銀行.jpg
・佐賀市歴史民俗館・旧古賀銀行紹介ページ:https://sagarekimin.jimdo.com/%E6%97%A7%E5%8F%A4%E8%B3%80%E9%8A%80%E8%A1%8C/

*オランダハウス(旧佐賀銀行呉服町支店)・・オランダのクリエーター6人の作品を公開。
オランダハウス 佐銀呉服町支店.jpg
オランダハウス 佐銀呉服町支店 ファサード.jpg
・内部にはまだ金庫があった!
オランダハウス 佐銀呉服町支店 金庫.jpg
・オランダハウスHP:http://hollandhouse-saga.com/
オランダハウス 佐銀呉服町支店 恵比寿像.jpg


・アーケードが無くなり、佐賀を離れた同窓には馴染みの薄くなった呉服町商店街入り口の風景。明治期に建てられた深川製磁佐賀支店は健在。
呉服町入口 深川製磁佐賀支店.jpg

*JR佐賀駅北口ロータリー、反射炉モニュメント。昭和50年12月12日建立。
一冊の蘭学書を基に、独学で耐火煉瓦製造から初めて約2年の1852年(嘉永5年)7月、試行錯誤すること14回目にして、実用大砲が完成しています。
反射炉モニュメント.jpg
反射炉モニュメント 1.jpg

・出来上がった鉄製大砲は、長崎の佐賀藩領であった伊王島及び神ノ島の新台場に設置されました。ロシヤ使節プチャーチンが艦隊四隻で長崎に翌年の7月に来航した際には、新たに佐賀藩構築した新台場に設置した大砲の砲列に驚き、交渉には紳士的であったようです。6月の浦賀に来航したアメリカ使節のペーリーは、浦賀奉行の長崎回航を求めを拒否し、江戸湾に進入しています。長崎の防御が高められたことを知っていたのかもしれません。
伊王島 台場 遠望 神ノ島等含む.jpg


■肥前さが幕末維新博覧会は開幕から2ヶ月あまりで総来場者数が50万人に迫る勢いです。期間目標は100万人とのことですが、達成は見えてきているようです。
 できるだけ県外の方々に来て頂きたいものです。もちろん!同窓の皆様は一度は行って下さいませ。
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